欺瞞の相談③

 しんと静まる家庭科室で、南風原の喉が鳴った。


「あー……実はその、アマネルに教えてもらって思ったんだ。なんとなく映画とかドラマとか見てると自白させて解決! みたいな流れになるけど、なんか説得力に乏しくないかって」

「ふむ」


 ブチョーの相槌に応じて、アマネルがテーブルに突っ伏したまま顔だけ上げた。


「アリバイ崩しとかそういう話? だったら最初に話したよね?」

「あー……うん。それは分かったんだ。わかったんだけど、ほら、いくらメモとか取ってもさ、けっきょく言った言わないで犯人が言い逃れできないかなって」

「ああ、まあそりゃね。だから厳密には背理法とかで人物を特定したり、指紋だのなんだのの物的証拠が――」

「はい?」


 ホノミンが小さく挙手し、すかさずブチョーが指さした。


「はいホノミン早かった! 証言とかけて物的証拠と解きます! その心は!?」

「え? え?」


 たおやかに当惑したのち、ホノミンは大人びた流し目に乗せて言った。


「音声データはおやつに入りますか?」


 中身は子どもだ。ククッと傾くホノミンの首に合わせて、南風原の頭も傾いた。

 パン! とブチョーが顔の前で手を叩き、神妙な顔をして言った。


「うまい。無論、入ろうというもの。私ともなれば推しの声があるだけで――」

「リッカ?」


 アマネルの鋭いツッコミにブチョーが咳払いを入れた。


「失礼。けれど、トモキンや。ホの字の答えが正解であろう。違うかね」

「あー……なんだその口調」


 繰り返しのやりとりに笑みを零し、南風原は頷いた。


「けど、そうか。記録に残せば物的証拠になるのか」

「その場で否定することは可能でも、同じ機器で録音して鑑定にかければ、同一人物の発話であると同定できますからなあ。ああ、無論、映像でも構いませんぞ」

「なるほど……そうか……」


 そんな単純ことにすら気づけないのか、と南風原は自嘲気味に笑った。湯呑に残る冷めきった紅茶がむせそうなほど渋く感じる。ボイスレコーダーなら学生時代に使っていた物がある。見つからなくてもスマートフォンで代用可能だ。問題は、それが許される行為か否か――。


 ――教員が三者面談のやりとりを録音するなんて! 


 南風原は脳が痺れるような感覚に陥った。これまで要求されたことはないが、生徒の側が録音を求めるならまだ分かる。ほんの十分、十五分の会話を指針に将来にわたって影響をおよぼす選択をしなくてはならないのだ。

 

 しかし、教員が生徒とその家族との面談を録音する意味は? いや、関係ない。なにも分からなければ、必要がなくなれば、誰にも言わずに消去すればいい。今までだってそうしてきたじゃないか。告発文を手にしたとき、大事になる前に止められると考えて、誰にも報告しないできたじゃないか。


 手のひらで顔を覆い、南風原は胃の痛みをこらえた。タールのように黒く重く粘りついてくる感情。不安に恐れ、焦燥、罪悪感、後悔、悲愴……それが何かは表現し得ない。

 

「先生? 大丈夫です?」

 

 気遣うようなおっとりした声に顔を上げると、ホノミンが形の良い眉を悩ましげに寄せていた。


「忙しいなら、無理して書くことないと思います?」

「うん。私も同意見だね」


 すぐ隣のアマネルも頷いた。


「躰を壊してまでするようなことじゃないよ。部誌だだって言っても、先に稿を集めきらないといけないし」

「……ああ、うん」


 南風原はこみあげてくる吐き気に耐えながら言った。なんでもない普通の会話にすら過剰反応する自分がいた。


「文集、原稿……そうだよな。いまは目の前ことを優先しないとな」


 知らず復唱する南風原を横目に、ブチョーが演技がかった仕草で腕を組んだ。 

 

「私は保留としておこうかの」

「え」


 と振り向く南風原以下三人の視線を受け止めて、ブチョーは丸椅子をガリガリと滑らせ距離を取った。すらりと脚を組み弁明するように両手の平を向けた。


「ほら、教師とは無理を無理とも思わないで無理してる生き物であるからして。いま目の前のことなどと考えるようでは、トモキンともなれば何もかもを最優先しかねんなと思った次第なのだ」

「なのだって」


 アマネルが口を曲げた。南風原は否定できずにいた。ホノミンは、パチパチ丸い目をしばたいていた。

 ブチョーは言う。 


「そこで、もうそろそろ二年もの付き合いになろうわたくしめから、一つだけ助言を送らせていただきたく思うのだが、如何いかがか」

 

 和ませようとしての奇妙な口調なのだろう。南風原は失笑のち首肯した。

 ブチョーが丸い眼鏡を押し上げた。

 

「これは小説を執筆する際の助言なのだが……トモキンよ、筆を取るときだけでよいのだ、教員でることを捨てられよ。題材に生徒会選挙を選んでしまったゆえに、役に引きずられてしまったのだ。描かれる教員はあなたではない。描かれる探偵もまたあなたではない。描くのは南風原智樹という人間その人なのだよ。覚えておくといい。


 万雷の拍手を幻聴でもしているのか、ブチョーはパタパタと振った。アマネルも、ホノミンも、南風原ですら、呆気にとられていた。


 よき教員はよき探偵になりえない。

 どういう意味だろうか。分からない。

 けれど、


「とりあえず……励ましてくれてるのかな?」


 南風原が真意を窺うと、ブチョーは力強く頷き立ち上がった。


「さあ仕事にきたまえ、トモキン! 若き文学部の顧問よ!」

「……若きって、君らには言われたくないなあ」

「くれぐれも暗黒面ダークサイドに落ちぬよう気をつけるよう」

「『人の話を聞きません』って担任に書いてもらおうか?」


 はっきりと聞こえるように、ブチョーがフンと鼻を鳴らした。


「ご心配なく。私はい子でありますゆえ」


 まるでカーテンコールを受けた女優のように、ブチョーはスカートの裾をつまんで跪礼カーテシーをした。

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