三者面談:二日目 赤西家②

「どこでお聞きになられたんですか……?」


 赤西母の声は震えていた。恐れや不安ではなく、怒りを押し隠そうとするために喉に筋が浮いている。急変した態度に動揺し、南風原が口を開けずにいると、


「どこで聞いたと言っているんです!!」


 怒号がからの教室に反響し、冷え切った窓を揺らした。

 南風原は慌てて手のひらを向ける。


「お、落ち着いてください、赤西さん。他の教室でも面談が――」

「答えなさい!!」


 分からないんです、などと言えるわけがない。ではといって適当な名もあげられない。答えられる言葉は一つだけ。


「お、教えられません……」


 知らないものは知らない。いや、そもそもにして、告発があり、それが裏を取れているのなら、告発者は守られなければならない。加えて言えば、


「それに、小学校のころの話でしょう……? もう和解されていると、」南風原は鈴璃のほうへ顔を向けたくなるのをこらえた。「聞いています」

「――では、先生は、鈴璃がそのようなことをしたとお思いでいらっしゃると?」

「……は?」


 赤西母から表情が消えた。かと思えばまた怒りが滲んだ。


「鈴璃がそのようなことをするはずがありません!」


 バン! と叩きつけるようにして机に手をつき、南風原の顔面に額を打ち付けんばかりに顔を寄せ、吠えた。


「鈴璃は陥れられたんです! あのヨソからきた親子に! あの――あの、子どもの躾もロクにできないようなやからに!」

「あ、赤西さん……!?」

「誰ですか! そんな話を広めようというのは! 答えなさい!」

「赤西さん落ち着いて――」

「落ち着いてなんていられますか! 先生まで一緒になって!」


 親という生き物の剥き出しの感情をぶつけられるのは初めてだった。学生時代に受けた講習も、習ったモデルケースも、教育実習で浴びた先輩教員たちの洗礼も、なんの役にも立ちそうにない。ほんの数ヶ月前から――いや、十数分前の様子からも想像のつかない敵意に彼の身は竦んだ。視線は助けを求めて生徒に向かう。


「あ、赤西さ――鈴璃さん、あの――」

「その口で娘の名を呼ぶなぁぁぁ!!」


 怒りのあまり顔面を真っ白にして、赤西母は右手を振り上げ南風原の頬を打った。バシン! と身の毛もよだつ打音が響き、彼は床に転げ落ちた。


 女性に打たれたとは思えない衝撃と、記憶を吹き飛ばすような痛みに、南風原は首を振った。むち打ちになったかもしれない。視界は揺れ、方眼に貼られているはずの天井パネルの切れ目が蛇のようにのたうっている。


 ……懐かし。


 現実感が乏しくなるのに引きずられ、南風原の意識は中学時代に立ち返ろうとしていた。机を回り込み、彼の足元に赤西母が迫ってくる。袖を手繰って腕を露わに、伸し掛かろうとしている。首を振って鈴璃を見ると、冷めた目を加害者に向けていた。


 あの頃もそうだったな、と南風原はぼんやり思う。彼らの気まぐれか、ただの冗談のつもりだったのか、はたまた何か不興を買ったのか――ある日とつぜん椅子の背板でこめかみを殴られた。


 悲鳴はいくつあっただろう。笑い声はどれだけあったか。何がおきたか分からずに視線を巡らせると、級友の関わりたくないと言う顔があった。後になって分かったけれど、悪ふざけのチキンレースのようなもので、当てるのではなくギリギリを通す遊びだったらしい。休み時間に本を読んでいたからとして最適だったのだ。


 ガクン、と視界がまた揺れた。赤西の母が南風原のジャケットの襟を掴み引き起こそうとしていた。なにか大声で喚いているが意味を取れない。また、別の誰かが叫んだ。急に襟が手放され、南風原は強かに後頭部を打った。声が聞こえた。


「な、何をなさってるんですか!?」

「ただの意見の相違です。もうお話は終わりました」

「お話って――先生!? 南風原先生! 大丈夫ですか!?」 

 

 二重に別れてぐるぐると回る天井が、ようやく一つに合わさり、静止しようというとき、職員室の隣の机の――三年三組の担任を務める年配教員の顔が割り込む。


「――では、お話は終わりましたので、失礼いたします。鈴璃!」

「はい、お母さん」


 声に顔を向ける南風原に、鈴璃が一瞬、首を振った。能面のような、疲れ切っているようで、諦めているようで、今にも閉じて二度と開かなくなりそうな目だった。


「ちょっと、ま、待ってください! 赤西さん!?」

 

 年配教員が呼びかけたが、赤西親子は振り返らなかった。


「先生! 南風原先生!」

「ああ、えー……大丈夫です」


 まったく大丈夫ではないが、他にどんな答えを言えるというのだろう。なんとか床に手をついて、年配教員の力も借りて躰を起こした。激痛に頭が割れそうだった。頬が破れたのではないかと擦ってみると、汗でべったりと濡れていた。


「申し訳ありません。お騒がせしました」

「いや先生、その顔――ちょっと! 赤西さ――」

「いいんです」


 南風原は年配教員の肩を掴んで止めた。


「いいって、しかし――」

「いえ、本当に大丈夫ですから。その、こちらが少し差し出がましいことを申し出てしまっただけで。それより、面談の続きに戻らないと」

「面談って言ったって、その顔じゃ――ええと、今日は残り――?」

「三組です。それじゃあ教務主任か、学年主任を呼んでいただいてもらっても?」

「わ、わかりました。すぐ戻ってきますから、南風原先生は動かないでください。頭を打ってるかもしれませんから」

 

 閉め切りと書かれた扉に向かう年配教員の背を見送り、後ろの扉から心配げに見ている次の家族に苦笑いで会釈をし、南風原はポケットのなかのボイスレコーダーを止めた。なにが起きたのか理解するには、今しばらくかかりそうだった。

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