三者面談を終えて

 三者面談の後、物理的にも精神的にも痛む頭で手早く報告書をまとめ、南風原は他の教員に詫びを入れてから一足早く帰宅した。同情してくれたのは真里を含めた数人だけで、引き止める者もいなかった。


 ともに戦う仲間であっても気を使いすぎてはかえって気負わせるし、潰れる前に休んでもらわなければ今後の予定に差し支えるというのも本音だろう。文句はない。逆の立場なら南風原もそうしただろう。


 ほぼ定刻通りに、それも買い物の袋を手に帰ってこられたのは久しぶりだった。心身の疲労はピークに達し、胃痛は消えない。なにかを腹に入れるよりも先に彼はバスタブを掃除した。普段はシャワーで済ませることが多いが、今日くらいはゆっくり躰を温めたかったのだ。それも、アルコール付きで。


「……ぅぁああああー………」


 湯気の立つ浴槽に身を沈めると、酷く情けない声が出た。全身の疲れが頭の痺れとともに湯に溶けていくようだ。以前、真里が教職には入浴剤が欠かせないと言っていたが、検討の価値はあるかもしれない。


 帰りがけに買ってきたビールのプルトップを片手で起こし、唇に運ぶ。冷えた炭酸がアルコールとともに切ってしまった口腔内を消毒し、喉を微かに焼きながら胃袋へと落ちていく。頭寒足熱の新機軸。巡りの早い酩酊による機能低下込み。


『学校からの呼び出しは私たち夫婦にとって寝耳に水の話でした』


 今日聞いた、藤原千桜かずさの父の話が耳の奥でよみがえる。

 小学校の事件で、藤原家は職場との距離もあって父親が呼び出しに応じたという。


『まさかウチの子が。そう思うのはどこの家でも同じだと思います。あんな子たちと付き合っているから――そんなふうに考えるのも理解できます。ですが、私たち夫婦はそうは思わなかったんです。やっぱり、千桜が書道教室に通わせていただいているのもありましたから――』


 具体的ないじめの話を聞いた藤原父は、正直なところ内心で安堵の息をついたという。藤原父は五十代に差し掛かろうという年齢で、中学時代を過ごしたのは、いじめが最も苛烈だったともされる九十年代末期から〇〇年代初頭にあたる。南風原と同じく、自分が見てきたものに比べればという思いが少なからずあった。そして、それは加害者親子が一部屋に集められたとき口をついて出た。


『この程度で良かった、と言ったらアレですけど。そんなことを言ってしまって』


 赤西の母は激怒した。


『今の言葉お聞きになりましたか!? この方たちがウチの子をそそのかしたに決まっています! ――鈴璃! 言ったでしょう!? こんな連中と付き合うなって!』


 藤原父は自嘲気味の、苦み走った笑みを浮かべた。


『失言でした。それは認めます。感覚が古びていたのも。でも、さすがにおかしいんじゃないかと思いました。腹の中じゃ色々と考えるとは思いますよ。でも、加害者のグループとして呼び出されてしまったわけですし、事情を聞く限り一人に責任を押し付けられるような話じゃない。だというのに――というか、本人を目の前にして口にしますか? 普通。尋常じゃないなと思いましたよ、僕は』


 そこから、今度は千桜が沈痛な面持ちで語った。


『そのあと、こんなこともあったからって、お母さんとも相談して、書道教室は辞めることにしたんです。でもちゃんと、謝罪文とか、これまでのお礼を書いた手紙とお菓子も持って行ったりして。そしたら』

 

 千桜は息を整えるように深く呼吸し、言った。


『お母さんと一緒に行ったんですけど、手紙は目の間で破かれて。お菓子はそんな汚いものもらえないって言われて。さすがにお母さんも怒って。そしたら――』


 藤原父が千桜の言葉を遮り、言葉を継いだ。


『お金が惜しいというならお返ししますと、そう言われたそうです。その場で投げつけられたそうですよ。同じことをされたら私だって怒ります。ですが赤西さんは警察に電話をかけられたそうで、仕方ない、逃げるように帰ってきたと』


 藤原家では転校の話も出た。しかし、事件が発覚したのは卒業まで残り半年くらいのものだ。仕事の都合もあるし赤西家の様子では私学への中学受験もありうる。一方で藤原家は地元の公立を考えていた。


 公立の中学校とはいえ過去の進学実績を見れば名の通った学校名も数多く並んでおり、同校からそれらの一つに進学した生徒が来年から教員として戻ってくるという話もあった。悪い選択肢ではなかった。


『その先生っていうのは、南風原先生のことでしょう……?』


 遠慮がちに訊ねられ、南風原は頷くしかなかった。公立校の教員は地方公務員である。行政発行の文書や新聞を調べれば誰がどこに移動しているか把握できる。それを知ってどうなるものでもとは思うが、親というのは子のためならときになんでもしてしまうのだろう。


『千桜が三年になったとき、やったと思ったんです。一番いいときに一番いい先生に見てもらえそうだって。ところが、同じクラスに……』


 千桜が言った。


『鈴璃のことは嫌いじゃないんです。でもお母さんと一緒にいるところを見られると色々あるみたいで、それに、ねえ?』

『そうなんです。同じ学区ですから、会うことだってあるでしょう? 挨拶しても無視ですよ。話すどころか目も見てもらえない。そのうち保護者会で変な噂を流されるんじゃないかと思っていたんですが、これまではなかった。でも、昨日、あの電話ですよ。もうどうしたものかと思って今日は私が来させてもらったんです』


 思索を打ち切り、南風原はくしゃりと缶を握り潰した。


「……私にできる限りのことはします」


 親子に告げたのと同じ言葉を呟く。他になにが言えただろう。南風原は浴室を後にして、新たなビールと、一年ちかく前に買ってきてから半分ほども減っていないウィスキーの瓶を取った。


 好きでなくても、酒の力を借りなくては寝付けそうになかった。

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