春日井立夏の推理②
ブチョーは書画カメラの前に戻り、再び第一の告発文を大映しにした。
「時間は前後しますが、南風原先生はこの告発文を見て、まずは書かれた内容の真偽をたしかめようとお考えになられました。それはなぜか?」
指先がショーを示すと、彼は唇を湿らせてから言った。
「告発がただの中傷なら動機のある生徒を探せばいいからじゃないですか? それにもし事実なら――事実なら……」
言葉が途切れると、ブチョーはすぐに南風原に照準を切り替えた。
「南風原先生。教員としてのお考えをお聞かせ願えますか?」
「……私はまず、告発の対象となっている赤西さんを守る方法を探しました。内容が内容ですし、噂になれば尾ひれも付きます。いざそうなったとき、守るには何をすればいいか。私は過去の事件そのものを解決すれば良いと考えました」
ずっと黙って足元を見ていた教務主任が顔をあげた。年輩教師も訝しげに南風原を見つめる。
「具体的に何をすればいいのか。内容はいじめにまつわるものですから、当人に確認を取って、解決していないのなら当時の被害者に和解を申し込みにいくことも視野に入ってきます。非常に心苦しいことではありますが、やはり自分の受け持つ生徒を最優先に考えるのが私の職務です」
「もしそこで断られたらどうするつもりだったのですか?」
教務主任が訊ねた。
「ご相談に伺った可能性はあります。ですが起こり得なかったことについて語るのは適切ではないと考えます」
年輩教師の目が吊り上がったが、口を開かれるより早く南風原は言った。
「これは赤西さんに限った話ではなく、私が受け持つクラスはみな受験生です。過去の事件を掘り起こすような話が
――であれば、表に出る前に解決できればそれが最善となります。そして、幸いにも赤西さんは当時の被害者とはすでに和解済みだと答えました」
その言葉を受け、赤西の母が娘の肩を揺すった。
「鈴璃! 和解ってどういうこと!? 誰がそんな――」
「お静かに!」
多目的室に響く赤西母の詰問を、ブチョーの声が黙らせた。
「――願います。南風原先生、続きを」
「……あー……和解しているのであれば告発そのものは大きな意味をもちません。ただ一つ、気になることが――」
殺されるとまで怯えていたと話すべきか逡巡し、南風原は鈴璃に視線を送った。しかし、彼女は視線に気づきこそしたものの、その意図までは図りかねるようだった。
「失礼。最悪の事態を想定し万全に期するべく、赤西さんの仲介を経て、当時の被害者である松本依さんに確認と、いざというとき和解した事実の証言をいただけるよう約束をとりつけました」
「鈴璃!」
また、赤西母が声を荒らげた。
「あなた、あんな子とまだ連絡を取り合ってたの!? 言ったでしょう!? あんな子と付き合ってはいけないって!」
その発言には、場にいる教員全員が眉をひそめた。子のために友人を選びたい親の気持ちもわかるが、子にとって人間関係を親に支配されるのは苦痛だろう。
「お母さん」
鈴璃が諦めたような声で言った。
「松本さん、いま、聞いてるよ」
ヒュッ、と誰ともなく息を飲む気配があった。鈴璃は手元にスマートフォンを置くとスピーカーモードに切り替えた。すぐに重い声が流れた。
『……お久しぶりです。まだ変わってないみたいですね』
「――ッッッ! お前っ!!」
喉に筋を浮かせて赤西の母が怒鳴った。さらに息を吸う。その隙にブチョーが大声で呼びかけた。
「はじめまして! 松本依先輩!」
またしても吠える機を奪われた赤西の母は悔しげに歯を軋ませた。それを知ってか知らずか、ブチョーは快活に続ける。
「
『そんなわけないじゃないですか』
スピーカーの向こうで依が笑ったような気配があった。
『あそこまでの
ビッ! と極みじかく絹の裂けるような音がした。見れば、赤西母が握りしめていた着物の袂が緩んでいる。フウ、フウ、と鼻で息をする音が聞こえた。
「さてそこで」ブチョーが言った。「時系列に沿い、藤原先輩の話に戻って考えてみましょう。いまの松本先輩の証言から、藤原先輩もイジメの加害者としては成立しえないことになります。ですが一方で、動機が浮かび上がってきます」
ギヌロと赤西母の血走った目が光り、今度は千桜が顔を強張らせた。
「松本先輩が赤西先輩の御母堂を怨んだように、藤原先輩もまた怨みを抱いてもおかしくはない。――これは、赤西先輩の御母堂と同じ理屈です」
「ちょっと待ってよ!」
千桜が声を上げた。
「私はそんなことしない! 鈴璃とは今まで通りみたいにはなれなくなったけど、それだけだよ! それに――春日井さんだっけ? もし嫌がらせがしたいなら――」
「そう」
ブチョーが待っていたとばかりに言葉を引き受け、アマネルを指さした。ふぅ、と小さく、重いため息があった。
「嫌がらせをしたいなら、わざわざ提出物に混ぜる必要なんかない。もしトモキンを脅してなんかしようと思ったとしても、なんで文書を、それも一通だけ出すのさ」
――ああ、やっぱりそうだったのか。
南風原は首を垂れた。緊張が解けたからだろう、千桜が、膝から崩れるように椅子に腰を落とし、鈴璃が満足げに微笑んだ。
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