第9話 出会い。

太田なんてありふれた名前だ。

この隣町で自分を知る人間は居ないと、たかを括って人違いを疑ったが、もう一度「太田さんですよね?」と言われて、向かいに座った女を見た時に、あの表彰式に居た女だと気付いた。


確かホームページは「hometown」だった。


「え?hometownの?」

「はい!やっぱり太田さんだ!お久しぶりです!」


女はそのまま「今日はどうされたんですか?」と聞きながら、「相席いいですよね?」と聞いて、許可も得ないまま「オバちゃん!グレープフルーツサワー!」と元気よく言った。


あの表彰式の日は、少しフォーマル寄りのカジュアルな感じで、キチンと化粧をしていた女は、今日はTシャツにジーンズという「ザ休日」という格好だった。

届いたグレープフルーツサワーを持って、「乾杯しましょう!」と言って乾杯をすると、もう一度「今日はどうされたんですか?」と聞いてきて、「あ、飲みにきたのはわかってますよ」と言ってにひひと笑う。

歯を見せて笑う顔には愛嬌があった。


「君は?」と俺が聞くと、「飲みにです!ここは安いと美味しいが揃っていますからね」と返してから、もう一度どうしたのかと聞いてきた。


「飲みにきたんだ。全部片付いて昼間から飲みたくて、でも俺の住む街には、昼間から行ける場所は無くてね」

言っていて心が痛む。

涙が出そうになりながら話すと、女は「え?だってそっちには串揚げが美味しい竹林だってありますよね?お豆腐の美味しいイソフラボンは?日曜日のお昼もやってますよね?」と聞き返してきた。


俺が驚いた顔をすると、「町おこし写真隊のオススメのお店はなるべく行きましたよ?美味しかったですよ!」と言った後で、「本当どうしたんですか?ホームページは移転して、管理人も太田さんじゃなくなっていたし、それに市の地域振興課の人達も、話せないって言いながら太田さんを心配してましたよ!」と言われた。


俺のページを見てくれた人がいる。

見て足を運んでくれた人がいる。

地域振興課の人達も心配してくれていた。


俺はそれだけで嬉しくて、そして悲しくて、悔しくて泣いた。


女は驚かずに「飲んでください。飲んだら全部話してください。飲みましょう」と言ってくれた。


俺は情けなく頷きながら事のあらましを話した。

そもそもの就職の話から、社長がホームページに携わらせてくれた事、喜んで貰えて作り続けて、遂に自分のホームページ、「町おこし写真隊」を作った事。

地道な努力が結実して、市長から表彰されて広告が付くようになった頃から、学生時代の旧友が町おこし写真隊に押しかけ女房の様相で転がり込んできた事。

それからの転落の日々。

後始末に追われて本業に支障をきたしてしまい、何もかもが嫌になって辞めた事。

町おこし写真隊にお店の情報を載せさせてくれた人達に、可能な限り謝ってからホームページを閉鎖した事。

旧友から訴えを起こされて、最終的に素材とソースコードを渡した事なんかを話した。


女は「辛かったですよね。飲んでください。食べてください。お会計は気にしないでください」と言ってくれて、俺の頼んだ伝票をみて「敵わないなぁ」と嬉しそうに言うと、「ここのレモンサワーとグレープフルーツサワーは当たりです!コロッケもおばちゃんがひとつずつ作るおすすめですし、漬物もです。後は味噌汁とカレー春巻とメンチカツがオススメです!食べてください」と言って、俺の話を聞いて一緒に酒を飲んでくれて、俺の分まで怒ってくれた。


こんなに心が軽くなったのはいつぶりだろうか?

久しぶりの安らぎに心は踊ってしまった。




目覚めると知らない天井が俺を迎えた。

窓の外は夜になっていた。

どこかのベッドにいて、起きると二日酔いで頭が痛かった。


起きた物音で「起きましたか?」と言ってきたのはあの女だった。


「あ、hometownの…。ここは君の家?ごめん」

俺が謝ると、女は「何に謝ってます?」と言って、俺をジト目で見てきた。


「え?突然女の子の家に連れてきてもらって、ベッドを借りちゃって」


俺の謝罪に大きくため息をついた女は、「それよりもですよ太田さん」と言ってから、「私の名前覚えてます?忘れてますよね?さっきからhometownって呼んでます」と聞いてきた。


俺は「う…」と言ってしまう。

本来は謝るしかないのに、「君は俺の名前知ってるの?」と聞くと、「太田幹雄さん。知ってますよ」と言ってから、「私の名前は田村綾子です」と名乗る。


「田村さん」

「そうですよ。まあホームページのハンドルネームは、「あーや」でしたから、知らないのも仕方ありません。私からしたら、ハンドルネームを持たずに実名の太田さんに驚きました」


「あれは商店街の人達が、怪しまないようにしたんだよ」

「なるほど。納得です。それではお夕飯を出しますから、食べていってくださいね」


俺が慌てて遠慮をしても、田村綾子は手早く動いて暖かい素麺を出してくれた。

「二日酔いにはコレです」と言って出してくれた素麺は、とても優しい味がした。



素麺を食べていると、突然田村綾子が「じゃあ月曜日は昼過ぎに来てくださいね」と言い出した。


「え?」と聞き返すと、「やだ、覚えてないんですか?」と言われて、訝しげに「あの…太田さん?一応聞きますけど私とお酒を飲んだ時の事はどこまで覚えてます?」と聞かれた。


思い出してみると、恥ずかしいのは泣いてしまった事。

お店の人達が優しくしてくれた事、後は美味しいと聞いていたメンチカツは食べたがカレー春巻を食べた記憶がなかった事。


なので「カレー春巻は食べてない…かな?」と申し訳なさそうに言うと、田村綾子は「ええぇぇぇ!?そこから!?」と言って肩を落とす。


「太田さんはカレー春巻を食べました。私が質問をすると、パリパリの皮に優しい甘さから、後引く辛さになるカレーの風味と、グレープフルーツサワーの美味しさが引き立てあって、これだけで心が軽くなるっていったんです」と言う。


聞いていてまたやっていた自己嫌悪で、「あ、またやっちゃった?」と聞くと、田村綾子は「癖が抜けない。これは未練だって号泣ですよ。そして悔しいって言ってました。だから私が誘いました」と言った。


「え?誘った?」

「はい。私の勤め先は小さなデザイン会社ですけど、この街に馴染んだ地域密着型なんです。人員に余裕もないし、経営に余裕がなくても太田さんは即戦力です。私から社長を説得しますから働きましょうと声をかけました。太田さんは幸い無職です。月曜の午後に私の勤め先、「夢工房」まで来る事になっていたんですよ」


俺はそれを聞いて「え?会社に余裕無いのに?」と返すと、「先行投資です!いえ、貴重な投資です!」と言ってから、真面目な顔でノートパソコンを引っ張り出してきた。


「見てください」と言って映し出したのは、以前より洗練された田村綾子のホームページだった。

だがやはりテキスト面が甘い気がする。

デザイン性、洒落た感じは敵わないが、中の文章は俺の…いや、もう俺のではないが、町おこし写真隊の方が良かったと思う。


「どうですか?」

「デザインは綺麗で俺なんて太刀打ちできないよ」


「ではテキストは?」と言って俺をみる田村綾子に、「ごめん。俺の方が目を引くと思う」と言うと、顔を明るくして「ですよね!私のデザインと、太田さんのテキストがあれば無敵です!なのでよろしくお願いします!」と言われてしまう。


俺は躊躇したが、俺は田村綾子の目を見て断る方法を知らなかった。


「行くだけは行きます。でも社長さん次第だから、社長さんにワガママは言わないでくださいね」

「はい!」


田村綾子は途中まで送ってくれながら、電話番号の交換を申し出てきた。

俺は距離感と勢いには敵わないと思いながら、交換を済ませて家に帰った。


商店街の煌々としたネオンは、俺を拒絶している風に感じてしまったので、裏通りから家に帰り風呂に入るとさっさと寝た。

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