第十七話「トラブルと親友」


「紅林……さん?」


「講義始まりますよ、センパイ?」


 そう言って笑いかけてくる顔に俺は胸がザワザワした。その顔で、その声で兄に抱かれたんだろ? 媚びてたんだろ? そう言いそうになる自分が嫌になる。


「……ああ」


 後ろの二人がうるさいが教授が入って来て大人しくなった。でも今は講義にだけ集中する。俺は……俺はどうしたい? この講義はまだ80分以上は有る。その後に俺は彼女と向き合えるのか?


「……パイ、先輩?」


(こういう時は気付かない振りだ……)


 小声で何か言ってるが無視だ。極力もう彼女には関わらない……それが絶対に良いはずで、お互いのためだ。


「ふぅ、木崎くん?」


「っ!? なっ……に?」


 だが俺は昔の苗字で呼ばれ高校時代を思い出し簡単に反応してしまった。


「こう言うと反応するんだ……ちょっと嬉しい」


「……用は、なに?」


「うん、今日はサークル出るよね? 部室の場所とかイマイチ覚えてなくて教えて欲しいなって……」


 その笑顔が、その慣れ慣れしさが昔を思い出させるのに今の君は違う。昔の一緒に頑張っていた彼女じゃない。変わった……変わってしまった。あいつにあのクズに変えられた……そう思うと怒りに我を忘れていた。


「ふざけるなっ!! 今さら、今さら何の用なんだよ!!」


「ちょっと、今、講義中!?」


 紅林さんの言葉でも止まらなかったが後ろの二人も反応していた。


「おい、北城!!」


「落ち着け御曹司!!」


「……あっ!? す、すいません!! しっ、失礼します!!」


 最悪だ……俺は頭を下げノートやタブレットをカバンに勢いよく入れると急いで大講義室を出ようとする。とにかく逃げ出したかった。


「あっ……悠斗、くん」


「本当にすいませんでした!!」


 最後に紅林さんを無視して講義室の奥の扉の前で教授に頭を下げると俺は全力で逃げ出した。




「はぁ、はぁ、はぁ……ちくしょう、俺は……僕は……」


 必死に走って今どこに居るかも分からない。心はボロボロで昨日から続くトラウマがエグる毎日に心も体も泣いていた。


「こんな所で男泣きか?」


「誰……って、秋山、くん?」


 午前中に会った秋山くんだった。そういえば教授には会えたんだろうか?


「ふっ、君の涙を止めに来た……とか女子に言ってみたいくないか? ちなみに言ったのは俺も今が初だ」


「は?」


 そう言ってハンカチを出してくれたから俺は受け取っていた。悔しいけど少し心が落ち着いた。ただ相手が男なんだよ。


「ちょうど良い練習になった、これでモテ男に近付いた。ありがとう北城」


「なに言ってんだ? おまえ?」


「女を口説く練習、じゃあ次は傷心の彼女へのアプローチを実践したい」


 今度こそ本当にコイツは何を言ってるんだろうかと疑問で頭がいっぱいになった。さり気なくベンチに誘導されると、いつの間にか出したペットボトルを受け取る。中身はスポドリだった。


「ありがと、ふぅ、久しぶりに飲んだ」


「今の君に合うと思った」


「いや、俺は炭酸の方が好きなんだけど……でも、落ち着くかも」


 目の前の秋山くんを見てると心が落ち着く。写真を撮ってる時と同じで気持ちが澄んで行く……そんな気がした。


「じゃあ俺の話を聞いてくれないか?」


「え? 普通は俺の話じゃ?」


「なら泣いていた理由、話してくれんのか?」


 急に踏み込んで来た。だけど今日会ったばかりの人に話せない。好きだった女子と二人連続で再会して何をすれば良いかなんて言えるはずもない。


「いや、それは……」


「だろ? なら俺の話から聞いてくれ……教授に会えたんだけどイオン分解だとか何とか意味分かんなくて、文系の高卒には理解不能だった」


「そうなんだ……まあ俺も経営学だから数学は多少できるけど理系はね」


 仕事に必要な知識らしく聞きに来たらしいが欠片も分からなかったそうだ。


「別な日に相棒でも連れて来るさ、やっぱ俺一人じゃ無理だ」


「専門の人とかの話って難しいからね」


「ああ、それで、ここら辺で美味い店とか知ってる? 昼まだでさ腹ペコなんだ」


 教授の話をさっきまで聞いていたから昼を食べ逃したそうだ。俺も今日は昼は菓子パン一つだったから急に腹が空いて来た。


「それならラーメンか……それとも丼系なら」


「よく分からんから、また案内してくれないか? 頼むよ奢るからさ!!」


 こう見えて俺は食にはうるさい。昔はラーメン好きだけだったがスーパーでバイトするようになってから他の食べ物にも興味を持つようになった。


「いや、俺は……今日は……」


 この後はサークルに出なきゃダメだし……それに今日は辞めると宣言するつもりで俺は大学に来ていた。


「今日は?」


「ああ、今日は…………この後は暇だから案内する、車も有るし」


「おっ? マジか……じゃあ頼む」


 だから弱い俺は今日会ったばかりの人をダシにして逃げ出した。目の前の全てを投げ出した。俺は……僕は昔と同じで弱い。




「おしゃけ、さいこぉ~!!」


「おいおい飲み過ぎだぞ……車はどうすんだ?」


「代行とかぁ頼むからぁ~、だいじょうびゅだいじょうぶ~!!」


 あの後、凄く話の合った秋山くん、いや快利と行きつけの飲み屋まで案内してしまい今は三軒目だ。楽しい……こんなに楽しいのは何年振りか分からない。


「ま、運転はできるが俺も飲んでるからな……仕方ない、奥の手か」


「快利は、まだ時間あるぅ~?」


「さすがに無い日付変わってるし、名刺渡したろ? そのコードで俺の連絡先登録しといてくれ、また飲もう悠斗。さっきの話も気になるしな」


 肩を貸してもらった俺はフラフラで、酒は好きだけど、ここまで酔っ払って楽し酒は生まれて初めてだった。


「うん!! 僕もまた飲みた~い!! 飲も? な? 飲んでよぉ~」


「ああ、じゃあ、その時にさっきの恋愛相談の続きだ、いいな?」


「うん、頼むよ~、しんゆ~!! 僕は、また……二人とぉ」


「任せな腐ってもコンサルタントだ、悩み事はお任せあれってな?」


 その後は意識が途絶え気付けば翌朝ベッドの上で二日酔いの頭痛で目を覚まし大学は休んだ。車はちゃんと家に戻っていて祖母に聞いたら快利が部屋まで運んでくれたと判明した。

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