文学部の誤算

 多目的室は静まり返っていた。そこに集められた人々の誰しもが、一人の少女が涙ながらに語った真相に圧倒されていた。しかし、一人だけ、計画を立てた張本人だけが冷静だった。


『でも、誤算でしたよ。こんなふうに私が話すことになるとは思わなかった。会ったときは抜け目なさそうに思えたんだけど……それともあれかな? 教え子の名探偵さんが凄かったってことなのかな?』


 どこかすっきりした依の声に、鈴璃が儚げに笑った。

 しかし、ブチョーは弱々しく首を振る。


「名探偵など私ごときには過ぎた評価です。いやそれどころか、私は自分の無力と判断の甘さを悔いておりますゆえ」


 ブチョーの口調が変わった。南風原との口振りから、普段通りのブチョーへと。


「結果として、私の管理能力の不足がこのような事態を招いたのですからなあ!」


 響き渡る声に、南風原と、アマネルと、ホノミンが失笑した。同時に、ふと南風原は思った。


 ――なぜショーは笑っていない?


 ブチョーは手首を回して三つ編みを躰の前に垂らすと、書画カメラに第二の告発を映し出した。


「私はな、静観を決めておったのだよ! 我らが顧問の名誉のために! トモキンは忍耐強く賢明なお方であるから、本当にどうしようもなくなれば、必要とされる人間に助けを求めることができる!」

「お、おい、俺は――」


 過大評価だと訂正を試みるも、ブチョー演技がかった仕草で制した。


「私は言ったはずだぞぉ!? キャパが限界に近いからしばらくは主事に集中させてやろうと! それが、なんだ! この告発文は! 私が誰に対して怒っているか分かるか!?」

「はい?」

 

 と、ホノミンが邪気もなく手を挙げた。

 すばやくブチョーが指さした。


「ハイ、ホノミン!」

「花登くんです?」


 ざわめきと、何が始まっているのかという困惑が教室に広がる。そんななか、ショーだけが顔を青くして俯いていた。


「ショー。申し開きはあるかね? なぜこんなものを出したのだ」

「そ、それは……」


 集まる視線に居た堪れなくなったか、ショーは下唇を強く噛みしめ、言った。


「僕じゃないです。その告発をしたのは、生田先生ですって」


 教員たちが真里に振り向くと、彼女はまた泣きそうな声で言った。

 

「えっ、あ、だ、だから私じゃないって言ってるじゃないですか!」

「そのとぉぉぉり」


 ブチョーが言った。


「生田先生にあり得なかろうよ。まったく、キミと言うやつは……アマネル?」

「えぇ……? このタイミングで私が言うわけ?」

「アマネル」

「……わかったよ。すんごい単純だけどいいよね?」

「無論」


 はぁ、とため息をつき、アマネルが嫌そうに言った。


「ショー。生田先生は、トモキンが告発文を受け取ったことすら知らないよ」

「で、でも――」

「見苦しいぞ、ショーよ」

 

 またブチョーが引き継いで、書画カメラに第一の告発ともに並べた。


「見たまえ、まるで文体が違うし、ココぉ!」


 カン! とブチョーの指が力強く第二の告発文を叩いた。『う』の一文字だった。


「漢字とカタカナで構成した告発文のなかに、ひらがなが四つ!」


 大声かつ奇妙な口調で捲し立てるものだから、じっと黙りこくっていた赤西の母まで顔をあげた。スクリーンに大写しにされた告発文の上を巨人の指先と化したブチョーの爪が滑っていく。定規で書かれた漢字とカナ混じりの告発文に紛れ込ませた、たった四文字のひらがな。


 う・そ・だ・よ


「……あ」

 

 職員室で発見したときから誰よりも声高に南風原を追求していた年輩教師が、間の抜けた単音を発した。所在なさげに視線が彷徨い、南風原のそれとぶつかるとすぐに足元に落ちた。


「……ナメとるのかあ! ショー!!」


 怒声の勢いは凄まじいが、口調のせいで本気なのか冗談なのか判然としない。ブチョーは顎を突き出し腰を折り、魔女が呪いをかけるが如く、人差し指を伸ばした。


「ショー……ワシは言ったはずじゃぞぉ……? 今の時期くれぐれもトモキンに負担をかけぬようにとなあ……さあ聞こう。言うのだ。なぜこんなことをしたあ……?」


 演技がかった仕草と言い回しだが、ブチョーのこめかみにはハッキリと青筋が浮き立っていた。加えて、アマネルとホノミンの冷たい眼差しを受け、ショーはぐむと下唇を噛み、顔を伏した。そのつぶらな瞳がうると緩んだ。


「こ、こんな、こんな騒ぎになると思わなくて……」

「……というと?」

 

 ブチ切れているのを演技で隠しているであろうブチョーに代わり、アマネルが慰めるように問いかけた。


「だって、見れば分かるじゃないですか! 先生ならすぐ気づくだろうし、うちの生徒の悪戯だとかなんとか言って――」

「文学部を見に来ると思ったです?」


 ホノミンに補足され、ショーが力なく頷いた。アマネルが目元を隠し背もたれに体重を預ける。


「なんだってそんな……」

「だって、男子は僕一人なんですよ? 毎回、毎回、すごい、ぼっちみたいで。めちゃくちゃ居づらくて……邪魔なんじゃないかって思うし……」

「‥…マジで? 邪魔とか、んなワケないじゃん……そんなことで……?」


 ガクン、とアマネルが机に突っ伏すと、ホノミンが口先を尖らせて言った。


「なんでマリちゃん先生のせいにしようとしたです?」

「先生、担任やりたいって言ってたから」


 ショーが不貞腐れたように呟くと、「うえ!?」と頓狂な声が上がった。もちろん真里だ。ショーは続けて言った。


「もしかしたら乗っかるかなとは思ったよ。先生がやらかしたことにすればクラス担任も降ろされるかもしれないし、そうしたら年の近い生田先生が代行するかもだから先生は楽になる」


 ショーは憮然として真里に目を向けた。


「せっかく目の前にチャンスが転がってたのにさ」

「え……えぇぇぇぇぇぇぇ……!?」


 完全に引いてしまっている真里と、その横でこめかみを押さえる年輩教師。入り口の近くにいた教務主任はよろめきながら最前列の机に捕まり立った。


「……私と同じことしようとしたんだ」


 鈴璃が微苦笑を浮かべた。大人には大人の、子どもには子どもの論理がある。南風原を含む教員たちは、子どもの論理を忘れていたのだろう。

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