正式な依頼

 全身が熱に支配されているようだった。廊下の寒気もまったく感じられない。南風原は教務主任らを引き連れて渡り廊下に差し掛かり、黒板を見やった。


『文学部:多目的室2 輪読会 他』


 とアマネルが書いたであろう、固く縦長の字が並んでいた。先日にあったエールがないのを悲しく思えてしまうなぜだろう。どうでも良くなったからか。南風原は一人納得し、背後からかけられる声を無視して多目的室を目指した。


 普段なら騒がしいブチョーの声が聞こえてきそうなものだが、その日はほとんど無音にちかい状態だった。あえて耳をすませば微かに聞こえる『わかる』の声。のぞき窓に顔を寄せると、広い多目的室の教卓正面の空間に密集し、それぞれ同じ本を手にうんうんと頷き合っている。


 ――何をしにきたんだ、俺は。

 

 ふと、南風原は冷静に思う自分に気づいた。彼女らを巻き込んで良いのか? 湧いた疑問には、のぞき窓の向こうのブチョーが答えた。彼の存在に気づき、胡乱げな目をして手招いたのだ。


「すまん。ちょっといいか」


 言いつつ、南風原は扉を開いた。部員たちが一斉に明るい顔で振り向いて、すぐに眉根を寄せた。後ろについてきた教務主任らのせいだろう。


「――どうなさいましたか、南風原先生」


 ブチョーが、いつか――少なくとも一年以上は前に使わなくなった呼び方で南風原を呼んで、立ち上がった。

 南風原はため息をこらえて言った。


「実は、みんなに確認しなくちゃいけないことがあるんだ」

「――南風原先生は」


 教務主任が前に進み出て訊ねた。


「君たちに相談したと言っているんだが、本当かな?」

「相談? なにをでしょうか?」


 答えるブチョーの脇で部員たちが顔を見合わせ、振り向いた。

 教務主任が南風原の手から二通の告発文を奪い取り言った。


「この告発文のことだ」

「――ああ。そのことですか」


 その返答に、南風原を除く教員らがざわめいた。ブチョーは知ってか知らずか――いや、確実に知ってのことだろう、下ろした手で部員を抑えつつ、足音を殺して教務主任の傍へ歩き始めた。


「たしかに相談は承りましたよ。として当然のことです」

「――南風原先生……!」


 教務主任が目を怒らせて南風原を見やった瞬間、ブチョーはその手から二通の告発文をもぎ取った。


「あ、コラ――!」


 叱りつけるよりも早く、おそらくは内容を読みすらせずにブチョーは首を傾げた。

 

「――おや?」


 発せられた疑問の声に、教務主任の口が閉じ、年輩教師と真里が顔を見合わせ、南風原は顔を背けて息をついた。

 

「これは……なんです? 初めて見ました」

「なっ――南風原先生! どういうことです!? 生徒まで巻き込んで口裏合わせですか!?」


 顔を真赤にして怒鳴る教務主任を一瞥し、ブチョーが南風原に訊ねた。


「先生、これはなんです? どういう話でしょうか?」


 白々しい。けれど、それはブチョーが差しだした手のひらなのだろう。南風原は申し訳無さに髪の毛を掻き回しながら言った。


「ごめん、ブチョー。アマネル。ショー。ホノミン。実は、小説の相談っていうのは嘘だったんだ。本当は、卒業文集に紛れてたを誰が出したのか、探す方法を相談したかったんだ」


 フッ、と微笑を浮かべてブチョーが答えた。


「それならそうと、早く言ってくださればよかったのに。これでは、私たちはぬか喜びじゃありませんか」

「うん。本当にごめん」

 

 南風原が頭を下げると、ブチョーはいえいえと首を振り、教務主任に向き直った。


「――ところで先生。?」


 みるみる内に顔を赤くして、教務主任が怒鳴りつける――その前に、


「赤西、すずり、かな? 赤西鈴璃を断罪する。みんな、これが誰か知ってる?」


 ブチョーが告発文を読みながら部員たちに振り向くと、アマネルが手を挙げた。


「藤原センパイの同窓生。トモキンのクラスの人だ」

「同時に――」

 

 ホノミンが口を開きかけたが、ブチョーが人差し指を立てて止めた。つづけて彼女はもう一枚の告発文を見て失笑した。


「南風原先生を告発する――? バカバカしい」

 

 ブチョーは首を捻るように振り向けて、教務主任に言った。


「南風原先生より素晴らしい先生を私は知りませんよ」

「……君にはそうかもしれんが」

「いえそんな話でなく」


 器用にも上履きで鋭く固い靴音を立てながら部員たちの前に行き、二つの告発文を見せつけた。


「みんな、この二つの告発文を見てどう思う?」

「おい、お前! 何をしてる!」


 呆然とする教務主任に代わり、年輩教師が怒鳴った。足早に近寄っていくが、しかしブチョーが銀縁の丸い眼鏡越しに送った視線に踏みとどまる。


「書いてる人が違うよね。とりあえず」


 アマネルが言った。教務主任がすかさず言った。


「当たり前でしょう! その右手に持っているのは、南風原先生が隠していた文書について書いているもので――」

「その通りです」

 

 ブチョーが言葉を遮った。


「では、新しいこれは誰が書いたものでしょう?」

「……生田先生じゃないですか? そのサインペンの色、見覚えがあります」


 ショーが言った。真里を除く全員が振り向くと同時に、当人は自分を指差し固まって、息を大きく吸い込むと、


「うえぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげた。


「ち、ち、違いますよ! 私はそんなことしてません! だって、だって、今日は私……私……私、どこにいました……?」


 涙目になっていた。所在なさげに両手を彷徨わせ、誰に訊ねたものか首を巡らす。答えられる人間はいないようだった。


「落ち着いてください。生田先生」


 南風原は真里の背を擦り、ブチョーに向き直った。


「ブチョー。巻き込んで申し訳ないんだけど、犯人探しを手伝ってくれないか?」

「南風原先生!?」

 

 動揺する教務主任と年輩教師。

 ブチョーが、つまらなそうに尖らせていた唇を微笑に変えて、うやうやしく一礼した。


「もちろんです。下校鈴が鳴る前に解決いたしましょう。


 ――


 その言葉は、教務主任らどころか、南風原の想像すら軽々と超えていた。

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