真里の証言?

 駅から遠ざかる方向に住宅街を進むと、再開発による区画整理から逃れた裏路地に古めかしい飲み屋の列の名残があった。薄ら黒くなった大きな赤ちょうちんを吊り下げる、油っこくねば光る店構え。換気ダクトから流れでる炭火の匂いが冬の寒気に当てられて煙のように広がっていた。


「……なるほど。これは女性一人では来にくいですね」

「でしょう。でも私、焼き鳥屋があるとレバーを試さずにいられないんですよ」

「まあ、宿命サガなら仕方ないですよね」


 南風原は引き戸を開いた。想像と異なり、若い店員が威勢よくいらっしゃいと声を張った。カウンター席と四人がけのテーブル席が四つ。客の入りは程々で、ねじり鉢巻にマスク姿で焼き場に立つ大将の頭の上で換気ダクトが唸っている。さすがにオシャレとは言い難いが、店の外観に比べれば清潔感があった。


「二名様で!」

 

 という、質問とも宣言とも取れない声に返答する間もなく二人はテーブル席に案内された。さっそく店員が伝票片手にボールペンの尻を押す。


「お飲み物は!」


 早い。南風原はまだメニューも見ていない。気のせいか少しべたつくお品書きを手に取ると、真里が言った。


「南風原さん、ビールでいいですか?」

「え、あー……」

「生二つでお願いします! それとレバ串!」


 本当に初めて来る店なのだろうか。店員の、ジョッキかグラスか、タレか塩かの確認と復唱を聞きつつ、一杯だけならまあいいかと南風原はネクタイを緩めた。

 

「んではとりあえず、お疲れ様です! アンド、これからお疲れます!」

「なんですか、お疲れますって」


 霜のついたジョッキを軽く打ち合わせ、黄金色の液体を喉に通す。みる。朝早く夜遅い生活で、酒を好むでも嫌うでもないため、飲む機会は少ない。それでも染み渡るという感覚は分かる。感嘆の声をこらえる南風原をよそに、真里は遠慮なく天にうめいてから言った。


「あれです、三年生の担任はこれから忙しくなるでしょうから、前慰労です」

「前慰労――決起集会みたいなものですか」

「ええ、そんな感じです。持ちコマ減らせー、みたいな奴です」

 

 真っ先に到着したレバ串に食らいつき、真里は舌鼓を打った。


「若いんだから二十四コマくらいでヘタれるな、ですって。キツくないですか?」

「クラス付きになるとそこに最低二コマつきますよ? 部活も入れると――」

「……だから私、クラス持たせてもらえないんですかねえ?」

「なんでそんなに担任やりたいのかが分からないですけど」

「どうしてでしょう。青春を共有したい、とか?」


 南風原は運ばれてきた盛り合わせを間に置いて、あらたにビールを頼んだ。


「あー……そのへんが学校方針と合わないとか」


 教員の役割は『一緒になって』と示されることも多いが『見守って』と表現されることも多い。どちらも指導方針と呼ばれる個人のスタイルであり、校長らの考える学校方針とのすり合わせがいる。学校は教職員すべてを合わせて一つのチームだ。求められた役割が違うと思う他に納得のしようがない。

 

 その後、真里の愚痴まじりの飲みは三十分ほど続き、南風原が烏龍ウーロン茶に切り替えた頃、三杯目に選んだレモンサワーを半分ほど飲み干して彼女は言った。


「遅くてもあと二年で異動ですもんねえ……いいよなあ、南風原先生は、部活もクラスも順調そうで」

「あの、生田先生、酔ってらっしゃいます?」

「酔ってるわけないでしょう」


 酔っ払いが確定した。絡み酒は困る。お茶か水を入れようと店員に挙手してみせつつ、そんな順調じゃねえよと南風原は内心で毒づく。そんな自分に多少の酔いを自覚した。


って、面白い子たち揃ってますよねえ」

「あれ。ご存知なんですか」

「そりゃあもう! 一年は例の、複数担任制のお試し期間中ですし、二年は元々、学年またぎでやってますからね!」


 南風原は店員に温かいお茶はあるか訊ね、二つ注文した。


「あいつら、どんな感じですか?」

「どんな……んー……」


 真里は気持ちよさそうに唸りつつ、五本目になるタレレバーを口に運んだ。


「あの凄い名字の子。燕子花かきつばたさん。あの子、不思議ですよね」

「ああ、常にちょっと語尾があがる」

「そうそう!」


 二つほど数を減らしたレバ串を楽しげに振るようにして、言った。


「燕子花さん、途中式が書けないんですよ。答えは合ってるのに」

「――なんだそりゃ」


 つい笑みが溢れてしまうが、想像はできる。


『答えは分かります? なんでか分からないけど?』


 そんな声まで幻聴する。


「あのちょっとツンとした男の子。花登くん。彼も特殊。文章題に変な疑問を突っ込んでくるんですよ」

「ほう」

「方程式の問題とかで、同じものを買って所持金が~とかあるじゃないですか。そういうとこに毎回『なんで?』って書いてあるんです」

「うわあ。触れたら面倒なことになるやつ」

「面倒って、酷い先生だなあ」


 真里はクフフと笑って串に残るレバーを食べきった。


「一回、聞いてみたんですよ。したら、そういうのが気になって問題に集中できないことがあるとかって。あれですかね、中二病?」

「なんで『なんで』が気になるの――って、言われてみると聞いたことないなあ」


 ヤバイ、緩んできてる。そう自覚はしていたにも関わらず、せっかくもらった温かいお茶を手元に置いて、気づけば真里のレモンサワーおかわりに続いて、南風原もウーロンハイを頼んでいた。

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