松本依
平日だけならまだしも日曜もネクタイを選んでいると、ひょっとして教員の服装に裁量が認められているのは経費として請求されたくないからでは、と考えるだけ無駄となる疑義が頭に浮かんだ。
南風原はひとまず茶色のタイを手に取り首元にあてがう。パッと見は濃さの違う二色で織られたパターン柄で、近づいて目を凝らした者だけがどんぐりを抱える
タイを締め、グレーのジャケットに袖を通し、濃紺のトレンチコートを羽織る。三つ揃えでは堅苦しすぎる気がしてやめた。スマホを覗く。赤西鈴璃が指定したのは中学校から二駅離れた商業地域だ。待ち合わせの場所は駅前。まだ時間はある。
「……よし」
誰に言うでもなく呟いて、南風原は肩から鞄を下げてアパートを出た。
なめらかに滑る車窓の外の風景。なにをやっているんだろうかと自問した。告発文を受け取った時点で教務主任か、あるいは隣席の学年主任に報告していれば良かったのでは。経験豊富な彼らなら大事にせずに解決したはず。本当にそうだろうか。往年のやり方に従って鈴璃の過去が発覚したかもしれない。
電車が駅のアーチに潜ったのだろう、車内が薄暗くなった。四角い窓ガラスに難しい顔の青年が写った。南風原は眉間に寄った皺を中指で伸ばしながら、到着駅を知らせるアナウンスに引かれるようにしてホームに降りた。着膨れて人数の割に密度が高く感じる階段を登り、改札を抜けると、
「あ、先生! こっちです」
赤西鈴璃がそこに横断歩道があるかのように手を振っていた。改札の目の前だからそこまでしなくても分かるというのに。南風原は苦笑まじりに片手を挙げると、鈴璃の傍にいた少女が両手を膝の前に揃えて小さく頭を下げた。
「はじめまして、松本依です」
隣に立つ鈴璃に比べると、あか抜けた印象がある。幼い頃は親の転勤に合わせてあちこちを飛び回り、小学校を卒業すると私立中学校に電車通学だそうだから、その影響も少なからずあるのだろう。
「――えっと、スズリの学校の先生、なんですよね?」
薄く化粧の乗った丸い瞳が胡乱げに細められ、南風原の頭の天辺から爪先までを観察する。南風原は「はい。そうなんです」と愛想よく返事をしつつ、胸ポケットから名刺ケースを出した。渡せば後々、悩みの種になりそうなのは分かっていた。けれど今に限ってはAT限定の運転免許は身分を証明しないし、教員免許状は本人確認の用を成さない。必要なのは校章と代表番号の書かれた紙なのだ。
「……みなみ、かぜ……はら?」
「はえばる、です。赤西さんの、三年二組の担任をさせてもらっています。あー……赤西さんから事情を聞いているかもしれませんが――」
説明している途中で、松本依が口元を隠して肩を揺らした。
「ごめんなさい。話し方が……」
「話し方?」
「なんか、学校の先生だなあっていう感じで。そう思ったらなんか面白くなってきちゃって」
そう言って、依は鈴璃の肩を手のひらで叩き、コロコロと笑い出した。もっと硬い対応をされるかと思っていたが、心配はいらなそうだった。大人と話すことに慣れているのだろう。
鈴璃と依に連れられ、南風原は周辺で最も大きなショッピングモールに入った。休日だけあって目を離せば見失いそうなほど混んでいる。家族連れの姿も多く、生徒を含めた学校関係者がいるのではと、南風原は伏し目がちに歩いた。
お目当てはケーキと紅茶の店らしく、名前こそ聞いたことがないが、店内の七割は女性で占められていた。雰囲気も悪くはないものの、店内では珍しい男性であり女子中学生二人と向き合っているために自然と背中が丸まっていく。
「そんなに気にしなくても、ウチの生徒はあんまり来ませんよ、ここ」
南風原の心中を見透かしたように、鈴璃が言った。
「ちょっと高いんです。……もちろん、奢ってもらえるんですよね?」
「あー……まあ、そうなんだけど、人に話さないようにな?」
噂になったら厳重注意で許してもらえないかもしれない。
依が店員からメニューを受け取り、開きながら言った。
「大変なんですね、公立の先生って」
「へ?」
「ウチの学校の先生とか、購買とかで普通に奢ってくれたりしますよ?」
「あー……うん。まったくダメってわけじゃないと思うんだけど――」
南風原はテーブルの端に置かれたオススメを横目に冗談めかして答える。
「単に俺は財布が心もとないんだな」
――? 返答の遅さに顔を向けると、依が楽しげに笑った。
「本当に先生だ。安心しました」
いままで疑っていたのか、と左のこめかみを指で押しながら、南風原は店員を呼んだ。二人が決めるのを待っていては、いつまでも本題に入れなそうに思えたのだ。
南風原はいち早くダージリンをストレートで頼み、頼みすぎないようにお願いするよと付け加えた。頭の中は、鈴璃が席を離れてから依に聞くべきことでいっぱいになっていた。
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