第29話 双子(3)

ソウタが自分の性格の悩みを吐露し、やがてソウタとカナデ母の二人のお酒が進み、グダグダになる少し前。

バイトの終えたカナデとミナトはいつものように並んで帰り道を歩いていた。


「流石に祝日前の金曜日は忙しかったな」

「今日はいつもより遅くまで頑張ったしなぁ」


バイトの感想を言い合う双子の兄妹。

明日は土曜日の祝日で父親が休みなのもあり、母親の実家に行く事になっている。

そのため二人がバイトを休む予定なので、今日は遅めのシフトになった。


他愛のない二人の話が続く。

けれどミナトはそんな空気をぶった切るようにカナデに切り出した。


「なぁ、ソウタから連絡無いの?」

「えっ…と」


どう考えても今日は双子の誕生日。ソウタがカナデを放置するはずが無い。

なのに、そんな日にこんな時間までバイトそしている妹。


(あの時みたいや。カナデのやつ、またテンパったんか?)


カナデとソウタの間に妙な距離を感じたミナトは、以前に起きた二人のすれ違いを思い出した。

それはカナデがソウタとの恋人関係の男女のリアルさに怖気づいた事から始まった、お互いの戸惑いのようなものだったと理解している。


相変わらずカナデは今だにおままごとのような恋愛をしている…。

一方のソウタも一体カナデの何を怖がっているのか。

ミナトはそんな風に二人の事を考えながらも、そう言えば自分も恋愛の事は全くわからないと思い直す。


「はぁ…」


少し自嘲気味に苦いため息を吐くミナト。


「で、俺ら誕生日やけど、何か貰ったんか?」

「…えっと…」


先ほどから妙に歯切れの悪いカナデに、ミナトは以前と同じような言葉を返す。


「やから、ちゃんと目ぇ見て、誕生日のプレゼント下さいって言うたんか?」


恋愛に関しては妙にバカになるソウタの事を思えば、責めるべきはカナデの方だ。

そんな兄の言葉にハッと息を飲んで肩を揺らす。

そして以前と同じようにまた妙な事を言い出した。


「言うてない…」

「…まさかのまさかで、二度目や、ソレ…」

「ってか、誕生日の話もした事なかったわ」

「…って、あのなぁ…」

「聞かれてへんし…」

「いやいや…ってか、誕生日くらいは把握しとかな」


呆れも果てて、怒りも突っ込みも冷えるミナト。

そうだった。カナデは五歳児だった…。


そんな事を思い浮かべると同時に、ミナトはソウタと運転免許証の話をした事を思い出した。

そう言えば、その時に誕生日の話になった。そこから酒の話になって、ソウタは二十歳になったからもう飲めるとか何とか。


(そう言えば、その時に俺の誕生日、言うたかも…

という事はソウタはカナデの誕生日を知ってるやん。連絡が無いとは、どういう事や?)


ミナトは訝しげな顔をして、カナデの様子を探る。

そう言えば、バイトが忙しくてカナデの様子を伺っていなかったけれど、この数週間ほど、妹の様子がおかしかったかも知れない。

そう言えば…カナデはソウタと付き合う前は、こんな顔をする事が多かった。


(忘れてた…)


ミナトは咄嗟に昔のカナデの顔を思い出し後悔をした。

今まで妹の事をずっと気にかけていたのは、兄の執着でも過保護からでも無い。

小学生の時の出来事…そして中学生の時に起きたを、二度と起こさせまいとする自分の決意からだ。


けれどカナデに彼氏が出来てから、あまり妹の様子を気にしなくなった。

だってバイト先や学校で見るカナデも、家で見る妹も同じ顔だったからだ。

だから自分の目の前で、浮かない表情をする、少し眉尻が下がった妹の顔を見て動揺したのだ。


カナデは過去の出来事から、男性が苦手だ。特に強く言われたり、言い寄られたりした時は、こんな顔を浮かべ、多くを語らず耐えていた。

カナデは決して口にしなかったたが、きっと小学生の時も中学生の時も、友人や近くの人に助けを求めたのだと思う。

けれど親身になって聞いてくれる人は、兄である自分しか居なかったのだろう。

だから妹はあまり多くを他人に語らず、耐えたり逃げたりする。

そんな時と同じ顔を、今、目の前でしている。


二人が付き合い出したのは、ほんの数か月前。

それまでは妹に気にする事が日常だったのに、ソウタが彼氏になった事で妹の状況が変わり、良いように好転した事で、すっかり安心して以前の日常の事など忘れていた。


「…何かあったんか?」


まさかソウタとの間にトラブルがあったとは思えない。

そして中学の時のような、のような起きたとも思えない。

だから少し喧嘩というか、嫌な気分になる出来事があったのかと勘ぐった。


それはソウタが起こしたと言うより、カナデ側に何かが起きて、誰にも言い出せない苦しみを抱えているような、そのようなものでは無いかと考えた。

それでもソウタが完全に無関係とも言い難い。

だから二人の間で何か大きな出来事があったと言うより、あるとすれば小さな出来事が拗れているような気もした。


「別に何も無いねんけど…」


カナデの言葉にホッと胸をなでおろすミナト。

けれど少し憂いがあるのが分かる。


「少しはあるんか?」


少し…という言葉に反応するカナデ。

ミナトがゆっくりと息を吐くと、カナデは語り出す。


「ソウタのスマホが…」

「スマホ?」

「スマホの通知が多くて」

「それ位は…」

「バイト先の子と連絡もしてて、それが前のソウタの好きな人やった子の妹やって」

「…それで?」

「…それだけ」


そう。たったそれだけ。

なのにカナデはそれが大きく響いて、挙句にはバイト先でハルナに自分の恋心を痛め付けられた。それはハルナからすれば、嫉妬とか、やっかみのようなもので、その矛先が自分に向いただけ。頭では分かっているけれど、ソウタの自分を思う気持ちに自信を無くしそうになっていたカナデにとって、ハルナの話は随分と堪えるものだった。


妹の言葉に何事も無くて良かったと、兄は夜空を仰ぎ肩の力を抜いた。

話を聞けば、ソウタが絡んでいるのは間違いないが、彼が不誠実な人間だとは思えない。

だとしたら、カナデの今の顔は、一体何に対してなのか。


恋人に非は無くても、キッカケが恋人だとしたら、カナデはソウタと付き合って幸せなのか?

カナデを見つめるミナトの眼差しは、真剣に心配をだけをするもので、そこに居たのはカナデの兄で、ソウタと出会う前のミナトだった。


「それで良いんか?」

「…それ、どういう意味…」


妙に無機質なミナトの声に、カナデの体が急劇に冷えてく。

真意を聞きたいけれど、聞いてはいけないような気もする。

そして兄の問いに妹は答えない。


ミナトはカナデに彼氏は早かったのかも知れないと考えていた。

だけどどこかで、妹には親友のソウタ以外は考えられないとも思っている。

ミナトはどう考えても恋愛の事は分からない。

だからカナデの悩みの気持ちが何なのか、想像も出来ないのだ。ただ、妹の浮かない顔が心配なだけ…。


答えの出ない兄の言葉を待つのを止めたカナデは、ふとノンちゃんの言葉を思い出した。


『だからどうすればいいか?では無くて、どうしたいか?ですって』

『ソウタさんに対してどうしたいか?を考える方が建設的ですよ』


ノンちゃんとミナトは同じ事を言っているかも知れない…。

そう考えたカナデは、自分とソウタの関係を考える。


「どうしたいか…は、これからも一緒に居たいけど」

「うん」


カナデの答えにミナトは柔らかい声で返す。それはミナトも同じ気持ちだった。

ミナトも本心はそれで良いと思ってるし、そうあって欲しいと思っている。


「だけど、それでカナデは良いんか?」

「え?」


兄の言葉は思いもよらない、問いかけの言葉だった。

この時、カナデは初めてミナトの視線を捉えた。

そしてミナトの表情を見て、中学生の時に起きた、ある出来事を思い出す。

今のミナトの顔は、本気で妹を心配する兄の顔だった。


「ソウタは…嘘をつくようなタイプじゃ無いと思う」


絞り出すように口を開くミナト。


「だけど…うまく言われへんけど、カナデが無理やったら、無理しやんでも良いと思う」


ミナトは親友に言った言葉を思い出していた。


『俺は、別にカナデとか関係なくて、先にソウタの友達で親友や』


だけど、だからこそ。


『カナデと何が合っても無くても、俺ら友達やから心配すんなや』


どんな形でも、俺はソウタの友達で居れる…。


「カナデが信じられへんのやったら、別にそれでも良いと思う。だってカナデは…」

「し、信じてるもん!」


男が信じられへんやろ?と続けられるはずだった兄の言葉は、妹の勢いに遮られた。


「カナデ…」

「そ、ソウタは初めから違うかった」

「…うん、そうやな」

「だって…ソウタは…」


大粒の涙がカナデの目からボロボロと零れだす。

けれどこのカナデの涙は、以前にミナトが見た涙とは違うように見えた。

それでも涙の理由はきっと同じものなんだろう。


「…怖いんか?」


以前に見た妹の涙は、男性の恐怖から逃げのびた、安堵の涙だった。

でも今の涙は…。


「怖い…ソウタの気持ちが離れるのが怖い。だけどそんな風になりそうでも、怖くて逃げる自分が情けない…」


そう。少しだけ悔しそうに見えたのは気のせいじゃ無かった。

短い期間だけど、ソウタと付き合う事でカナデの心の中にも変わっている事があるのだ。


「そっか」


カナデを見つめるミナトの眼差しは、やっぱり妹を心配する兄の眼差しで、それでも少し柔らかいものになったのは、カナデの男性不信や恐怖を克服する兆しが見えたから。


「もう遅いし、帰るか」


背中のリュックからタオルを出してカナデ渡すミナト。

受け取ったタオルで涙を拭きとるカナデ。


「…ってか、なんか臭い」

「あ、今日も暑かったしな…」

「げ…」


思いっきりタオルから顔を背け、嫌そうに眉を顰めるカナデ。


その様子にミナトは少しばかりの安堵を覚えた。


ミナトはソウタへ過度な期待はいけないと思いつつ、それでも、やっぱりカナデの為にずっと傍に居て欲しいと願っていた。


ミナトは夜空を見上た。

そして都会の少ない星々に、自分の小さな願いを告げるのだった。

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