第25話 彼女の言い分

ソウタの家から逃げ出すようにバイト先へ駆けこんだカナデ。

忙しいから…なんて、意味の無い言い訳をして、気持ちを持て余した状態でバイト先に来たのはいいけれど、カナデの都合でバイトのシフトが変わる事は無い。


その上バタバタと飛び出したカナデに対し、ソウタ何も言わなかった。


そんな気まずさとモヤモヤから気持ちの沈んだままバイト先に着いたカナデは、持て余した時間をつぶすべく、誰も居ないのを確認して休憩室へ入った。

入り口に近い椅子を選んで座るのは、以前ソウタに言われたからだ。


椅子に座りため息を零すカナデ。

スマートフォンを取り出せば、まだ何の通知も来ていない。

ソウタは何も言わない。

家を飛び出した罪悪感から、ホッとする気持ちと、構ってくれない寂しさで、カナデの胸中は複雑だ。


眺めているうちにスマートフォンの画面が暗くなれば、また画面を起こし、メッセージアプリを確認する。

さっきから、何度も変わらないトーク画面を確認しては、画面を閉じる。


(はぁ…)


なぜソウタは何も言わないのか?

少しソウタを責めるような気持ちもあるけれど、そもそも逃げ出すようにソウタの家を飛び出したのはカナデだ。

カナデは自分の短慮さに、再びため息を吐く。


まだバイトが始まるまで二時間近くある。

スマートフォンの画面閉じて、室内の壁時計を見てもそれは変わらない。

それでもほとんど動かない時計の針を恨めしく思いながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかない。


「あれ?カナデちゃんやん!お疲れ~って、今日、早ない?」


数えきれないほどのため息を繰り返していたら、急に休憩室のドアが開いて、ミナトと同じキッチンのメンバーであるタカシが休憩室に入って来た。

手には食事の乗ったトレイを持っていので、今から夕食を取るらしい。


「疲れ様です。今日は少し早めに出てしまったので…」

「ふ~ん、珍しいなぁ」


妙に高いテンションのタカシは、カナデのはす向かいへ座る。

ソウタと一緒に過ごすうちに、バイト先のメンバーとのやり取りに慣れて来たとは言え、男性と二人きりの空間は緊張してしまう。


「ソウタ、元気?」

「えっ?」

「へへ、ミナトがゲロッてん」


ニマっと茶化すような笑みを浮かべ、タカシは尋ねて来た。


「な~ソウタのどこが良いの?」

「っつ!」


…からかわれている。

咄嗟にそう感じたカナデが、どうやってこの場を切り抜けようかと悩んでいると、また入り口のドアが開いて、今度はフロアの女の子が入って来た。


「お疲れ様です」


少し冷たい声で休憩室に入って来たのは、カワスミハルナだ。


「お疲れ~」

「…お疲れ様です」


カナデの並びに席一つ分開けてハルナがテーブルに賄のトレイを置いて、静かに席に付いた。


「ソウタさんまだ暫く松葉杖って言ってました。大変そうですよね」


まるで独り言のような形で切り出しのはハルナだ。


これは自分に言われているのか、問われているのか。

言葉の真意が分からないカナデは、ハルナの言葉に答える事が出来なかった。

少し気まずい空気が漂う中、先に声を出したのはタカシだ。


「そうそう、全治三か月とかやっけ?今年中には戻って来るんやろ?」


ハルナに返事をしたタカシが、そのままカナデへ会話を繋ぐ。


「えっ?あぁ、多分そうだと思います…」


急に会話を振られて、戸惑いながら答えるカナデ。

そんな二人のやり取りに、ピリピリとした空気を出したのはハルナだ。


ピリピリとした空気を感じたタカシは、その緊張感から逃げるようにカナデに目を向ける。

ところがカナデはカナデで、暗い空気を出している。


(うわぁ…重っ!てか、カワスミちゃんは怖いし、どうしたらええねん…)


タカシは二人の醸し出す妙な空気に挟まれ、この場を穏便にやり過ごせる方法を探す。

暫く無言が続く中、タカシはいっそ気付かない素振りが一番安全だと悟り、まるで何事も無かったかのように振る舞い、ひたすら賄を口に運ぶ事にした。


とは言え、先ほどから背中が冷たくて仕方が無い。


(なんか怖いし、ご飯は味がしぃひんし…)


賄の味がよく分からないのは、今日のメニューが和風ハンバーグだからでは無いだろう。とりあえず、無心を装い食事を進めていると、ハルナがタカシに話しかけて来た。


「この前、偶然、ソウタさんに会って、久しぶりに喋ったんですけど、相変わらずって感じで、めっちゃ楽しかったです」

「久しぶり…って、カワスミちゃんとソウタって接点あったっけ?」

「あれ、知りません?」


タカシの質問を待ってましたとばかりに、ハルナは得意げな表情を浮かべた。


「あ~…。知り合いなんやねぇ…」


この会話は広げない方が良い。

即座にそう判断したタカシは曖昧な言葉で、会話を終わらせようと試みた。

けれど、そんなタカシの浅はかな思惑は上手く行かない。


「ソウタさん、お姉ちゃんの同級生なんで、私とも、めっちゃ話ししますよ。仲良くなったのも、私が中学生の時からなんで、結構長いんです」

「ヘェ、ソウナンヤ…」


ハルナの話しっぷりを聞けば、ソウタとハルナはかなり親密な感じがする。

だからと言って、タカシからすれば、ソウタの彼女の前であるカナデの前で、こんな話題を続けるハルナの真意が分からない。

それにだ。

先ほどから感じるカナデの重い空気感を思えば、この話が適切で無い事は分かる。


(う~ん…)


だからと言って、機嫌が良さ気なハルナの会話の流れを変えて、またピリピリとした空気を出されても困る。


優しいからなぁ、ソウタさん」


その言葉に肩を揺らしたのはカナデだ。


ハルナの言葉を聞いて、カナデは自分とソウタの関係を言われていると感じた。

ソウタが誰にでも優しいのは事実だ。困っている人が居れば、声をかける事に戸惑わないのはソウタの良い所。

それは付き合いが短くても、十分に分かる話だ。


そもそも、そういったソウタの気遣いや優しさにカナデは救われ、そこから恋愛に発展したのだから。


「…」


カナデは口をぎゅっと結んで、沸き起こるモヤモヤとした気持ちが口に出ないようにを唇に力を入れた。


「この前ね、ソウタさんが雨で濡れそうやったから、家まで送る話になって」

「ええっ?家まで?」

「…っ」


ハルナの発言に驚く二人。

先ほどから俯いた状態のカナデは「家まで送った」と言わんばかりのハルナの言葉が頭から離れない。


(バス停で別れたって言ってたのに…)


それでも、ソウタがカナデに嘘は言わないはず。

そんな事は十分に分かっていても、ハルナの自信に満ちた言い分を聞けば、カナデはソウタへの思いの根拠を疑い始めた。

そんなソウタを疑う気持ちは、抱えたままのモヤモヤを更に広げていく。


(カワスミさんが…嘘を?でも、何で?)


そんなカナデの思考を止めたのはタカシだ。


「流石に家まで送るのは、悪くない…?」


恐る恐る尋ねるようにハルナに切り出しすタカシ。


「彼女って、居ても居なくても大丈夫でしょ。いつも助けてもらってるし、ただのお返しです」

「でもなぁ…」

「だったらソウタさんに彼女が居たら、お手伝いもダメで、お礼もダメなんですか?」

「そう言う事じゃ無いけど…」


(普通は彼女が居たら、少しは遠慮すると思うねんけど…)


そう考えて、タカシはある事に気が付いた。


(そうか!カワスミちゃんはソウタの彼女がカナデちゃんって事を知らへんのや)


「ま、でも、彼女の方が、気を悪くするかも…やで?」


言いながら、チラチラと視線をカナデの方へ促し、アピールするタカシ。

けれどそれが分からないのか、ハルナはタカシの視線誘導に乗らない。


「何で気分が悪くなるんですか?」

「はぇ?」

「別に大丈夫でしょ、ただのお礼みたいなもんですよ?」

「そう言われたら、そうかも知れへんけど…」


チラチラとカナデを見れば、先ほどから少し俯いたままで、何をどうすれば良いのか、タカシは分からなくなっていた。


「それにソウタさんの方が、実は彼氏が居る人とかに、親切にしてた可能性ありますよ?」


きっぱりとハルナが言えば、その可能性がゼロでは無い事に気が付いた。


「…って驚いてるけど、別に下心ないから良いでしょ。ソウタさんですよ?」

「…まぁ…そうやけどなぁ…」

「勘違いして受け取る方が、逆に変じゃないですか?」


その言い方は、まるでソウタのカナデへの好意は、ただの優しさだと言わんばかりだ。

その上で「勘違い」という名目で、カナデを責めているようにも聞こえる。

何も言えなくなった二人にハルナは続ける。


「ソウタさんの優しさを利用する人の方が悪くないですか?」


自信に満ちたハルナの顔は、これが正解だと言わんばかりだ。


ハルナの妙な押しの強さを前に、最近のソウタの落ち着かない様子を思い出せば、カナデは自分の気持ちがぐちゃぐちゃになって行くのが分かった。


ソウタの家で見せてもらった、ソウタのトーク画面。

ハルナとのやり取りは、普通の友人の域のように見えた。

多少、やり取りが多いのは気になるけれど、下心があるとか、カナデに誤魔化してまで、メッセージをやり取りするような人だとは思えない。


ソウタを疑う気は無いのに、何故か疑念が浮かぶ。


「だから、ソウタさんの優しさが、逆に利用されそうで、心配やなって、お姉ちゃんと話した事あるんですよ」


ハルナの含みのある言い方にカナデの心が強く揺れる。


「う~ん。ソウタは騙されるタイプかなぁ?」

「って言うか、勘違いした子が彼女ですって言い出したら、ソウタさんが強く言えないと言うか」

「あ~…そっち…」

「押されたら、断れないって感じですよね、ソウタさん」


そうキッパリと言われると、タカシは、ソウタならありえそうな気がして来た。それにタカシは現在、彼女を募集中の身だ。

気が無くても、好みの女の子に言い寄られたら、自分もきっと断れない。


「そうかも」

「でしょ?」


基本的に、可愛い女の子に言い寄られれば、男は強く言い返せない生き物だ。

ましてやカナデのような美人なら、勘違いでも何でも、タカシは問題なく受け入れる。


(カナデちゃん、なんか、ごめん~)


何となくカナデに謝った方が良いと察したタカシが心の中で詫びを告げる。

そして白旗を上げて、この場から撤収する事にした。


タカシは勢いよく賄を平らげると、「お先です~」と言いながら休憩室から逃げ出す。


当然、タカシが居なくなれば会話も終わる。

そして静かになった休憩室に残された二人。

ハルナも言いたい事を言い切ったとばかりに、勢いよく賄を食べだした。


暫くすると機嫌が良さそうな雰囲気を残したまま、ハルナが休憩室を出て行った。


「…はぁ…」


一人になったカナデは、ハルナの言葉を噛みしめた。


『って言うか、勘違いした子が彼女ですって言い出したら、ソウタさんが強く言えないと言うか』

『押されたら、断れないって感じですよね、ソウタさん』


ハルナの会話は、まるでカナデがソウタの彼女になった日の事を、知っているかのような口ぶりだ。


(まさか…)


カナデは自分の中に浮かんだ一つの答えを即座に否定する。

そして急いでスマートフォンの通知を確認する。


(それは無い…)


相変わらず表示の変わらないソウタとのトーク画面を眺めていると、徐々に画面が滲んで見える。


(そんな事、ないやんな?)


多分じゃなくて、ハルナはソウタの彼女であるカナデが気に入らない様子だった。

それは仲良くしていた人に恋人が出来て面白くないと感じた上の、やっかみかのようなものだと理解しようとした。

だけど会話が進むにつれ、カナデの方に非があるような言い方になった。


ソウタが彼女に選んだのは、サエちゃんでもハルナでもなく、自分だ。

さっきだって、ソウタの家で抱きしめられた。

それでも浮かぶのは、ハルナの言い分から推測される一つの可能性。


その可能性の話が実は本当の事だったとしたら。

断れないままで、勝手に彼女と言い出したカナデ。

そんなカナデに嫌気がさしたソウタが、ハルナにその事を告げ、それを聞いたハルナがソウタの為に遠回しに伝えて来たとしたら…。


(違うやんな?)


ソウタはカナデに好きだと言ってくれた。

愛しているとも伝えてくれた。

些細な行動の変化だけで、ソウタの気持ちを疑う自分に、返って自己嫌悪に陥るカナデ。


(付き合うって、好きだけじゃ、ダメなのかな)


暗い画面のスマートフォンを握りしめたまま天井を見上げれば、蛍光灯の灯りも滲んでいた。












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