告白

 赤西鈴璃は目に涙を溜めて訥々とつとつと語り始めた。


「私は、いつからなのか思い出せなくらい昔から、他の子どもに交じって書道を習わされてきました。学校が終わったら、まっすぐ家に帰って、最後の授業が終わるまでだから、五時間ちかくかな……。ずっとそうだったからおかしいと思ったこともなかったんです」


 鈴璃の世界は母親の懐で閉じていた。友人といえるのは同じ教室に通う子どもに限られていて、小学校で仲良くなったと話すと、母がその子の親に誘いをかけ断られたら付き合ってはいけないことになっていた。


「ハニちゃんとカズサは大事な友だちだったんです。三年生からかな、書道教室に入ってきて、仲良くしてもいい子たちで。だから、絶対に離れたくなくて。もっと色んな人と仲良くしたかったけど、お母さんにダメだって言われるし。そんなとき、ヨリが転校してきて。声をかけたのは私だったけど、ってことにしてたんです」

「――だから、私たちは悔しかったんです」


 千桜が呟くように横入りした。


「スズリはヨリにばっかり構うから、ハニちゃんと私のほうが前から仲良かったのにって。その頃にはもう、ハニちゃんも私も書道とか習字とか、そんなの好きでも何でもなかった。スズリがいるから通ってるってだけです。先生はものすごく怖いし」


 千桜を赤西の母が睨んだ。が、席が遠いのもあり彼女は平然と受け流し、話を続ける。


「それで、ちょっと意地悪して。ヨリは気にしないっていうか、気にはしてたんだろうけど、文句を言ってくるわけじゃなくて。エスカレートしていったんです。言い訳になっちゃいますけど、殴ったり蹴ったりとか、そんなのは考えたこともないんですよ。やりすぎたっていうか、私たちも気にしなくなっちゃったのが問題で」

『しんどかったけどね』


 と、電話越しに依が言った。笑っているのが声色で分かる。南風原は彼女と話したときの様子を思い出した。本当に昔のこととして片付けられているのだろう。


「私は止めるべきだったんだと思います」

 

 鈴璃が鼻をすすった。水っぽい声が続く。


「でも、できなくて。三人しかいない友だちで。いなくなったらどうしようって思ったら何もできなかった。それで、ヨリがしたんです。私は、ちゃんと謝ればそれで終わるんだって、そんなことも知らなかったんです。お母さんはみんなが悪い、付き合った友だちが悪い、お母さんの躾が甘かったって言い出したんです」


 それから先は哀れに尽きた。鈴璃は友だち付き合いを禁止され、自室での練習に切り替えられた。たまに言いつけを破り教室を覗いてみたが友人たちは辞めていた。学校に行けば腫れ物あつかい、話しかけることもできず、話しかけられることもなくなった。以前は手本に倣う習字の他に、書道の展覧会に作品を出すこともあったが、以降はそれすらなくなった。


「お母さん、ずっと言うもんね」声が震え、涙が落ちた。「が出来てないから出せるがないんだって。を出せないから悪い影響ばっかり受けるんだって。中学校に上がってからも毎日、毎日、ずーーーーーっと、同じことのくり返しで……! 同じことばっかり言われて!」


 鈴璃は滂沱ぼうだの涙を流しながら、南風原を見やった。


「でも、三年生になったとき、南風原先生が、言ってて。ウチの学校から行くなら一番じゃないとダメなのに、それでも足りなそうなのに、なんで選んだのかって、聞いたら――」

「……別の社会が見たかったから」


 南風原はかつて伝えた答えを今一度くり返した。鈴璃が顔をくしゃくしゃにして続けた。


「私も、頑張ろうと思って、でも全然、時間なくって、受験の勉強してたら怒られるし、学校も勝手に選ばれるし、もう、どうしたらいいのか分からなくって!」

『それで、スズリに相談されたんです』


 電話越しに、依が言った。

 二人の関係が再開したのはイジメ発覚から数カ月後だった。鈴璃が孤独な時間に窒息しかけ夜の街に逃げ出すと、学習塾帰りの依と偶然に出会った。当時の鈴璃はスマートフォンを持たせてもらえていなかったが、依から電話番号をもらえた。以後、二人は赤西の母に隠れて連絡を取り合うようになった。


 対面するには慎重を期した。ときには親に嘘をついて家を出る。渡されている金銭に限界があるため場所は限られている。言い渡された時間内に徒歩で行き来できる最長の距離が二駅だったのだ。


『スズリから南風原先生の話を聞いたとき、いけるかもって思ったんです。初めての担任で自信がないって言ってたって聞いたから。生徒とも他の先生とも距離を取ってる感じがするとも言ってたし、でも出身からして上を目指すんなら怒らなそうっていうか、むしろ協力してくれるんじゃないかと思ったんですよ。でも――』

「私が、先生に言えなかったんです。……怖くて」


 鈴璃が顔を擦りながら言った。


「普通に相談したら絶対お母さんに言うって思って。それで依と話して」

『私がスズリに言ったんです。、って」


 松本依は図らずして知っていた。被害者という立場を明示する強みを。加害者が追い込まれる窮地を。二人は話し合いを重ねて計画を練り上げた。


『スズリが無茶を言うんですよ。って。考えてるうちにどんどん期限は迫ってくるし、もう間に合わないかもってときに卒業文集の話がでてきて、これしかないって思ったんです』


 南風原は得心した。それで告発は鈴璃の名前だけを上げたのか――と。

 

『南風原先生は話に乗ってくれた。私が思ってた方向とはちょっと違ったけど、結果としてスズリは初めてマトモに先生と話せた。泣けないのも当たり前ですよ。嬉しかったんだから。今まで私にしか言えなかったことを、真剣に聞いてくれる人がいるってわかったんですから』


 パン! と話を断ち切るようにブチョーが両手を打った。


「そして秘密裏の告発は成就した。赤西先輩ご自身の口で最後の一押しを加えることで。先輩を雁字搦がんじがらめに縛める、御母堂の凶行をもって。もし何事もなければ、いずれ南風原先生は先輩のお母様と対決したでしょう。――そういう方です」


 先生は。そう言外に言い、ブチョーが南風原を見やった。

 異論はなかった。かつて誰にもそうしてもらえなかった南風原は、間違いなく鈴璃に代わって対峙しただろう。

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