南風原智樹の推理

 南風原は藤原千桜かずさの情報を掘りながら最悪の可能性を考慮する。推薦枠の確保だ。千桜の成績は赤西鈴璃とさほど変わりない。出欠の状況も良好で今からでも推薦を願えば校内の推薦会議レースに乗せられる。

 

 志望校側から指定されている枠は三名で、同性は二名までとなっている。つまり男子二人に女子一人か、その逆だ。幸いと評していいものかどうか、文系に偏っているため志望者多くないが、女子がほとんどでもある。仮に鈴璃に対する告発文が露見すれば、彼女の推測の通りに推薦文が書けない旨の返答を出すことになる。


 南風原は早くも胃がキリキリと痛みだすのを感じながら、状況の整理を試みる。


 鈴璃は家業の一つに書道教室があり、長くに渡り個別指導を受けているも同然であるため推薦枠を与えやすい。


 一方で、千桜は小学校の段階で同教室を辞め、中学からは陸上部に所属している。大会実績は乏しく、あっても推薦事由にするには心もとないのが実情だ。


 しかし、もし鈴璃の枠が一つ減ったとしたら。


 推薦枠を勝ち得る筆頭候補が消えると残りは団子状態になる。今週に予定されている三者面談は最終的な意思確認の意味合いが強いが、推薦を希望する最後のチャンスでもある。


 ――希望されたら、難しいと答える。


 頭に浮かんだ文言を、南風原は慌てて振り払った。難しいのは事実だが、よほど絶望的でもない限り、拒否するのは教育者としてあるまじき行為だ。そこまで思考を進めたところで、南風原の脳裏に一つの疑惑が湧いた。


 もしや。


 もしや、この告発文は。


 ――


 南風原は机の一番下の、鍵付きの抽斗ひきだしを一瞥した。その奥に封印してある、告発文を。

 

 もし、千桜との面談で推薦を希望されたとして。


 拒否したら告発を知らしめるようにばら撒く。あるいはSNSを介して教職員や相手高校にも伝わるよう暴露する。受け入れたら、鈴璃を弾くよう画策を求められる。もしくは千桜を通さなくてはならない。同じクラスから二人を通そうとすれば卓越した内申が要求される。落としたら同じだ。やはり告発を世に晒す。


 回避する道は、千桜を通したうえで告発文を握りつぶすしかない。

 

 そう、要求しているのではないか。


 バタバタと教員たちが戻ってくる音が聞こえ、南風原は我に返った。落ち着け。言い聞かせる。可能性の話だ。まだ確定したわけじゃない。数日前、から送られてきたと注意事項を見返す。物的証拠や自白がなければ断定することはできない。


 問題はそこまで持ち込めるかどうか。

 そして、第二、第三に起こりうる悲劇をいかにして予見し、止めるかだ。


「――ばる先生。南風原先生!」

「えっ、はい!」

  

 名を呼ばれ、顔をあげると、黒髪にコンタクトの生田真里が気遣わしげに眉を歪めていた。


「大丈夫ですか? なんだか顔色が――」

「全然平気です!」


 思いの外、大きくなった声に、隣席の年輩教師が笑った。


「お若い人が二人揃って体内なんとかの機嫌を損ねるのは感心しませんなあ」


 もちろん、冗談だ。少々キツいタイプだが。

 真里がおねだりする少女のように年輩教師を拝んだ。


「ホント次から気をつけますから、勘弁してくださいよお」

「ハハ。ほら、お二人とも急がないと。また体内時計がなんとやらですよ」


 言われて壁の時計を見上げると、一限が始まるまでもう間もなかった。

 

「危なっ。すいません、ご心配ありがとうございますっ」

 

 南風原は手早く授業教室を確認して準備をすませ、職員室を飛び出した。

 事情を知らない生徒たちに平静を装い授業をし、内心で焦りながら廊下を移動し次の準備を始め、合間に書類をつくり、また移動して――仕事に忙殺されるうちに不安を感じる余裕すらなくなり、気づけば南風原は教室でノロノロと給食を食べていた。


 考えている時間がない。ふと教室を見渡すと、先に食事を終えた生徒たちが食器を片付け動き始めており、容疑者候補の斎藤正人など気晴らしに校庭に出ようとすらしている。つい、千桜の方に目をやると、またしても視線がかち合い、小首を傾げられた。表情筋に無理を言わせて曖昧に笑い返し、給食を詰め込んでいく。


「……先生? 大丈夫ですか」

「むぐ!?」

 

 南風原はむせそうになりながら顔をあげた。千桜がいた。


「えっ、ちょ、大丈夫、先生」


 慌てる千桜に、南風原は片手を広げて少し待ってと合図した。一度、二度と咳払いして、目に溜まった涙を拭いながら振り向く。


「んんっ! あー……よし。何? どうした――」


 一瞬、普段、なんて呼んでいたかと思った。


「藤原さん」

「どうしたって」


 千桜は訝しげな目をして、腰に両手を据えた。


「朝も、さっきも、目ぇあったから」

「……なんか、そういう日ってあるよね」

「え?」


 ますます疑わしそうに眉を寄せた。どう話すべきか。いや何を話すべきか。まさか声をかけられるとは思っておらず、南風原の頭は空白に支配されていた。


「あー……三者面談のこと考えててね。藤原さんの志望、朝ちょっと見てたから」

「はあ」


 それが? と続きそうな顔だった。


「いや、それだけでさ」

「ええ……?」


 なにそれ、と幻聴すら聞こえる。けれど、


「あ、でも、推薦のこととか、ちょっと聞きたいかもです」


 そう、何の気もなさそうに放たれた言葉が、南風原の心臓を抉った。

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