第26話 エンカウント
カナデとギクシャクとしたままの状態で別れたソウタは、その日から連絡が出来ずにいた。
そして自分の怪我をした足を見て落ち込んだ。
カナデと別れたあの日、もし怪我をしていなければ、あのまま後を追いかける事が出来たかも知れない…。
それでも…と、思い直す。
もし自分が事故に合わなくて、足に怪我が無かったとして。
自分はカナデの後を追う事が出来たのだろうか。
例え追いかける事が出来たとしても、カナデが自分の腕を抜けてどこかへ行ってしまう可能性がある事を思えば、耐えれそうにない自分が居る事にも気が付いた。
「はぁ…」
自分の女々しさにため息を吐けば、それもただの言い訳だと思いなおす。
ソウタはハルナに送ってもらった日に彼女と連絡先を交換した。
その時から抱いている、妙な気まずさ。
この気まずさはの原因は…。
「はぁ…」
数えきれないほどのため息を吐いて、ソウタは自分の過去を振り返る。
―ソウタって何気に面倒見がええよなぁ
―あいつ、頼まれたら、断られへん性格やねん
―そっか、ソウタ、めっちゃ優しいもんなぁ
何か行動を起こす度に聞こえて来る、同級生や友人達の言葉。
でもそれは本当に自分の行動の後に聞こえて来た言葉だったのだろうか?
そんな後悔に似た問いかけをソウタは繰り返す。
『誰でも良いから、褒めて欲しかったんやろ?』
頭の中の友人達を押しのけて、幼い頃のソウタが自分に問いかける。
「っつ…」
小さなソウタの冷たい眼差しに心が冷える。
優しくなんか、してへん。
面倒見が良いってわけでもあらへん。
頼られたら嬉しかった。ただそれだけやん。
『頼られたら…って、それ、単に構って欲しかっただけやろ?だから、そうしてきただけやん』
そんな言葉を吐いたのは、大人になった等身大のソウタだった。
横に並ぶ幼いソウタが柔らく微笑む。
『カナデも、ミナトも、上手くいったやん』
「っつ…」
等身大のソウタが最後に表れて、心にくぎを刺す。
『計算高いの、気付かれたら、アカンで』
ソウタの抱いた気まずさの原因は、ハルナの善意の裏が見えたせいだ。
善意の行為の裏に見えた彼女の強い気持ち。
もしかするとハルナの気持ちは、先輩への好意では無く、男性として向けられたものかも知れない。
それでも、そんなハルナの内情の内訳よりも、ソウタの行動に裏があった事を、彼女を通して突きつけられたように感じてしまったのだ。
ハルナの善意は、計算の無い、ただの好意の現れ。
でも、自分の善意の元は…。
今までそうして来た事を思えば、自分の言動の裏側のある浅ましさが、より輪郭を帯びて胸に刺さっていくようだった。
*****
あれから二週間…。
病院の待合室で会計待ちの時間を持て余したソウタは、余計な考えを横に押しのけてスマートフォンの電源を入れなおした。
いつもと変わらない待ち受け画面。
二週間放置したままの二人の関係が、通院時間のたった数時間で好転するとは思えない。
動けない自分にソウタは不甲斐なさを感じたが、ギプスが外れた足が目に入れば、少しは気分も軽くなったのも事実だ。
ギプスが外れた今日からリハビリ期間に入る。
それにリハビリ期間が長く設けられたのは、ソウタが高校生の時に痛めた足と同じ足を骨折したせいであった。
事故の際に以前と同じ箇所を痛めた事。それが完治への懸念材料になっていたが、どうやらギプスで固定したまま過ごしたのが幸いしたらしい。
結局ギプスを外すのが予定よりも大幅に遅れてたのが良いように働いたようで、このまま順調に回復に努めれば、リハビリ期間が短くなる可能性を告げられた。
「やっとジャージ姿から卒業やな」
まだ感覚のなれない足首を動かしていたら、明るい母の声が耳に入る。
「やっとやで、お風呂も入りやすくなるわ」
「ほんまやな」
軽くなった足と、少しだけ晴れた気分。
そんな気分のまま言葉を返せば、満足そうな母の笑みが返ってきた。
*****
ギプスが外れてから一週間。
結局連絡が出来ないまま過ごしたのは三週間ほどになる。
たった三週間と言えばいいのか、三週間もと言えば良いのか。
振り返れば、さっさと連絡をすればよかったと後悔が募る。
それでも過ぎた日は戻らない。
そして今日だけは、カナデに会わないといけない。
「ちょっと出かけて来るわ」
時間は夜の8時過ぎ。
夕飯の後、ソウタは家を出る準備を済ませると母親に声をかけた。
「ん?今から?」
「あ~うん。ちょっと用事で」
「そっか、気ぃつけてな」
「ん~」
まだ自転車に乗れないソウタは最寄りのバス停から駅の方へと向かう。
バスに乗れば、ハルナと会った日の気まずさを思い出す。
(計算…なぁ)
苦い気持ちを抱えつつ、息を吐いて気分を切り替え、家から持って来た紙袋の中を覗く。
(これは計算じゃ…ない)
小さな包み紙がちゃんと紙袋の中にある事に安堵して、車窓に目を向けると、間もなく駅に着く事を知った。
ソウタの乗ったバスは駅前を抜けて、更に南へ進み、大きな車庫へ向かう。それなりに長い路線の乗客は、駅での乗り降りが多いのが特徴だ。
降車ボタンを押して、目的の停留所でバスを降りる。
ここから歩いてカナデの家へ向かう。
大通りから住宅街へ入れば、人通りもまばらになって行く。
夜の住宅街は静けさで覆われていて、ソウタの背に言いようのない不安がよぎる。
それを振りほどくかのように、握りしめた小さな紙袋を何度も見て、落としていない事を確認する。
しっかりと握っているのだから、落とすハズは無いと分かっていても、何度も何度も紙袋の有無を確認する。
(大丈夫、これは大丈夫)
袋の中身の包み紙に向かって「大丈夫」と言い聞かせる。
何度も呪文のように呟くようにしながら、以前、カナデを自宅へ送り届けた道を、今日は一人で歩く。
「着いた」
見覚えのある建物の前で足を止め、二階の方へ目を向ければ、カーテンの閉じた暗い窓が見えた。
そう言えば、前はミナトが玄関を開けてくれたっけ。
カナデと付き合うようになった日の事を思い出せば、連絡も無しに突然やって来るのが非常識な事だと気が付いた。
(って、来たのは良いけど、どうやって会えば良いのか…)
かといって、今からカナデに連絡をする勇気も出そうに無い。
周りを見渡せば静かな夜の住宅街だ。
客観的に考えれば、今の自分の怪しさに気が付き、このまま何もせずに家に帰る案も浮かぶ。
(ポストに入れて…って、それも怪しい…?)
引き返すべきか、ポストへ入れるべきか。
はたまたこのままチャイムを鳴らすべきか?
色々なパターンを想定している内に、ソウタは目の前が疎かになっていたらしい。
「うちに何か?」
「うゎっ⁉」
急に表れた人影に声をかけられて驚くソウタ。
そんなソウタの驚きように肩をビクリと震わせた人影をよく見れば、疑うような眼差しでソウタを睨む、スーツ姿の中年の男性の姿が見えた。
「…何か?」
訝しげな様子でソウタに尋ねる中年の男性。
「あ、いえ…その…すみません」
ソウタよりも小柄な中年の男性。
それでもソウタが萎縮し素直に謝罪をしたのは、男性の疑う眼差しがあったからでは無く、その顔立ちのせいであった。
(この人…)
初対面で分かってしまう遺伝子の強さに慄きながら、ソウタは自分の素性を告げる。
「あ、あの、俺、みなと君の友人でして…」
「え?あぁ、ミナトの?」
「ミナト」と聞いて中年の男性の表情が少し和らぐ。
「と、カナデさんの…」
「は?」
「カナデ」と聞いて鋭くなった男性の眼差しに、ソウタは「彼氏」と言葉を続ける事が出来ず、持って来た小さな紙袋をぎゅっと握りしめたまま男性に差し向けた。
「こ、これを、渡しに…」
カナデの父親の視線は、差し出された紙袋とソウタの顔を何度も行き来する。まるで品定めのようだ。
(アカン、アカン、完全に不審者や!)
さっきから背中の汗が止まらない。
それでもこの状況を打開するには、改めて身の潔白?を証明しないとダメな事は、いくら恋愛音痴のソウタでも分かる。
「あ、あの!自分は本宮蒼太っていいます!」
「モトミヤ…」
「…ソウタです」
「っ、ソウタ⁉」
「ソウタ」と名前を口にし途端、カナデの父はハッと息を止めて、ソウタを睨みつけた。
何と言うエンカウントだろうか。
カナデの父は、突然現れた可愛い娘の彼氏を名乗る男の登場に、いら立ちを覚える。
「それで、それが何か?」
「え?」
カナデの父が指さしたのは、ソウタが差し出した紙袋だ。
少し潰れてしまったそれは、自分が慌てて差し向けたせいだけれど、そんな事すら思い出せない程、ソウタは冷静さを欠いていた。
「あ…」
潰れた紙袋を見て、ソウタは急に視界が暗くなる気がした。
そして徐々に力が抜けて、崩れそうな顔に変わるソウタ。
「いや、私のせいじゃないぞ」
「…はい…」
がっくりと肩を落としたソウタの姿にカナデの父が慌てて弁面する。
それでも自分よりも遥かに体格の良い青年が、こうも分かりやすく気を落とす様子を見せれば、同情の余地も湧いてくるものである。
(体育会系って感じやのに、気が弱いのか?)
弱弱しい姿ながらも、ぎゅっと握りしめられたまま潰れた小さな紙袋を見れば、益々気の毒に感じる。
そんなひしゃげた紙袋は、少し洒落た雰囲気のパッケージで、若い女性が気に入りそうな雰囲気だ。
「あ、もしかして、カナデの誕生日のか?」
「…」
無言のまま頷くソウタに、益々の同情心が煽られる。
何と声をかければ良いのか。
ソウタへの慰めの言葉を悩んでいると、急に玄関のドアが開いた。
「えっと、おかえり…?」
「あ、うん、ただいま」
「えっ~と?」
訝しげな表情を浮かべて、二人の様子を探るのは、カナデの母親である。
家の外で夫の話し声がするので見に来れば、項垂れる若い男の子の前で困惑の表情を浮かべる夫がいたのだ。
「もしかして事故とか?」
「いや、事故っていうか…いや、事故みたいなものか?」
「えっ!警察?救急車?」
「いやいや、違う、違う、彼はソウタだ」
慌てて家に戻ろうとするカナデ母を止めたのは、「ソウタ」と言う青年の名前だった。
「え?君、ソウタ…くん?」
「…はい、モトミヤ ソウタです」
「あ~」
状況が飲み込めないままのソウタが、聞かれるままに名前を告げると、カナデ母の表情が満面の笑みへと変わる。
「あら~!やだぁ!家まで来てくれたの?さ、入って、入って~!」
「は?スミレさん?」
驚くカナデの父を押しのけて、カナデの母はソウタを玄関へ押し込んだ。
「せっかく来てくれたのに、上がって、上がって!」
「えっ?」
「あの子達、まだバイトから戻って無いの、ゴメンね~家で待ってちょうだい」
「え?え?あの??」
「遠慮しないで!ささ、ヨウヘイさんも家に入って」
ソウタの背を押しながら、カナデの母が夫の声をかける。
やがて二人を玄関に押し込んで上機嫌に玄関のドア閉めれば、そのまま嬉しそうに家の中へと入って行った。
土間に残されたソウタとカナデ父。
二人で顔を見合わせれば、先ほどの妙な緊張感も悲壮感も無くなった事に気が付いた。
「お邪魔します、突然に、すみませんでした」
「あぁ、気にしなくて構わない」
ソウタがぺこりと頭を下げれば、さっきとは違う柔らかい声が耳に入って来た。
「スミレさんの言う通り、中で待っていなさい」
「はい」
玄関を上がりスリッパに足を通せば、カナデの父が目くばせをした。
「おじゃまします」
再び挨拶を告げれば、カナデの父が頷いて先に進んだので、ソウタは素直に後に続く事にした。
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