赤西鈴璃の証言
帰りのホームルームで卒業文集の原稿を催促すると、新たに一通が提出された。生徒は注目されて恥ずかしそうにしていたが、南風原にとっては都合が良かった。先日までとは違い、今日は見えるように
それから赤西鈴璃に目配せをして、職員室で空き室を探した。通常なら進路指導室に連れていくべきなのだが、参考書や受験案内なども集積されているため、今の時期は利用者も多い。しかたなく、南風原は社会科資料室の鍵を取った。
「悪いね、こんな部屋で。ちょっとほら、センシティブ? な話だから」
「センシティブなんですか?」
鈴璃が微笑しながら首を傾けた。拍子に黒髪に浮かぶ光の帯が上下する。
人形みたいな子だと印象したのは、笑みがぎこちなく見えたからかもしれない。
資料室の扉を開くと、流れ込んだ冷気が回せたのか、細かい埃の粒が窓から差し込む冬の光線に煌めいていた。
壁に沿うように置かれたアルミの棚にみっちりと資料という名の廃棄物候補が詰まっている。ときおり飛び出している冗談みたいに大きな書物は、誰も見ないが廃棄するには忍びない、寄贈品らしき海外版ナショナルジオグラフィックだ。
棚の前にはロール状にまとめられたA
「ごめんな、変な場所で」
「いえ、別に――」
そう言って、鈴璃は物珍しそうに首を巡らせ、物だらけの長机に顔をしかめた。南風原は慌ててパイプ椅子を広げ、長机の入り口に近い側の角に置いた。鈴璃は机に置くのを諦めたのか、椅子に腰掛けるとリュックを膝の上に抱えた。
「いや本当に申し訳ない」
その姿を横目に見つつ、南風原は扉を薄く開いて隙間にポスターを立てた筒を挟み込んだ。ドアストッパーの代わりだ。生徒と異性教員が一対一になる場合は扉を開けておく決まりがある。同性ならば不問なのは奇妙だし指摘されることで却って不穏に感じなくもないが、ことさら文句があるでもない。お互いのための措置である。
「それで、聞きたいことってなんでしょうか」
鈴璃に真っ直ぐな目を向けられ、南風原は角を挟むようにして座りながら言った。
「うん。本当にいまの進路希望でいいのかなっていう……」
「――と、言うと?」
「あー……」南風原は我知らず唇を湿らせた。「昨日、預かった文集の原稿をチェックしてて、ちょっとだけ気になったから、確認だけさせてもらおうと思って」
鈴璃が驚いたように瞳を大きくした。
「私、なにか変なこと書いてましたか?」
「ああいや、内容は全然、まったく問題なかったんだけどね。個性を書き切る力がない、だったと思うんだけど、そういうことが書いてあったから気になったんだ」
「……読んだんですか?」
鈴璃が意外そうに瞬いた。生徒からはそう見えていたのかと思うと、南風原は少し悲しかった。けれど、そう見えても仕方ないと思う自分もいる。
「文集として形が残るものだからね。いちおうチェックしておかないと。知ってるかな、実はこの学校のどこかに歴代卒業生の文集も残ってたりする。紙のもの自体はいずれ廃棄されるかもしれないけど、中身はデータ化して残っていくよ。たぶんね」
「……こんなふうにですか?」
言って、鈴璃は資料室を見渡した。
「そう。こんなふうに。だから読んで、気になった」南風原は背もたれに躰を預けるようにして鈴璃と少し距離を取った。「半年くらい前だったと思うんだけど、先生の高校選びの話をしたとき、質問してくれただろ?」
「――はい。よく覚えてましたね、完全に忘れてるだろうって思ってました」
またも意外そうだった。さすがに南風原も苦笑する。
「そりゃ覚えてるよ。担当クラスなんだしさ」
「担当だからこそ、どうでもいいものかなって」
「いやいや」
余計な一言だっただろうか。南風原は続ける。
「別の社会を見るっていうのは、別の考え方や別の価値観を知るって意味でもあるんだよ。いまの推薦だと文系コース一直線になるし、もちろんそれも中学校とは違うルールで回っているんだけど――」
「先生、何が言いたいんですか?」
鈴璃は一瞬、視線を鋭くし、部屋の壁――天井付近に彷徨わせた。時計を探しているのだろう。南風原は腕時計を見せた。まだ十分も経っていない。
「知ってるかもしれないけど、普通科の高校で文理選択をするのは一年の終わりくらいなんだ。なにも慌てることはないし、思うところがあるなら、三者面談で――」
「先生、書道って芸術分野なんです」
「――うん。赤西さんの原稿にもそう書いてあったね」
「それに私の数学の成績、知ってます?」
「もちろん」
「だったら、わかるじゃないですか」
「俺が一番成績を伸ばしたのはたぶん冬休み中だけどね」
ぎゅっと鈴璃の眉間に皺が寄った。いまになって言うかという顔だ。
南風原は頷くことで答えた。
「いま決めなさいってことじゃないよ。三者面談まで時間はあるし、ちょっと考えてみほしいっていうこと」
「……わかりました」
鈴璃が視線を逸した。へこんだ地球儀の方へ。
南風原はパンと手を打って続けた。
「それじゃ、もう一つ」
「まだあるんですか?」
むしろ、これからが本題だ。
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