依の証言③
依はスマートフォンで時間を確認し、液晶に指を滑らせ始めた。南風原の視線を気にしてか、ふいに手首を立てるようにして画面を隠し、少し強くタップした。
「スズリを怨んでる人って言われるとわからないけど、怨んでてもおかしくないなって人なら何人かいますよ。誰でもそうじゃないですか?」
マセた子だなという思いと、もう数ヶ月で高校生なのだから当たり前だという思いが、南風原の胸の内で交錯した。口をついて出たのは、
「まあ、そうかもね。先生もテストのあととか凄い怨まれてるだろうし」
半ば当然で半ばありえない文句だった。自身の十年前を思い返してみてもテストに関して教員への怨みつらみはない。感謝も薄い。脱獄するのに必死で看守に注意を払う余裕なんてなかったともいう。
「社会科の先生でしたっけ」依は楽しそうに笑った。「女子の社会って、すっごく怖いんですよ? 仲良しグループにも序列があって、対等かどうか常に
「対等だと判断する目は相手を見下している」
依が頷くのを確認し、南風原は続けた。
「返報性の原理が働くから、相手も同じように自分を判定していることを前提にしている。外から見て対等な関係は内部では互いに見下し合っていて、外から見て対等とは思えない関係は、実は内部では別の要因で対等な関係を維持できている」
「そこまで難しく考えたことはないけど」
一瞬、呆気にとられたような顔をして、依は言った。
「スズリのグループは、スズリのおばさんの家に習字を習いに行ってるグループだったからね」
「リーダーは赤西さんで、他の二人は……グループ内での格が少し落ちる」
「本当のところ、どう思ってたかは知らないけど。でも、だから私をグループに入れるのに反対しなかったんじゃないかな」
「自分より格の低い友達が欲しかった」
言葉にしたことで、南風原の内側でいじめの起因が明確になった。狭いムラ社会に
「まあ、たぶんそんなとこだと思いますよ。いまもそういうのあるし」
「でも歪な友人関係は松本さんの行動で崩壊したんですよね? だったら、怨まれるのは松本さんなんじゃないですか?」
報復が怖い。いじめが露見しにくい一番の理由だ。
しかし、依は首を横に振った。
「グループのリーダーはスズリだから」
「そうか……」
どんなに小さなグループでも責任と非難は長に向かう。まして繋がりの原点は赤西家の書道教室――。
南風原ははっとして顔をあげた。
「もしかして」
依が頷く。
「二人は教室をやめちゃった。怨んでるかどうかは知らないけど、辞めたってことは距離を置きたいってことでしょ? 怨んでそうな子がいるなら、あの子たちでしょ」
「……その二人の名前、教えてもらえるかな」
「
――藤原千桜!
南風原は思わず声を声をあげそうになった。三年二組の生徒である。姓はありふれているが、名前はよく覚えている。春先に一度、名前を呼び間違えてしまい、名簿のふりがなを修正したのだ。
あまり活発な方ではないが三年間、陸上部に所属しており、進学先は中堅の公立高だったと記憶している。鈴璃と一緒にいる風景は思い出せないが、小学校と中学校では人間関係も激変してしまう。部活も進学先も違うのなら小学校の事情込みで納得のいく範囲だ。
「うん……よし」南風原は手帳にメモした二つの名前にグルグルと丸をつけた。「今日は本当にお忙しいところありがとうございました」
「もういいの? ……まあスズリのためだし、奢ってもらったし――別に忙しくもないですし、気にしないでください」
「いえいえ、本当に――ん? あれ? 受験勉強とか大変じゃないですか?」
「ウチは中高一貫だから。先生なのに知らないのまずくないですか?」
依が苦笑しつつスマートフォンを手にした。薄い板の向こうで指が滑る。両手に持ち替えた。
南風原は愛想笑いを浮かべながらティーカップを覗く。空になっていた。
「あー……とにかく。今日は本当に、ありがとうございました」
言って、伝票を抜いた。想像よりも高いがしばらくは使う予定もタイミングもないだろう。生徒のためと思い直せば使い道として立派な方だ。
「ごちそうさまです」依はスマホをショルダーバッグにしまった。「これでスズリの疑いは晴れましたか?」
「ん? ああ、もちろん。いじめの件はもう解決してる。被害者本人が言うんだから疑いようがないよ」
依に続いて、南風原は席を立った。
会計を済ませて店の外に出ると、依はスマートフォンの画面と人のごった返すショッピングモールを見比べ、南風原に振り向いた。
「あっちみたいです」
「了解です」
依に連れられてショッピングモールの中心に行くと、鈴璃は天使とも女神ともつかない像の立つ泉の前で待っていた。手にはちゃっかり買い物袋が下がっていた。
南風原は二人にあらためて礼を言い、少女たちが人混みのなかに消えていくのを見送ってから、深くため息をついた。ようやく肩の荷が下りたようだ。あとは明日以降に名簿と照らし合わせて、確証を得られたら本人に確認を取ればいい。
「……帰るか」
誰に言うでもなく呟き、踵を返そうとしたまさにそのとき、
「見ましたよー?」
と、聞き馴染みのある声が飛んできた。驚き、振り向くと、赤いアンダーリムの眼鏡を掛けた女が、おちょくるように目を細めていた。
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