三者面談:最終日 藤原家
保護者に殴打されたからといって休むことはできない――とまでは言わないが、打たれた本人が問題にしなければ、かつ打った本人が問題としなければ、
「うわ」
偶然、校門で居合わせた生田真里は、南風原の顔を見るなり目を丸くした。
「だ、大丈夫なんですか、南風原先生……左のほっぺた、凄い色してますよ……?」
「あー……やっぱり目立ちますか?」
「えと、はい。手形が……あの、今日は他の先生に引き継がれたほうが……」
「いやいや。生徒に不安を抱かせるわけにもいきませんから」
「マジですか……担任、過酷すぎません……?」
「過酷ですよぉ? 生田先生もクラスもつときは覚悟してくださいね?」
引きつる真里に、南風原は笑ってみせた。痛みで躰が強張った。
「――
「それはそう思います。それ見たほうが生徒さん不安になるかも」
「保健室で湿布かなんかもらって――」
「いやいやいや! 無理ですって!」
生田は両手を振って否定し、二秒ほど考えて言った。
「あの、ファンデあるので、それで隠しますか」
「お願いします」
迷いはなかった。南風原は真里の手を借り、朝礼前に手早く化粧を終えた。痣に被せるように下地をつくり、細く赤い爪の痕にはコンシーラーを使って、仕上げにファンデーションで色味を馴染ませると、遠目には傷などなかったようになった
「すご……えと、どこで覚えたんですか、これ」
鏡に映るまっさらな頬の驚きに、真里は苦笑と内緒話で応じた。
「実は自転車で転んだときに覚えたんです。ヒミツですよ。自転車通勤、禁止されたら太っちゃうんで」
冗談とも本気ともつかない話に、南風原は今度お礼にごちそうしますと伝えた。
そして。
昼過ぎて、三者面談の最終日が始まった。
「どうぞ、お入りください」
その声に答える保護者たちの大半は、どこで仕入れてきたのか昨日の騒ぎを知っているようだった。けれど、昼食後にあらためて調整した真里の化粧のおかげか、むしろ得体のしれない緊張からの解放を促して、前日までよりスムーズに面談が進んだ感すらある。
予定より十五分も早く最後の組を迎えることになり、南風原は一人、教室でホッと息をついた。まったくの偶然だが、最後の組は藤原
「どうぞ、お入りください。本日は――」
南風原は入ってきた藤原家の保護者に息をつまらせた。
「お忙しいなか、ありがとうございます」
「――はじめまして、南風原先生。千桜の父です」
保護者として来たのは母親ではなく父だった。公立校では一人親家庭もそう珍しくはなく、男親の家庭もあるにはあるが、それでもいざ対面すると少なからず驚きがあった。
「はじめまして、担任の南風原です。えーと……前回は」
「ええ。妻が。今日は少し、別の理由がありまして」
「別の理由ですか」
口の中が乾いてくるようだった。この三日間で胃痛は激しさを増すばかりだ。
「ではこちらに……ええと、お父さん――」
「あ、お父さんはちょっとその」
「あっ、えと、ですよね。じゃあ、藤原さんと」
「それでお願いします」
そんなぎこちないやり取りに、千桜が苦笑して言った。
「なんか変なの。――早くやろ、お父さん。先生と話すことあるんでしょ?」
「ああ、うん。そう急かすなって……」
席につき、資料を開き、第一志望の確認をする、そのとき。
「で、先生、これ志望理由書――進路指導室で見てもらいながら書いたんですけど」
言って、千桜は紙を出した。南風原は動揺を隠して受け取る。
「ああ、はい。この前の。えっと……あれ?」
「どうかされましたか?」
「え、いえ、えーっと……」
父親に問われ、南風原は言葉を濁した。見慣れない志望理由書は、鈴璃の希望している学校とは違う県立校だった。学力としては中堅より少し上だが学区から考えると通学距離があり、学内の希望者は少ない。
「じゃあ週末の推薦会議にかけることになりますが……」
残りの説明は進路指導室で行われている内容と同じだ。第一志望の変更に伴って提案された第二志望その他の用意はすでに考え抜いて行われており、南風原に求められた助言も成績に応じてどのような対策をすべきかに留まる。父親が来たことで膨らんだ緊張は、真っ当な相談にかえって意表を突かれた格好になった。
けれど。
正規の面談を終え、質問があるかと問うと、父親が重そうに口を開いた。
「あの……私から少し、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん! なんなりと。私に答えられる範囲であれば」
三者面談を乗り越えた安堵感もあって、南風原は声を明るくしていた。
対称的に、父親の顔は苦悩に歪んでいる。
「赤西さんの、ことなんですが」
「――は?」
天上から奈落へ。南風原は背筋を伸ばした。
「赤西さん、と言いますと」
「同じクラスの、ええと――」
言いよどむ父に代わり、千桜が言葉を投げるようにして言った。
「鈴璃のところのお母さん」
「なにか、あった?」
南風原が訊ねると、千桜が難しい顔で頷き、父親が咳払いをした。
「失礼。あの、ウチに電話がありまして」
「……電話、ですか?」
「ええと、その、娘の、小学生の頃の話でして」
「それは松本依さんに関する……?」
父親と千桜がほとんど同時に顔をあげた。やはり知っているのかと表情が物語っていた。南風原は続けて訊ねる。
「あの、どのような電話だったのでしょうか」
「ええと……お前らだろう、と」
「お前ら?」
「その、私らが、お嬢さんの、つまり赤西さんのとこの娘さんを、陥れようとしているんだろうと言うんです」
「それは、千桜さんが、ということですか?」
「いえ、娘だけでないんです。うちの家が、家族ぐるみでやろうとしてると」
父親はため息をつき、悲しげに顔を伏す千桜の肩に手を乗せた。
「あのときもそうだったんですよ」
いじめを始めたのはお前の家の娘だろうと、そう責められたのだと父親は言った。
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