第32話 贈り物(2)
カナデの父親に説得されるような形で、ソウタはカナデの家に泊まる事になった。
ソウタとミナトが兄の部屋に入るのを見届けるとカナデは急いで自室に向かった。
扉を開け部屋に入り、真っ先に目に入ったのは、ごちゃごちゃとぬいぐるみが床に並ぶ部屋と、通販の未開封の段ボールだ。
そして机の上に目を向ければ、そこにはキャラクターの小さなマスコットや、クリアファイルが所狭しと並んでいる…というより、買ってきたままの状態で、特に片付けられる事も無く、いわゆる詰んである状態のままだった。
「アカン…」
これは見せられないとカナデは日ごろの怠慢を後悔する。
まさか彼氏が家に来るなんて。
とは言え、今更だ。今になって日ごろのズボラさを嘆いても仕方が無い。
カナデはとりあえずクローゼットの扉を開けて少ない洋服を眺めて暫く考える。
そしてハンガーの服をそのまま横にグッと押しやって、空いたスペースに未開封の段ボールを突っ込んだ。
日常の殆どを、学校とバイトの往復で過ごすカナデ。女性にしてはあまり服を持っていない事が幸いした。
「小さい子はベッドの端に…」
この子たちは床に並べているのだ!と言いたい所だが、どう見てもぬいぐるみたちは床に転がっているだけ。
カナデは掃除機をかける時の要領で、次々とベットの上にぬいぐるみを乗せた。
そして空になって転がったままの袋は、全部まとめてベッドの下の床に押し込んだ。
「アカン、机の上もや…」
少しだけ開いた部屋の床を見れば、多少は部屋の様子がスッキリもすたが、まだダメだ。次に気になるのは机の上。
所狭しと転がっているグッズ類をどうやって片付けようか悩んでいると、カナデの耳に扉をノックする音が届いた。
そして続いて聞こえて来たのはソウタの小さな声。
「カ、カナデ…?」
「は、はい!」
思いもよらぬ…とは言えない彼氏の来訪の声に、驚き、肩を揺らしたカナデ。
流石に今の部屋の状態で、恋人を招くのはあり得ない。
咄嗟にそう判断したカナデは、小さくドアを開けると、隙間を縫うようにして廊下に飛び出した。
部屋の惨劇は後ろ手でドアを閉めて隠し、何事もない振りをしてソウタの前に立つ。
そんなカナデの妙な慌てぶりを、ソウタは自分のせいだと思い、少しだけ気まずい雰囲気を纏わせる。
「えっと、ゴメン…寝てた?」
「え?え、あぁ全然!まだ起きてた、大丈夫!」
答えるカナデの目が、少しばかり泳ぐのは仕方が無い。
まさかこんな時間に部屋の掃除をしていましただなんて、口が裂けても言えるはずが無い。
一方のソウタも既に酔いが覚めている状態だ。
妙に慌てていいるが、目の前に現れたのはお風呂上がりの気楽な姿のカナデ。
まじまじと見るのは二度目だとは言え、少し気恥ずかしい思いがする。
けれどカナデの様子を見れば、ほんの少しだが目を背けているようにも見える。
「えっと…」
「うん」
やはりこんな時間に、女性の部屋を尋ねるのは間違いだったのかも。
少しだけ後悔を覚えつつ、ソウタは用意していた紙袋をカナデに差し出した。
「遅くなってごめんな。これ…誕生日のプレゼントです…」
「あ…」
カナデの目に入ったのは、少し皺の寄った小さな紙袋。
ソウタが家に来たと知った時に、誕生日のプレゼントが貰える事を期待しなかった訳では無い。
だってカナデはお風呂に入っている間、ずっとソウタが持ってきたと思われる、目の前の小さな紙袋が気になっていたのだ。
女性受けのしそうなロゴの小さな紙袋。
これがいわゆる彼氏からの誕生日プレゼントなのでは無いかと。
それでも実際にこうして差し出されると、「やはり」と言った嬉しさを超えて、何故だか驚きの方が先に出てしまうのも不思議なものだ。
「あ、ありがとう…」
「うん」
受け取った紙袋を差し出すソウタの手を遡り、そのまま顔を見上げると、自分の彼氏は少しだけ気まずそうにも見えるし、恥ずかしさで照れているように見える表現を浮かべている。
「えっと、開けても?」
「うん…」
カナデは受け取った紙袋を開けた。
袋の中には、チョコレート箱のような大きさのリボンに巻かれた包み紙。
中身を取り出してリボンを解いて包み紙を開ければ、出て来たのはアクセサリーボックスのような素材の箱。
柔らかな淡い色の箱のふたをそっと開けば、そこには星や月のモチーフが配置されたブレスレットが収まっていた。
「かっ、可愛ぃい…」
咄嗟に飛び出したカナデの言葉にソウタは安堵した。
そしてまじまじとブレスレットを見つめながらも、目を輝かせるカナデを見れば、ソウタは「良かった」と心の中で小さく吐いた。
「誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう…」
ソウタの言葉にヘニャっと崩れたいつもの笑みを浮かべるカナデ。
そんな見慣れた彼女の様子に、ソウタも思わず笑みが零れる。
「えっと、着けてみたいねんけど」
ソウタが「うん」と答えるが、カナデは恥ずかしそうな顔を浮かべるだけで動かない。
「ん?」
「…って、着けて欲しいって事やねんけど…」
「あっ、そうか…はい」
「そう言う事かと」独り言ちて、ソウタはカナデの持つ箱からブレスレットを取り出した。そして留め金の小ささに苦戦しながら外すと、彼女の腕を柔らかく引き寄せてブレスレットの留め金を閉めた。
「えへへ、なんか照れるなぁ」
「…そうやなぁ」
こして手が触れるのは初めてではない。
けれども改めてお互いの手が触れ合えば、恥ずかしさから、妙にいたたまれない気持ちになる。
「出来たかな?」
「うん…ありがとう」
お礼を言いながらブレスレットをはめた腕を、少しかざしながら手を上げるカナデ。
その顔は先ほどの恥ずかしさは乗り越えたようで、幸せそうに見える。
そんな彼女の様子に、ソウタは自分の心が満たされるのを感じていた。
「似合ってるで」
「ふふ、ありがとう」
きっとソウタは心のどこかで満足をしているのだろう。
似合っていると言った彼は、得意そうな顔を浮かべている。
そんなソウタの様子に気が付けば、カナデは二人の視線が合っている事に気が付いた。そしてカナデは今日の今日まで、一体何を悩んでいたのかが分からなくなってしまった。
思い返せば、どうしてあの日の自分はソウタの家から飛び出したのだろうか…と。
そしてあの日を振り返って思い出すのは、バイト先で聞いたハルナの話…。
カナデは自身の今まで経験を振り返るまでもなく、他人の心ない言葉や行動で沢山傷ついた事を自覚している。それは兄も同じ境遇だったのかも知れないけれど、カナデはミナトと違って強くはなかった。
だから頭の中で有りもしない言葉を浮かべては、悪くなる出来事を想像し、そうならないようにと人との距離を取っていた。
だから怖くなったり、傷つきそうだと察したりすれば、直ぐに逃げ出した。
それは自分の弱さもあるが、自身の経験から起こした自己防衛でもある。
―自分が傷つかないように、意図せずに起こしていた癖のようなそれ…。
けれどカナデはそんな癖のような自己防衛を起こして、後悔した事は今まで一度も無かった。だって逃げるのは最悪を回避するためだったからだ。
そして逃げた自分を棚に上げて、自分の勝手な言い分をぶつけた事も無かった。
逃げればその人とはそれまで。カナデはそれほど他人との距離を遠ざけていた。
だけど、それじゃダメなんだ。
カナデは意を決して一歩前に進むと、そのままソウタに抱き着いた。
「カ…」
「ごめんな」
「えっ?」
突然訪れた謝罪の言葉に、ソウタは肩を揺らし力を入れ身構えた。
けれど抱き着いたカナデの力強さに気が付けば、その緊張を解いた。
ソウタはカナデの言動に戸惑いながらも真意を尋ねる事にした。
「カナデ?」
「前に家から飛び出した事…」
「あぁ…」
カナデの言葉にソウタの記憶が蘇る。
あの日は確か、携帯のやり取りが多くて、カナデがソウタの浮気を疑った日の事だ。
そしてそれは、飛び出したカナデを追いかける事が出来なかったあの日の事でもある。
だとしたら謝るのは、あらぬ誤解をさせた自分のもそうで、お互い様なのかも知れない。
「それは俺もゴメン」
「ソ、ソウタは悪く無いやん!」
語気を強めるカナデを言いくるめるように、ソウタは強く優しく抱きしめた。
そのままカナデの頭部に唇を寄せれば、まだ乾かしていないのか、髪の毛が湿っている。
そしてソウタはあの日の後悔を口にした。
「あの時、後から追いかけてでも、カナデの話を聞けば良かったなぁって…」
ソウタはそう言いながらカナデを抱きしめ、自分の性分について考えていた。
カナデの母は普通だと言ってくれたけれど、相手の言動を勝手に推し量って計算で対応するのは、社会的な普通なのであって、それを恋人にするのは少し違う気がする。
『…俺、カナデとあんまり話とか、出来てなかったと思います。
俺、カナデの事になると、どうすれば正解なのか、分からん時があります。
それに自分の不注意で怪我したのに、それを理由にして逃げてたのもあって…。だから、もしカナデが悲しい顔をしてたら、それは多分ですけど…俺のせいです』
カナデの母に伝えた自身の言葉を振り返れば、これからは恋人にどう接すれば良いのかが見えてくる。
「だからもう逃げんといて」
例え自分の思い通りの言葉が返って来なくても、自分の想定より悪い事が起きても、カナデとの関係で起こった事は、自分も逃げてはいけないのだ。
カナデに伝える言葉を自分にも言い聞かせるソウタ。
「そっか。乗り越える…や」
そんな曖昧な言葉をどこかで聞いた気がする。
恋人なら二人で困難を乗り越えるとか、多分、そう言う類の映画や小説のキャッチコピーのような言葉だった気がする。
けれどそれは言葉にすると、その通りとしか表しようが無いけれど、言葉に含まれている乗り越えるものは、目の前の困難な出来事では無いのかも知れない。
自分が信頼する人となら…。
いや、違う。自分が信頼して欲しいと願うのなら、真向から言い分をぶつけあって、共に向かい合う必要があるのだ。
そして二人の価値観の違いや考え方の違いにある、お互いの溝を埋めるようにして、その溝を乗り越える勇気や努力が必要なのかも知れないのだ。
そしてそれが乗り越えると言った事の真理だとしたら…。
「恋愛って凄いねんなぁ」
「ふえ?」
突拍子もないソウタの言葉にカナデが変な声を上げる。
「あはは、カナデから変な音出た」
「ちゃうし、ソウタが先に変な事言ったからや!」
今までの空気感と打って変わって、おどけた空気を出すソウタ。
そんな可笑しさに笑い合えば、他愛のないやり取りですら心地が良い。
そして不意に訪れた沈黙。
見つめあう二人は、自然と顔を近づけた。
「って、あらまぁ」
「「っ⁉」」
突然二人の間に割り込んだのはカナデの母の声。
驚いた二人はまるでカエルが飛び上がるようにして離れ、急いで距離を取った。
そう言えばここはカナデの家の廊下である。
「別に続けても良いねんけど?」
「お、お母さんっ!」
「あはは、お風呂空いたで」
「あ、ありがとうございます」
驚かした事に悪びれる様子も無く、カナデの母は機嫌よく話を続ける。
「目撃したのがお父さんやったら、階段から落ちたかも」
「…っ、別に何もしてへんやん!」
「そう~?」
「し、してへん!」
「…」
母と娘の二人の会話の攻防にいたたまれなさで目を背けるソウタ。
そんな親子の会話が聞こたのか、ミナトが部屋の戸を開けて顔を出した。
「あ~風呂?開いたん?」
「あ、ミナト。ゴメンな遅くなって」
「うん大丈夫。ソウタ行こか?」
「あぁ、うん。カナデ、また…」
「えっ?あぁ、うん、また…」
ミナトの手招きにソウタが応じる。
軽い目くばせのような仕草をしたソウタは、そのままミナトの部屋へ消えていった。
そして程なく部屋から二人が出て来ると、荷物を抱えて階段を下りて行った。
そして残されたのは母と娘。
「『また』…なんや。ふふふ」
「はっ、ちょ、何ぃ?」
「ソウタ君、『また』って言うてた」
「…っ」
妙にニヤニヤと面白そうな顔を受かべる母の様子に、訝し気な顔で答えるカナデ。
「ちゃうで、『また』の続きまでに、部屋片付けなアカンって」
「っ…」
鋭い突っ込みに、母の酔いも覚めている事を知ったカナデ。
そしてさっきまで交わしていたソウタとのやり取りの何処までを見ていたのかが気になった。
恐る恐る母に目を向ければ、言いたい事を言ったとばかりに、機嫌よく階段を下りる母の背中が見えた。
そんな母の様子に、自分の聞きたい答えが出ている事に気が付いたカナデは、小さくため息を吐いた。
けれど不意に感じた左手の重さを思い出せば、徐々に頬が緩んで来たのも事実だ。
そして再び腕を上げて、身に着けたブレスレットを見つめると、先ほどはモチーフの可愛らしさに目を奪われて気付かなかったが、モチーフの間には白っぽい石が連なっている。
「綺麗…」
白い石は手を動かせば、傾ける度に色が変わるように輝く。
そして視界に入った小さな紙袋に目を向ければ、中には名刺のような厚めの紙が入っている。
お店の案内だろうか?
そう思い手に取って詳しく見れば、それは小さなメッセージカードだった。
『お誕生日おめでとう』
カナデの目に入って来たのは、まるで定型文のような横並びの一行の文字。
手書きとは言え、恋人に送るメッセージにしては少々物足りないが、それでもこの言葉にたどり着くまでに、ソウタなら色々と悩んだかも知れない。
そう言えばと思い直す。カナデだってソウタが初めての恋人なのだ。
気の利いた文言も言えないのはお互い様。
それにカナデの方が自身の恥ずかしさから、自分の思いをソウタほど伝えていないのも事実だ。
『乗り越える…』
先ほど聞いたソウタの言葉がじんわりとしみこんで来る。
それは自分の逃げ癖と、勝手な妄想の癖。
そしてソウタに向かう足りない勇気を出す為には、カナデも自分で何かを乗り越える必要があるのかも知れない。
そう思えば、恋愛は凄いと言ったソウタの言葉も理解が出来る。
カナデは人との関りが苦手になった過去の出来事を少しだけ思い出し、自分の中にも、逃げずに向かい合うものが有るのでは無いかと感じ始めていた。
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