推理はじめ

 南風原が手帳と名簿を持って多目的室に帰ると、ブチョーはすぐに受け取り教卓のうえで開こうとした。


「――っと、待った。今回の調査で使ったのは」南風原はブチョーの手を差し止めて、十数ページをつまんだ。「ここから、ここまでだ。だから」


 名簿の背を利用して、ページをまとめて切り取った。


「はいこれ」

「先生?」ブチョーの目が光った。「本当にこれだけですね?」

「ああ。他は小テストのメモとかだから見せられない」

「神に誓って?」

「俺は仏教徒だよ。それも生活仏教。どうしてもと言うなら道真みちざねガネーシャミューズのどれかに誓うけど」


 南風原の回答に口の中で笑いながら、ブチョーはメモに目を通していって、ピタリと手を止め一ページを抜いた。


「さすがトモキン。聞き取り調査で卒業論文を書いたというのも伊達ではない。簡潔ながら誰が読んでも要不要が明確なメモというのは助かります」

「……お褒めにあずかり――そのメモがどうかしたのか?」

「ええ。ここにと書かれていますが、トモキンのことではありますまいな?」

「真面目にやるのかふざけるのかどっちかにしてくれ。――それは赤西さんのことだよ。話を聞いている途中に泣き出したからポケットティッシュを貸した。だからよく覚えてる」


 ふくくと笑い、ブチョーは言った。


「失礼。推理はヨソ行きで話しますゆえ、今はご容赦を。――それで、そのティッシュはどこに?」

「ティッシュ? あー……鞄のなかに……」

「いえ、そちらではなく、赤西先輩が使ったティッシュです」

「は? ゴミ箱に捨てたよ」

「それは、社会科資料室のゴミ箱ですかな」

「ああ」

「そのゴミ箱、まだ中身は残っていますか」


 いったい、なにが知りたいというのだろう。南風原は天上を仰ぎ見て思い出す。


「あー……捨ててない。資料室の整理と掃除は一番年下の俺が――先生がやってるからな。一杯になってるのに気づいたら捨てるけど、十二月だと使う機会もまずない」

「僥倖」


 呟き、ブチョーは所在なさげにしていた真里に指示した。


「生田先生、お手数ですが、社会科資料室に行ってゴミ箱の中身を回収してきていただけますか?」

「え? えと、いいけど……」

「待ってください、ブチョー」


 花登しょう――ショーが憮然として言った。


「生田先生は容疑者の一人なんだから部屋をでたらマズいですよ。逃げちゃうかもしれないじゃないですか」

「ちょっ!? わ、私はなにもしてないって――」

 

 オロオロと首を巡らす真里。ブチョーが小さく頷きを繰り返す。


「たしかに」

「え!?」

「いえ、生田先生、花登くんの意見もありうるというだけです。それじゃあ、アマネル。代わりに行ってきてもらえるかな?」

「元陸上部だからひとっ走り頼むって?」

「廊下は駆けない」


 指さされ、アマネルは失笑しながら席を立った。南風原が言う。


「場所はわかるか?」

「何いってんのさ。前に荷物運び手伝ったじゃん」


 ひらりと手を振り、アマネルが多目的室を出た。その間にブチョーはメモを読み進め、加えて南風原に訊ねた。


「ボイスレコーダーは?」

「……ある。持ってきてる。でも――」

「なあに、保険のようなものですよ、使わないですめばそれが一番良い。さて――それでは準備をしましょうか」


 言って、ブチョーは多目的室の鍵をホノミンのほうに差しだした。


「燕子花さん。AVラックを開けて書画カメラを使えるようにしてもらえますか?」

「……ブチョー先輩?」

「なんです?」

「その喋り方、変かも?」

「……ヨソ行きだと言ったでしょう? 早く」

「はい?」


 ホノミンは小さく手を挙げた。


「真里ちゃん先生? 書画カメラってなんです?」


 ブチョーが肩を落とし、南風原が苦笑した。真里が前に進み出て鍵を受け取る。


「……えと、私がやるね?」

「……申し訳ない。お願いします」


 着々と準備が進められるなか、ブチョーは教卓に並べたメモを見下ろし、躰の前へ回した三つ編みの毛先を指揮棒のように振りながら、ぶつぶつと呟いていた。部活でプレゼンをするときのように、今この場で論理を組み立てているのだろう。


 やがて廊下が騒がしくなり、声が近づいてきた。壁越しにも伝わる怒気と不穏な気配に、否が応でも南風原の表情は硬く凍りついていく。扉が開かれると、真っ先に通されたのは赤西の母で、第一声は、


「南風原先生! いったいどういう了見ですか!? なぜ私がこんなところに呼び出されなければならないんです!? それに、鈴璃まで! 事の次第によっては――」


 放っておけば延々と続きそうな苦情の嵐に、頼もしくもブチョーが南風原の前に進み出て、いつぞやも見せた跪礼カーテシーをした。


「ごきげんようございます、赤西のお母様」


 その演技がかった仕草と口調はしかし、たったの一声をもって赤西母の呆気を取った。後ろに続く、家から駆け戻ってきたのだろう鈴璃も、校内にいたらしい千桜も、呼ばれた面々の誰しもが何事かと目をしばたいていた。


「お初お目にかかります、わたくしは春日井立夏と申します。春日の井戸に立つ夏と書いて春日井立夏。あなたのお子さんのみならず、ご友人をも守ろうとしたがために、あなたに謂れなき追及を受けている、南風原智樹のお世話になっております」


 曰く形容し難い圧力で集団の気勢を一変せしめ、ブチョーは悠々と手のひらをすべらせた。


「只今より、わたくしの口から事の真相をご説明させていただきましょう。どうぞ、お好きな席におつきくださいませ。――それと、赤西、鈴璃先輩?」


 呼ばれ、鈴璃が困惑した様子で手を挙げた。


「どうぞ、電話を使われるなりなさって、ご友人の松本より様にこの話を聞いていただけるよう、ご配慮のほどお願い申し上げます」

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