三者面談
十二月の三者面談が始まると職員室の空気は一変する。一年前も、二年前も――当時はクラスを受け持っていなかったが――これから一年で最も長く苦しい時期に入るのだと否が応でも自覚を求められる。
進路指導室に置かれている面接指導の予約表には多数の名前が並び、授業時以外は閉ざされている三階、多目的室1は受験対応本部として利用される。さながら戦場かあるいは刑事ドラマの合同捜査を思わせるが、あながち間違いでもない。
教員たち、特に三年生を担当する者は、今日から始まる生徒一人一人の苦悩や悲喜を受け止める覚悟を持って、共に生き残らなければならない。その厳しさの先陣を切るべく、朝礼の場で教務主任が息を整えた。
「――みなさん、本日から三年生の三者面談が始まります。三年生を担当される先生方は幾度となく辛い思いを、苦しい思いをされるかもしれません。しかし、どんなに苦しくとも、まわりを見渡せば頼りになる仲間がいます。手が足りなければ遠慮なく申し出てください。抱えきれなければ打ち明けてください。教職員一丸となって乗り切りましょう。そして、生徒たちと一緒に、卒業式を笑顔で迎えられるよう、共に戦っていきましょう――」
まるで軍隊――決死の出撃前に聞く演説だ。
しかし、現実に南風原を含む三年生の担当教員は皆、顔つきが変わった。
「――特に。南風原先生」
「はい」
「みなさんもご承知の通り、南風原先生は今年はじめて三年生のクラスを受け持っておられます」
「クラス担任自体が初めてですけどね」
そう一言つけ加えると、高まり続けていた緊張が一瞬、解けた。教務主任も表情を和らげ首肯する。
「――ですから、ベテランの先生方は積極的にサポートをお願いします。もちろん、ベテランでない先生方も」
職員室に失笑が広がる。教務主任が目を厳しくして、南風原を見やった。
「南風原先生も分からないことがあったら迷わず相談されるように。いいですね」
「はい」
頷き、南風原は職員室を見渡してから頭を下げた。
「みなさん、よろしくお願いいたします」
「――では」
教務主任が声を明るくして言った。
「みなさん、本日も元気よくいきましょう!」
とてもではないが、すでに悩みがありますとは言えない空気だった。しかもそれが、生徒を陥れようとする告発文ですなどとは。
三日に渡る三者面談が始まると、授業は午前の分だけで終了となる。提出物を回収したら生徒たちの手を借り、教室の形を作り変えていく。いつも使っている学習机は中央に四脚を残してすべて後ろに下げられ、教室前方の扉は封鎖のうえ閉め切りの張り紙が貼られ、廊下に四脚の椅子が並ぶ。
面談が長引いた場合や、早くに到着した場合はそこで待つ。窓際から日差しが入ってくるとはいえ、冬の廊下は寒く、椅子は冷たく固い。暖房器具は数が足りない。すると公立校では暖かい格好でお越しくださいと
受験前の保護者および生徒たちのストレスは尋常ではない。過酷な環境もあって順番待ちが長引けば具合が悪くなる人間も出る。それゆえに、教員たちは頭を絞り尽くして限られた時間を割り振っていく。話すことの少ない家庭を前に、長引きそうな家庭を後ろに置くのが基本で、可能なら交互に、そして隙間なく詰め込んでいくのだ。
当然、教員側に休む暇などない。よほどでもない限り、ちょっと用足しにという一言すら不興を買いかねない。保護者にとって我が子は唯一無二の存在であり、教師にとっては――たとえそのつもりがなかったとしても――所詮は四十人からなる生徒の一人かのように映ってしまうのだ。
スケジュールは可能な限り正確に守り、不平等感を与えないこと。教員としての能力とは別に求められる技能といってもいい。長引いてはいけないし早く終わってもいけない。事務的と取られないよう時間を管理をするために使える道具は、用意してきた資料と日々の記憶だけだ。
机のセットを終え、予定表を確認し、腕時計を見て、息を整え、資料を開く。教室後方の扉がノックされ、母親の声が名字を告げる。南風原は席を立って出迎えた。
「どうぞ、お入りください。扉は閉めていただいて」
保護者用の椅子を引き、続いて生徒用の椅子を引き、手を躰の前に揃えて頭を下げる。
「本日はお忙しいなか、お越しいただいて、ありがとうございます」
すると、慣れた生徒が言う。
「俺が来てもありがとうとか言われないのに」
もちろん冗談で、保護者が肩を叩いたりする。すいません。失礼しました。いえいえ。いつも心のなかではありがとうと思っているんだぞ。嘘だあ。また肩を叩く。
「では、そちらのお席に。まず志望校についてですが――」
資料を開いて、前回までの相談と一緒に話を始める。十二月の三者面談までくるとほとんど意思の確認だけになる。推薦を考えている生徒については評点の話や注意点を伝える必要があるが、一般入試を目指すなら最低でも挑戦校・第二志望・滑り止めの三校についてリストを確認し合う。
「あの、この子、危機感が足りないみたいで……」
そんなことを言われても動じたりはしない。南風原は生徒の様子を目の端で確認して評定を見せながら言う。
「自信があるんですよ。そうだよね? でも油断しないように。去年までの問題が解けていても、今年は少しレベルが上がる可能性があるから」
三年二組の保護者のあいだではいつの間にやら南風原の学歴が共有されており、まるで受験のプロのような扱いをされることがままあった。とんでもない。あの頃も今も必死になってるだけですよ。なかなかそうは口にできない。
「――おっと。そろそろ次の方が参りますが、最後に何かございますか?」
たいていの場合はない。礼を言われ、礼を返し、次の家庭が入室してくる――。
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