第30話 愛しきは泣き虫な人

気持ちを切り替えた双子がバイトから家に帰ってきた。


「ただいま…って、誰かおるん?」


先に玄関に入ったのは兄。そこには見慣れない大きなスニーカーがあった。


続けて玄関に入ったカナデが兄の言葉と共に視線を追う。するとそこには見慣れたスニーカーがあった。


「ソウタのスニーカーや」

「ソウタ?」

「でもこんな時間にソウタが家に来てるとは思われへんし…?」


二人は不思議なスニーカーの存在に、戸惑いの顔を見合わせ、取りあえず家の中に入る事にした。

するとダイニングの方から、聞き慣れた二人の笑い声が聞こえた。

耳を傾ければ、泣き笑いのような、情緒の怪しい話し声にも聞こえる。


「てか、これ絶対ソウタやん!!」

「何でや…」


聞き慣れた声の主を確信した二人。

ミナトが驚きの声を出せば、カナデは戸惑いの声を出した。

二人は慌ててバタバタと駆け足で廊下を走る。そしてダイニングにたどり着くと、そこに居たのは両親とソウタだった。


「なんちゅ~恐ろしい光景や」

「っ⁉」


彼らの酒盛りの跡を見つけ、その光景にミナトが呆れカナデが絶句する。

恐ろしい光景を詳しく見れば、まず目に入ったのは、良い感じに出来上がった双子の母の姿。彼女はダイニングテーブルに座りながら、横に座る夫にもたれ掛かり、ウコン飲料の文句をずっと語っている。

一方の父は何故だか諦めた様子を浮かべている。


そして背中越しで顔は見えないが、見慣れた大きな背中は十中八九ソウタである。


「やっぱソウタやん」


ミナトの声にソウタが振り向く。

やはり母の向かいに座っていたのはソウタで間違いなかった。


ソウタはヘラヘラと緩んだ表情なのに、どこかうっすらと笑みを浮かべている。

どうやらこんな顔で母の文句をずっと機嫌良く聞いていたようだ。

父の諦めた様子の理由が垣間見えたきがしたミナト。


カナデも視線をソウタに向けた。普段は割と精悍な雰囲気を纏うソウタが、何故だか某アニメのアルムの山小屋に住む、大型犬の『ヨーゼフ』に見える。

まさか、とカナデが叫ぶ。


「犬化?」


カナデが目にした光景を言葉にすると、その声にソウタ犬が嬉しそうに席を立ちあがり、カナデに向かって飛びついてきた。


「あ~っ!かなでや~!」

「ひぃぃぃ!」


情けない声を出すカナデをものともせず、ソウタ犬は嬉しそうに抱き着き、カナデの頭におでこをグリグリと擦り付ける。


「あっ!こら!」

「おぉ、間違いない、まぎれもなくソウタや」


娘の混乱する姿に、父親はまるで飼い主のように諫める。

一方の兄は犬のじゃれ合いを愛でるように、微笑ましい眼差しをしている。

そして母は相変わらず上機嫌で二人のじゃれ合いをケラケラと笑っている。


「ひぃぃ、や、やめぇって!」

「かなで~っ~ひさしぶりやなぁ~」


ソウタの言葉にカナデの動きが止まる。

過ぎた時間を思い出すと急に腹が立って来た。

カナデが身をよじり、ソウタの胸ぐらをつかみ、食って掛かる。


「そ、そうや!三週間や!流石にほったらかし過ぎやろ!」

「ぐへぇ」

「入院中も、そんなに時期が空かんかった!なんでほったらかしにするねん!」


いざ言葉にすれば、色々な気持ちが一気に押し寄せる。

今まで悩んで、苦しかった来た私の気持ちは何なのだ!

そんな苦しみを一瞬で、まるで全部が無かったかのように変えたソウタの存在が腹立たしい。


「ソウタのアホ!」


なのに何故だろう。

カナデは何事も無かったかのように振る舞うソウタに気が抜けて、安心からか、涙がどんどんと溢れ出て止まらない。


「…あほぉ…」

「…うん」

「…ソウタのあほ」


胸ぐらをつかまれた腕をソウタがゆっくりと外すと、そのまま彼女の頭を優しく撫でた。


「うん、ごめんな…」

「…ゆるさへん」

「…うん、ごめんなさい」


カナデの目から次々と涙が溢れ出す。

ソウタは彼女の頬を優しく拭うと、止まらない涙ごと抱き寄せて、頭を優しく撫で続けた。


カナデの父はそんな二人に小さく息を吐いて、席に座りなおす。

カナデの母も安堵からだろう、二人の様子をグデグデになって泣きながら見つめていた。



*****




暫くするとカナデの気分が落ち着いてきたらしく、徐々に涙が止まり始めた。

そしてカナデは微妙な空気感が漂っている事に気が付いた。


(そうや、ここ家や…)


恥ずかしさで目の前に立ちはだかるソウタを押しのければ、ダイニングテーブルには、おいおいと泣いている母と、慰める父が見えた。

そして父の向かいでコーヒーを飲んで平然とするミナトの背中が見える。


(っ…)


咄嗟に視線を外したのも仕方が無い。

カナデにすれば何とも恐ろしい光景のままだったからだ。


「大丈夫か~?」

「…お、お陰様で?」


まるで見なかった事にしてソウタの陰に戻ろうとするカナデを、兄は目ざとく見つけたようだ。兄の間の抜けた声にいたたまれなさが湧き起こる。


「ソウタも大丈夫か?」

「大丈夫やでぇ、ミナト、久しぶりやなぁ」

「あはは、ソウタも良い感じに出来上がってんな」


まさか兄もなのか?

どうやらミナトもソウタと同じで、一撃で何事も無かったかのように空気を変える能力があるらしい。

そんな兄の能力に恐れおののくカナデを気にする事も無く、兄は妹に声をかけた。


「椅子足らんから、リビングの丸椅子取って来るわ。カナデはソウタに何か飲み物出したり」

「うん、わかった」

「おれな~、お腹ちゃぷちゃぷでやし、なんも要らんで~?」

「ちゃぷちゃぷ?」


ソウタの言葉に、視線をソウタのお腹に映すカナデ。


「結構呑んだ?お腹大丈夫?」

「お腹~??」


まだ少し酔っている…いやだいぶ酔いが回っているのか、機嫌が良すぎるのか。

何故だかソウタは得意げになって、シャツの裾を上に上げ、うっすら割れた腹筋をカナデに見せた。


「っ!そ、そっ!」

「うん、筋トレは続けてる~」

「は、はよ、閉まって!」

「わかった」


慌てるカナデをよそに、丸椅子を持って来たミナトが声を掛けてきた。


「へぇソウタ、鍛えてんの?」

「ちょっとだけ続けてるで~」


するとソウタは再びシャツをあげて自分のお腹を見せた。


「へぇ~凄いやん」

「足、怪我してから、せめて上だけでもって~」

「あ、ギプス外れたん?」

「うん、あとは簡単なリハビリだけや~」

「良かったな」


カナデがソウタのお腹に恐れおののく中、ミナトが本格的に会話に入って来たようだ。そこからソウタの意識は彼女から親友に移る。


仕方が無いなぁ…。

ほんのちょっぴり湧き起こる嫉妬の思いも、二人でじゃれ合う様子を見れば、自然と笑みが零れるから不思議なものだ。

カナデは小さく息を吐いて、ソウタを兄に任せる事にすると、ダイニングにテーブルに視線を移した。


そこには完全に出来上がっている母を世話をする父が居た。

カナデは自分の羞恥の光景を無かった事にして父に声を掛けた。


「お母さん、大丈夫?めっちゃ飲んだやん。珍しいな」

「俺が寝てる間にソウタ君と盛り上がってたみたいで」

「へぇ」


母を見る父の横顔に、何故だか少しだけ切なさが混じっているように見える。

カナデは不思議そうな顔をした。


「あ~小学生の時の話をな、してたみたいやったから…」


カナデの肩が揺れる。

という事は、「ソウタは知っている」と言う事だ…。

娘の視線が泳いだ事に気が付いたのだろう。


「ソウタ君な、カナデとミナトの好きな所をずっとしゃべってたわ」

「えっ?」


父はソウタの話題に話を切りかえ、娘に苦笑いのような笑みを向けた。


「二人の素直な所が好きとか、そんなん」

「…素直…ではない…かなぁ?」

「そうか?素直に見えたけど?」

「??」


父の言葉の意味が分からず、カナデは戸惑いを見せる。


「流石に、大泣きした時はびっくりしたで」

「っ!」


父は先ほどの羞恥と言うか、醜態の事を言っているのだろう。

恥ずかしさで顔から火が出そうになるとはまさにこの事。

それでもなぜか父は揶揄するような素振りはみせず、柔らかな笑みを浮かべる。


「カナデが家族以外に、自分の気持ちを出せるのは、ソウタ君だけなんやろうなぁって…」


不意に差し向けた父の視線は、「そうだろ?」と言っていた。

続けて父は「それに」と言って、視線をミナトとソウタに向けた。


二人はリビングの端で、何やら自分のお腹を見せ合っている。

流石にこの光景をカナデは凝視する事は出来ない。

いたたまれなさから視線を父に戻す。


「ミナトも良い顔をしてるなぁって」

「うん」

「良かったな」

「…うん」


カナデの父は、娘の頭にぽんと手を乗せてダイニングの席を立った。


「取りあえず、カナデ、先に風呂に入れ。俺らはあとで二人で入るから。ソウタ君はミナトと一緒でええやろ」

「へ?」

「さすがに、あの状態で帰されへんわ」

「と、と、泊まるの⁉」

「別にカナデの部屋に泊まる訳じゃないで」


むすっとした表情で急に機嫌の悪くなる父。

そんな父のあらぬ心配にカナデはホッと胸を撫でおろす。


「び、びっくりした。ミナトの部屋でいいやんな?」

「か、客間かな?」

「あ~じゃ、本人に聞いてみるわ」

「ミナトは自分の所が良いって言いそうやな」


ヘラっとした笑みを零す父の顔。

そんな父の顔を見るのは久しぶりかもしれない。カナデは感慨深い気持ちになった。


「でもなぁ…」

「?」

「ソウタ君も流石に泣きすぎやで。泣き上戸か?」


カナデの父はテーブルでうつ伏せで眠る母を愛おしいそうな眼差しで見つめる。


「酒で泣くタイプって、スミレさん以外で初めて見たかもなぁ」


父は一体ソウタの何を思い出したのだろう。

そんな父の顔は笑いを堪える顔をしていた。


視線をキッチンのシンクに向ければ、潰されたビール缶が8本。

なるほど。ソウタが呑んで良い限界の量は、缶ビール4本以下か。


恐ろしい光景を生み出した魔の飲み物の残骸を見て、カナデはまた一つ学ぶのであった。




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