第16話 遠い平和。
間蛭のタウン誌はかつてない出来で、他の商店街から物言いが付くほどだった。
それは俺がどの商店街よりも間蛭を知っているからで、組合長に「もっと早く来てくれればよかったのに」と言われた時に、「無理です。鳥人間さん達の怒りようからしたら、とても来れません。お互い様です」と返しておいた。
他の商店街にも、元々間蛭に住んでいた事を説明して納得をして貰った。
その代わり、改訂の時にはもっと良い物を作ってくれと言われてしまった。
横では田村綾子が「私と太田さんなら可能です!」と胸を張っていた。
これで
そう思った時期も俺にはあった。
田村綾子のデザインをWEB素材に落とし込んで、写真をWEB用に軽くしていく。
それでホームページを作れば終われると思い、3年目の春先から夏にかけて改訂版と同時作業でヘトヘトになりながら仕事をする。
ちっとも平和なんて来なかった。
夢工房の名前は市尼地市では有名になり過ぎて、名刺や封筒もそれこそ飲食店の伝票なんかの印刷物まで飛び込んでくるようになって夢工房は忙しくなり過ぎた。
社長は「すまん!増員とか考えてないんだ!全部ボーナスで還元するから頑張って!」と言って4人の夢工房は変わらなかった。
俺と田村綾子はヘトヘトのボロボロがデフォルトになっていて、2人で帰る時も「今日は?」、「行きます」と話して帰るようになっていた。
この「今日は?」は「今日は来ますか?」ではなく、「今日はどっちの家?」の「今日は?」になっている。
それくらいに同衾が当たり前のようになっていた。
WEB版が形になって納品を終えたのは秋も深まってきた頃で、「今度こそ、改訂版といつもの印刷物だけになりますね」、「本当だね。楽しかったけどキツかったね」と油断したが、市長からとんでもない提案が来た。
「え?」
「市尼地市全体のタウン誌?」
社長が平和になって一週間しか過ぎていないのに、地域振興課に呼び出されて何事かと思っていると、渋い顔で帰ってきた社長から言われたのは、「140ページの本で、街歩きとグルメと写真で、本にして役所で売るって…。市長直々のご依頼。断れない」というカタコトの話だった。
俺は肩を落とした。
何を言おう、平和になったら田村綾子の真意を聞いて、良かったら結婚を前提に付き合えないかと聞くつもりだったからだ。
変な話だが、村木さんや社長からは結婚をそれとなく勧められていて、俺達はもう離れている時間の方が少ない。
たまに長期の休みに実家に帰ったりして1人になると、開放感より心細さが出てくるほどだった。
だが横で話を聞く田村綾子は紅潮した顔で、「夢工房で本!?私のデザインと太田さんの写真と文章が本になるんですか!?」と喜んでいる。
村木さんはニコニコ笑顔で、「平和になって一週間しか経ってないのに、アヤちゃんは元気だねー」と聞くと、田村綾子は「勿論ですよ!私が思うものづくりの完成型ですもん!」と答えると、俺を見て「太田さん!よろしくお願いしますね!絶対に良いものにしましょうね!」と鼻息荒く言ってくる。
返事に困りながら社長を見ると、社長は助かったと言う顔で俺を見て、目で「よろしく」と言ってくる。
俺が「ボーナスは期待していますよ」と言うと、社長は「勿論だよ!よろしくね!」と言ってガッツポーズを決めてきた。
また俺たちのヘトヘトボロボロ生活が始まった。
お互いの家にお互いの食器、洋服、寝間着、下着、生活品達が存在を主張するようになり、おはようからおやすみまで2人で過ごす。
喧嘩なんてものはあっても物作りの衝突で、デザインが本になると張り切り過ぎて暴走した田村綾子が、「もっとダイナミックな写真にしてください!あとキャッチコピーが弱いです!」と注文をつけてこられて、俺が「ダメだよ。あくまでメインは市尼地市のPRで、田村さんのデザインを皆に見せる為じゃないんだよ。外側の装丁は田村さんの意見を尊重してあるから、中身は我慢して」と返して、2人して「ぐぬぬぬぬ」と言いながら作業に戻り、その姿を社長と村木さんが「よくやるよ」、「程々にしてね」と言ってくる。
そして夜はベッドの中で、「デザインの事はすみませんでした」、「俺こそごめん。もう一度写真を選び直して、キャッチコピーを練り直すよ」と謝りあって眠りにつく。
今回は市長直々のご依頼なので、校正の時間が長い。
それだけでなくても、各商店街の店舗と組合長のチェックが入ってから、市長チェックなので出すと一週間は戻ってこない。
その間に溜まった通常案件を片していると、社長から「なぁ、最近ずっと一緒にいるの?」と聞かれたので、「まあ、市尼地市の本が始まってからは週6〜7日ですね」と答えた。
「…嫌にならないのか?」
「別に。当たり前過ぎてなんとも」
「で、なんにもないの?」
「ないですね」
「マジか…。下版したら2人で2日くらい有給休暇取って話してみなよ」
俺が「そうします」と返すと社長は、「お?いいねぇ」と言って笑ってくれた。
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