赤西鈴璃の証言③

 南風原はメモを取っていた手を止め、顔をあげた。


「終わった? いじめが?」

「そう言ったじゃん……」


 鈴璃はリュックに顔を埋めたまま、呟くように言った。


「ヨリにキレられたの。みんなが教室にいるときに」


 前触れはなかった。その日もいつものパターンの一つのように、朝の挨拶を無視して、しばらくしてから冗談だってと肩を叩いた。依は振り向きざまに叫んだ。


『そういうのもうやめてよ!』


 昼休みで人が少ない時間だったらまだしも、一限が始まる前で、教員が教室に入ってきたときだった。依はもううんざりなのだと訴えた。泣いていた。授業は止まり鈴璃と依には面談が待っていた。


「泣くほどとは思ってなかった。だから、だから……びっくりした」


 鈴璃はもう一枚ティッシュを抜いて、リュックで顔を隠しながら鼻をすすった。

 その先は南風原にも予想できた。いじめ対策推進法がある。いまだ不十分でも昔に比べれば対応は篤い。教員間で情報共有され、親に連絡がいき、該当の生徒が特定され、内容如何では教育委員会への報告が検討される。鈴璃の場合はその手前で形ばかりの和解となった。


 形ばかりというのは、いじめが続いたという意味ではない。しばらくのあいだ関係は戻らなかったということだ。その後、鈴璃と依が再び邂逅したのは秋の夜だった。


「本当に偶然、ヨリに会ったんです。それで公園に行って、話をして――」


 依が夜の街にいたのは学習塾の帰りだったからだ。そこで初めて教えられた。


「ヨリは私立の中学校に行くから、ちゃんと謝りたかったって――でも、謝らなくちゃいけないのは私のほうで」


 鈴璃は和解した。抱き合って泣いたという。依の進学先は電車通学で一時間ちかくかかるため直接に会うことは稀だが、いまでも時たま連絡を取り合うという。


「……事実関係はわかった」


 南風原はボールペンで手帳を叩きながら考えた。

 告発は事実だが、過去の話だ。となれば、告発文は現在の鈴璃と依の関係を知らないか、あるいは意図的に無視している。

 

「他にいじめのことを知っている人は?」

「……同じ小学校の子なら、みんな知ってます」


 当然だ。教室で発覚したのだから。鈴璃は、


「仲直りしたのを知ってる人は?」

「友達に話したりはしてません。でも、それからは教室で話したりはしてました。だから、やっぱり、みんな知ってるんじゃないかと思います……思いたいです。でも」

「でも?」

「一回ついたイメージは変わらない……」


 鈴璃の消え入るような声に、南風原は同情した。そうだろうと思う。事件によって貼られたレッテルは簡単には剥がせない。少なくとも、小学生が生きる無限にも感じられる数ヶ月ではなかったことにはならない。イメージを変えるにはもっと大きなイベント――たとえば、進学などで環境がリセットされる必要がある。

 

 ――だから怯えていたのか。


 南風原は胸のうちに呟いた。鈴璃は加害者として過ごす苦しさを知っている。広まった悪名の効果も。また、最悪の事態として推薦の取り消しまで思考が進むのだと。


「よし。だいたいの事情はわかった。とにかく三者面談前に聞けて良かったよ。和解してるなら大丈夫。ただ――念のため、松本依さんからも話を聞きたいな」

「……先生、私のこと信じてくれないんですね」


 諦めにも似た声が、リュックの壁を貫いて飛んできた。

 咄嗟に南風原は弁明する。


「違う違う! 信じてるに決まってるだろ? 万が一のときの……保険みたいなものだと思ってくれ。いちおう会ってみて、松本さん側の認識も確認して、推薦に影響がでそうだとか、そんなことがないように、必要なら証言を頼もうと思ったんだ」


 ほとんど話しながら考えた提案だった。正直なところ、いくら受け持ちクラスの生徒が相手だとしても深入りしすぎだ。

 しかし、いまは事態の収束と鈴璃の平穏を取り戻すことを優先すべきとも思えた。


「それで……俺から直接連絡したりしたら怪しまれるだろうし、下手したらもっと大きな騒動になるだろうし、赤西さんから連絡が取れるようなら会えるように約束を取り付けてくれないかな? えーと、場所は……」


 南風原は少し空気を緩めようと声を明るくした。


「コーヒーショップとか、流行ってるスイーツの店とかでも良いぞ。もちろん、お金は俺が出すし……あ、でもあれだ。お母さんには内緒な? 俺はほら、公務員だし、教員だし、せっかく静かに解決しようとしてるのに、バレたらクビになるかも」


 くふ、と鈴璃の肩が揺れた。ようやくリュックから顔を出し、伏し目がちに言った。


「わかりました。連絡してみます。……私も一緒でいいですか?」

「あー……会うまでなら。話を聞くときは別々のほうがいいと思う。信憑性しんぴょうせいって言って……まあ、社文系のインタビューなんかはそうやるんだ。向こうには先生と学校の名前を教えてあげて。ホームページの教員紹介に顔写真が載ってるから。なんか硬い顔してるやつね」

「わかりました」


 鈴璃は笑みを取り戻した。手の中で潰れたティッシュを一瞥し、あたりを見回す。

 南風原は首を振り、棚の前に置かれた小さなゴミ箱を取って捨てさせた。


「それじゃ、今日はこれでおしまい。ちょっと時間伸びちゃったな。ごめんな」

「いえ、いいんです。これでお互いに秘密ができましたし」

「――なんだそれ」


 苦笑し、南風原は鈴璃が一礼して扉の外に消えていくのを待って、机に躰を投げ出した。


「……やらかした」

 

 鈴璃の言う通りだった。松本依に会えば後戻りはできない。見つかれば変な噂が立ちかねない。できるだけ学校から遠い店にしてもらおう、と南風原は思った。

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