第31話 贈り物(1)

ソウタとミナトの腹筋談義が終わり迎える頃、風呂から上がったばかりのカナデが声を掛けてきた。


「あ、えっと…今日は泊まった方が良いかもって話やねんけど」

「あ…っ…と」


カナデの登場にソウタが驚くのは仕方が無い。

なんせ彼女のお風呂上がりの気の抜けた姿を初めて見たのだ。


頭にタオルを巻いているとは言え、隙間から零れた髪の毛は、まだ少し濡れている。

それに頬は少し赤くなっていて色気もあるし、それより何と言ってもパジャマを着ている姿は可愛らしいの一言に尽きる。


そんな彼女の登場に一気に酔いが覚めたと言いたいが、実はそのせいで覚めた訳では無い。先ほどのカナデの言葉である。

突拍子の無い提案に耳を疑うソウタ。


「っと、泊まるって、どういう話?」

「お、ええやん、そうしとき。ソウタめっちゃ酔ってんもん」

「でもなぁ…」


ミナトはカナデの提案に随分と乗り気のようだが、ソウタは酔った醜態をさらした身。これ以上、この家に迷惑をかける訳にもいかない。

そんな思いをよそにカナデが話を続ける。


「それでソウタは家に連絡をした方がええと思うねんけど…」

「あぁ…でも今日は帰ろっかなって」

「でも、お父さんがそうしたら良いって」

「あ~うん、こんな時間やし、帰った方が良いかなって」

「…そうなん?」


少し寂しそうな表情を浮かべるカナデに、なんと声を掛けて良いのか分からないソウタ。らちが明かない二人の会話にミナトが割って入る。


「逆やん。遅いから泊まっていったらええねん。それに歩いて帰るにはちょっと遠いやろ?」

「遠いって言うけど、歩いても1時間もかからんで?」

「そうかもやけど」


ミナトが入ったとしても三人では決着がつかず、話が進まない。

そんな三人の様子を見かねたカナデの父が、ソウタに声を掛けた。


「別にうちはかまへんから。ミナトの部屋に一晩泊まるくらい、どうってことないやろ?」

「でも…」


まだ決めかねるソウタの様子に、カナデの父は決定的な事を告げた。


「それよりウチに来た目的忘れてへんか?」


言葉と共にカナデの父が指を向けた先には、少し潰れた皺の入った小さな紙袋がある。


「あっ」


いくら酔っていたとは言え、すっかり忘れていたとは、またしてもとんだ醜態である。

そう言われると、その通りだ。

ソウタが週末とは言え、平日の夜にカナデの家に来た理由は、紙袋の中身を渡す為。


「話したい事もあるやろうし、泊まっていったらええ」

「…すみません、お言葉に甘えて泊まらせてもらいます」

「うん」


硬い表情を浮かべるソウタに、カナデの父は軽く手を上げるとそのままリビングを後にした。去り際の少し漏れた笑みが、ソウタの心を軽くする。


「ミナトのお父さんって、ミナトに似てるよなぁ」

「そうか?」

「あ、ちゃうわ。ミナトが父親似やった。…という事で、今日はお世話になります」

「あはは、まかしとけ」


普段は面倒見の良いと言われるソウタも、ミナトやミ父にかかれば、世話を焼かれる側になるらしい。

カナデはそんな事を思いながら、二人の様子を微笑ましく見ていた。


こうして話の決着が着いた3人は一体自室に引き上げる事にした。

ソウタは案内されるまま、とりあえずミナトの部屋に入った。


「片付けとかしてへんから、あんま見やんといてな」

「あ~ミナトの部屋って感じすんな」


先ほどの話で、すっかり酔いの冷めたソウタ。

ミナトの部屋に入るなり、初めて見る友人の部屋の様子に、興味津々といった面持ちでぐるりと部屋の中身を見渡した。

ミナトの部屋は自分の部屋より物が少ない印象だ。

やや寂し気な雰囲気の部屋は、ミナトのシンプルさや素っ気なさに合って感じがする。


ソウタは怪我にあったせいで、高校を卒業すると同時に部活に関わるものを大方処分した。それでもソウタの部屋はミナトの部屋よりも物が多く、少しごちゃごちゃとしている。


「そういやミナトの趣味とか聞いた事ないな。スポーツとかしやんかった?」


本棚の中は参考書や、全く関連性の見いだせないタイトルの本ばかり。

それでも写真は好きなのだろうか。同じ名前の写真集はそれなりに集めているらしい。


「あんまり興味ないな」


ソウタの問いにも素っ気ない返事のミナト。

そんな執着の無さを思うと、ふと、カナデの母との会話を思い出した。

そしてミナトの事を思い出せば、カナデとドーナツショップで交わした内容が頭を過る。


カナデの母に聞いたのは、彼らが小学生の時の話だった。

それを考えると、カナデがクラスメイトのいたずらのような行動せいで、異性に萎縮するようになったのではないか。

そして当時のミナトは母親との些細な気持ちの行き違いから、持っていた正義感や責任感が全部カナデに向いてしまったと思われる。

そしてカナデの話から推測すると、彼女も作らず、芽生えた責任感や正義感をずっと持ち続けたまま生きていたのかも知れない。


最初に出会った時のミナトは、目の前の問題の全部を一人で解決しようと抱えていた。そして周囲へ見せたミナトの苛立ち。

けれどソウタから見れば、それはどうにもできない自分へ対する、ままならない自分への葛藤のように感じていた。

だから声を掛けてみようと思ったのだ。


そんな葛藤ですら、ミナトの気持ちの強さの裏返しなんだろうと、ソウタは思う。

さっきの素っ気ない返事も、シンプルな部屋も、見ようによればミナトの強さの表れなのだろか…。


きっとミナトの見せる言動の表層だけを見れば、人に対して素っ気ないようにも見えるし、何事にも興味が無く、つれない人物にも見えるのかも知れない。

でもきっと違うのだ。


「ちっちゃい頃からミナトは頑張って来たんやなぁ」

「ん?何がや」


ソウタの言葉と表情に戸惑うミナト。

それでも何か妙に納得したようなソウタの顔を見れば、彼はまだ酔っぱらっており、夢の中に居るのだろうかと笑みも零れる。


「なんや、まだ酔ってるんか?」

「もう覚めたっぽい」

「ほんまか?」

「あ…うん。あんな、俺な…」

「なんや?どした?」

「ミナトのお母さんから小学生の時の事、教えてもらってん…」


ミナトが不意にふられた話は、思いもよらず、苦い思い出話だった。


「…そっか」


小さく呟いたミナトは自分のベッドの縁に座り、ソウタを床に座るように促した。


「でもまぁ…アレは、あんまり気分の良い話や、なかったやろ?」


天井を見上げ、視線を外すミナト。

その表情はうかがい知れないが、人に知られたくない話なのは、内容からも十分に推測が出来る。


『そんな話、聞きたく無いやろ?ごめんな…』


天井の模様の無い壁紙を見ながらミナトは言葉を考える。


「そうやな、俺もそこにおったら殴ってたわ」


ソウタの言葉にハッと息を飲んだのはミナトだ。

そして言葉の意味が頭に届くと、今度は後ろへ倒れ込み、ゆっくりと言葉の意味を考えた。


「わ、大丈夫か?」


突然倒れ込んだミナトを心配して、ソウタが立ち上がろうと片足を立てた。

ソウタの気配を察してか、ミナトが不意に上半身を起こし話しかけて来た。


「ごめん、ちょっとびっくりして」

「そうか」


立てた片足を崩して、また床に戻るソウタ。

その顔はいつものソウタ変わらない。


「やっぱ、ソウタはソウタやなって」

「あはは、なんやソレ」


ソウタの笑い声にミナトも頬が緩む。

緩んだ頬は全身を緩め、再びベッドに横になった。

けれど今度はソウタの方へ顔を向け、視線は合わせたままだった。


「そう言えば、今日来たんって、カナデに誕生日プレゼント渡しに来たんやろ?」


視線で促して、小さな紙袋にソウタの気を向ける。


「あぁ、なんか色々あって、皺になったけど、中身は大丈夫なはず」

「なら、今、渡して来る?それか、風呂入ってからの方がええか?」

「あ~俺は別にどっちでも良いけど、早い方がいいかな」

「カナデとゆっくり話するんやったら、風呂の後の方がええかもな」

「ゆっくりって言っても、もう遅いしなぁ」


ソウタは、ふと何かに気が付いたようで、自分のカバンをゴソゴソと漁りだした。

そして取り出したのはスマートフォン。

画面の時刻は0時十分前。

あと少し経てば今日が終わる、そんな時間だった。


「あ、やべ。家に連絡すんの忘れてた」

「それはアカンな」

「連絡しとくわな」

「あはは、俺が家の人に連絡したろか?」

「何でやねん」


ソウタはミナトに突っ込みを入れながら、スマートフォンのメッセージアプリを起動し、母親に連絡を入れた。

既に寝てしまったのかと思ったけれど、既読の文字が付いたのでホッと胸をなでおろす。


『色々あってカナデの家に泊めさせてもらう事になりました』

既読

『羽目を外さんように』


『了解です』

既読


少し毒っ気のある母親らしい物言いに苦笑いが浮かんだのは、既に酔っ払ってカナデ一家に醜態をさらした後だからだ。


「家の人、何か言ってた?」


ミナトの質問に黙ってスマートフォンの画面を向ければ、「プッ」とふき出した。

そんな友人をさておき。かざしたスマートフォンをそのまま床に置いて、カバンの中からリボンで口を絞った紙袋を取り出し差し向けるソウタ。


「何これ?」


リボンに書かれた文字は有名なセレクトショップのロゴ。

戸惑うミナトに訝し気な目を向けるソウタ。


「何って、ミナトの誕生日プレゼントやん」

「え?」

「何、驚いてるねん。双子やったら同じ誕生日やん」

「まぁそうやけど…」

「って、アカンやん!もうすぐ今日が終わるんやったら、急いで渡さなアカンかったやん」

「あぁ…そうやな?」

「ごめん、ちょっと行って来る。中身開けて見といて」


バタバタと小さな紙袋を抱えて部屋を飛び出すソウタ。

呆気に取られながらも、ミナトはソウタの行動に直ぐ気付いて声をかけた。


「あ~っ、カナデの部屋、左の奥な!…ってノックくらいするか」


バタバタと慌ただしいソウタが廊下に出れば、閉じられたドアの中の部屋は急に静かになった。

部屋の中央にあるのは、さっき誕生日プレゼントだと言われた、A4サイズよりは少し大きな袋。

言われた通り、手に取るとリボンを解き中身を確認した。

中身を取り出して広げれば、男性ものの半袖のTシャツ。


「スヌーピー…」


Tシャツの真ん中には、スヌーピーとチャーリーブラウンが背中合わせで座っている姿が描かれている。


「可愛いけど、なんでスヌーピーなんや?」


ミナトからすれば別にスヌーピーが好きだと言った覚えはない。

ソウタのチョイスに頭を悩ませつつも、思い出したのは先ほどの出来事。

そう言えば、さっきもカナデがソウタを「犬か」と言っていたな…と。


「あはは、ソウタはアルムの山のヨーゼフやろ」


犬のように戯れるソウタのカナデへの絡みを思い出せば、スヌーピーを選んだ絶妙なソウタのセンスが面白くて仕方が無い。

ミナトは笑い声を立てながらも、必死に可笑しさに耐えるのであった。



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