三者面談:初日 斎藤家

 面談に来る生徒や保護者に序列をつけることはないが、それでも南風原個人にとって初日のハイライトと言えるのは、告発文を提出した疑いのある斎藤正人との三者面談である。それとなく、余計な波風を立てないように言質を取らなくてはならない。


 南風原は自宅から持ってきたボイスレコーダーを上着のポケットの中で立て、上からフラップを被せることで小型の風防付きマイクを隠した。彼は卒業論文で三十件あまりのインタビューを行っており、教職についた折、授業に役立てられないかと考え資料ごと持ってきていたのだが、実際に箱を明けたのは昨日が初めてだった。


 ――まさかこんな使い方をすることになるとは。


 と心中に嘆きながら、南風原は引き戸に近寄りながら言った。


「どうぞ、お入りください」

「失礼します!」


 間髪いれず、背筋を伸ばされるような返答とともにカラリと戸が開いた。中学三年生にしては大柄な、南風原より少し背が低い少年が、一片の緊張も見せず堂々と立っていた。傍らで、小柄で大人しそうな母親が苦笑いしている。


「すいません。この子、緊張してるみたいで」


 そうは見えないが。南風原は席に案内しながら言った。


「いえいえ、そんな。今日はお忙しいなかお越しいただきありがとうございます」


 席につき、資料を開き、さりげなくポケットのフラップを内側に入れてマイクを出した。


「斎藤さんはスポーツ推薦ですよね。――その後、どうですか? 実技試験の話とか聞けていますか?」

「はい」答えたのは斎藤正人だった。「去年の先輩で同じトコに推薦で行った人がいるんで、聞いときました」


 すぐに母親の口が『ちょっと』と動き、南風原に目配せして小さく頭を下げた。彼は目だけで少し待ってと合図し、話の先を促す。


「去年の推薦っていうと――サッカー部ではないよね?」

「そうなんスけど、それ言ってると話聞けそうな人いなくて――」

「マサくんっ」


 たまらず斎藤の母が声を上げた。


「言葉遣いっ。先生に失礼でしょう? 面接と同じだってママ前も言ったよね?」

「ちょっ、母さん――」


 この親子のやりとりと見るのは三度目になる。正人がバツが悪そうに頬を赤らめ、母親が細かく注意する。正直、成績を含めて心配はない。懸念があるとすれば実技試験とくだんの面接くらいだろう。


「大丈夫ですよ、お母さん。面接のときはちゃんとやれるよな?」


 まるで父親のような喋り方になってしまうが、それを許容する気配が斎藤家にはあった。正人は「もちろんッスよ」と胸を張り、母親がため息をつきそうな顔をする。だから南風原は続けて言った。


「じゃあ、帰りに面接の練習予約、三回は入れておくように」

「はっ!? 三回!? 多くないスか!?」

「マサくんっ!」


 また始まる前に、付け加える。


「まあ心配してるのは実技試験だけなんだけど、受験っていうのは万が一に備えるのが一番、大事なんだよ。結局は第一志望の練習にもなるしね。そうは見えなくてもお母さんが緊張してると仰ってるし、面接は回数をやれば慣れるから」


 斎藤正人はやんちゃそうな気配からは想像できないほど真面目なところがある。もちろん、そうでなければ部活動で一目を置かれることもないが、運動部の生徒にしては珍しく授業態度も褒められている。


 だからこそ――と、南風原は思う。

 志望校のリストと日程を確認し、一般入試の場合に備えて注意点を伝え、ではこのあたりでと時間より少し早く終わりそうになった頃、南風原は訊ねた。


「――と、そうだ。斎藤さん、文集のことについてちょっといい?」

「へ? 文集?」


 正人の顔が強張った。と、同時に斎藤母も。

 まさかと生唾を飲み込んで南風原は言葉を選んだ。


「すごく良いこと書いてあったから、言っておこうと思って」

「うぇ!? 読んだんスか!?」

 

 情けない声を出す正人の横で、母親がホッと息をついた。


「そりゃ読むさ。変なこと書いてあったらまずいし。でも、よく書けてたよ」

「あ、ありがとうございます。――実はその、母さんにちょっと見てもらって」


 照れながら言う正人の肩を、母親も恥ずかしそうに叩くフリをした。もう答えをもらったようなものだ。それでも念には念を押し、南風原はボイスレコーダーのマイクを隠すと、教室の外まで見送りながら正人に言った。


「先生、てっきり赤西さんあたりに見てもらったのかと思ったよ」

「赤西?」


 正人が言って、親子は揃って振り向いた。不思議そうな顔をしていた。


「赤西って……えーっと……」

「ほら、あの書道教室のところの」


 記憶を手繰ろうとする息子を助けるように母親が付け加えた。南風原は平静を装いながら、すぐに続けた。


「提出が早かったからさ。一緒にやったのかなって思って。昔からの友達だったりすると一緒にやる人も多いから」

「や、しませんって! なんか恥ずかしいじゃないスか!」


 正人は羽虫を払うように手を振った。


「てか俺、赤西さんとか、ほとんど話したことないかも。同じクラスになったの初めてだし」

「そうなの? 小学校とかは?」

「いや学区が全然ちがうッスよ」


 そう言って快活に笑う正人を試すように、母親が目を細める。


「ホントぉ? 可愛い子がいるって言ってたの赤西さんだったりしない?」

「なっ。違うし! 本当に話したことないから!」

「ダメよ? 赤西さんのとこのお母さん、すっごく怖いらしいんだから」


 ――怖い? 南風原は前回の三者面談を思い出す。赤西鈴璃によく似た、目立たない女性だったように記憶しているが、顔の記憶が曖昧で判然としない。


「そうなんですか?」


 と、南風原が横から訊ねると、驚いたように斎藤の母が振り向き両手を振った。


「あっ、やっ、その、ご、ごめんなさい。先生がいるのすっかり忘れちゃって」

「母さん……」


 カクンと正人がうなだれて、母親はごめんなさいねぇと南風原の肩を叩き会釈しながら部屋を出ていった。片手を振って、挨拶の代わりとし、引き戸を閉めて。


「……怖い?」


 南風原は首を捻った。ともあれ、初日は乗り切った。斎藤正人は当初の予想通りシロだろう。それが分かったことで不安の種が一つ消えてくれた。

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