第27話 双子(1)

ソウタが招かれた先のダイニングで席に付くと、カナデの父親が缶ビールを差し出して来た。状況の把握が出来ないまま席つくソウタは、勧められるままにビールを口にする。


ソウタはカナデの両親を前に緊張しながらも、二人の話す自慢話のような他愛のない話に耳を向けるのは楽しかった。

どうやら仲が良いのは兄妹の間だけでは無いらしい。


話が盛り上がる度に、空になるグラスにビール注ぐとまた話が盛り上がる。

やがて空になったビール缶が四つほどになると、カナデの父は黙って席を立ち、隣のリビングへ行くと、そのままソファーに沈みこんだ。


「ええと?」


困惑するソウタに、カナデの母親が声をかける。


「ソウタ君は…酔わへんタイプなん?顔には出えへんね」

「そんなに呑んでないですよ」

「じゃ、今からサシ呑みや」


カナデの母が方言の混じったものに変わったのは、少し酔いが回ったせいかも知れない。


「プレゼントを渡すまでは、酔えませんけど…」


ソウタは半分ほどになったグラスを見つめ、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべる。

そんなソウタの柔らかな表情に、カナデの母も笑みを浮かべた。


「そっか、そっか」


彼女の視線は一見すると嬉しそうなだけの視線に見える。

だけど、どこかでソウタを探る様な気配も混じっている。


(初めて出来た彼氏…っぽいし、やっぱそう言う目で見てまうよなぁ…)


カナデの母の視線を感じながら、ソウタはそんな事を考える。

そしてカナデとミナトの帰宅はいつになるのだろうかと思考を切り替えた。

ダイニングの壁時計を見れば時刻は10時過ぎ。

バイトの上りが早ければ、間もなく二人が帰って来る時間だ。

そんな事を考えるソウタの耳に、いびき混じりの寝息が聞こえ始めた。


「あれ?もしかして寝てます?」

「あ~あの人、お酒弱いからなぁ…」


カナデの母は笑い交じりで席を立つ。そのまま廊下の方に出て、暫くすると手にタオルケットを手に持ち帰ってきた。


「気持ちよさそうに寝てはるわ。嬉しかったんかな?」


カナデの母はタオルケットを夫であるカナデの父にかけると、笑みを浮かべながら再び席についた。


(嬉しかった?って、何やろ?まさか俺…って事は流石に無いか…)


不意に浮かんだ答えに、自虐的に否定をするソウタ。

そんなソウタの耳にカナデの母の声が届く。


「そう言えば、カナデとミナトの事で何か聞いてる事ある?」

「何か?…って、何の事ですか?」

「あ~、小学生の頃とかの話…?とかかな?」


少し歯切れの悪い返事で答える様子に、違和感を覚えるソウタ。


「小学生…の話とかは、多分まだ無いと思いますけど?」

「…そっか」

「?それって、聞いた方が良い話って事ですか?」


先ほどから感じる何かを探るような視線に、少し戸惑いながら言葉を選んで答えると、彼女は急に「フフッ」と吹き出した。


「えっと?何か変でした?」

「あ~いや。ごめん。ううん、なんか試すような感じでゴメン」


その答えで先ほど感じていた視線の正体に気が付いた。

やはり彼氏として、自分の素性を探られているようだ。

それも仕方ないなと、ソウタは頭を切り替えて、話の続きに耳を傾ける。


「えっとな、ソウタ君って、あの子らの事どう思う?」

「えっと…?」

「あ~いや、違うな…。ごめん。あの子らがソウタ君の事、何か言うてるとか、そんなんじゃ無いで。ゴメン、あ~、何の事か分からへんよなぁ」


一体、何の話をされているのか。

訳が分からないソウタが戸惑っていると、カナデの母は少し息を吐いて、独りごとのように語り出した。


「えっとな、ウチら…っていうか、私やねんけど、あの子らの事で一回だけ失敗してるねん」

「失敗…?」

「うん。失敗。だからこれは、もしもの話で、別にソウタ君がそうって話じゃないねんけど…」

「はい…」

「う~ん…。こうして初めて会ってな、印象悪いって分かってんねんけど、やっぱり言うとかなアカンなって」


言葉が進むたびに重い雰囲気になっていく。カナデの母はグラスを見つめたまま言葉を続けた。


「あんな、ソウタ君には、ごめんなさいやけど、あの子らと向きあうとか、付き合うのが難しいって感じたら、ソウタ君から離れて欲しいなぁって話やねん」


話が見えないまま続けられた言葉は、ソウタの予想を超える母親の願いだった。


「えっ…と?」


言葉の真意が分からないソウタ。本当はそれを尋ねたいのだが、ソウタは自分の心臓が嫌な音を立てて、大きく脈が打つのを強く感じてしまい、言葉を発する事が出来なくなってしまった。


「過保護なんも分かってるし、こんな話、あの人が聞いたら怒りそうな話やねんけどな」

「…」

「ごめんな、非常識な事言うてるのは、自覚してる」


カナデの母は少し自虐気味な笑みを浮かべ、グラスに入ったビールに口を付けると、一気にビールを煽った。


「ソウタ君が良い子なのは分かってるねん。ミナトの友達になった時点で、そんな事は良く分かってる。それにカナデの浮かれてる顔を見たらな…」

「…」

「実の息子の事で、こういうのもアレやけど。あの子、拗れているからなぁ。それにカナデもな…彼氏が出来るとか想像出来へんかった。でもな…」

「…はい」

「最近のカナデはちょっと変やねん…。あの時と同じ…っていうか、だから、もしかして、ソウタ君も私と同じ失敗をしたかなぁって」


カナデの母の言葉に肩を揺らすソウタ。

衝動をゴクリと飲み込めば、ソウタの喉に苦いものがこみ上げる。


(あの時と同じって、失敗…って、どういう意味なんですか…?)


会話の流れで発する言葉は決まっているはずなのに、声を出せないソウタ。

その理由はソウタの感じている、自分の性格の背後にある後ろめたさだった。

もしかしてカナデの母は、自分の性格の浅ましさを見抜いたのでは無いか。

そんな思いがソウタの頭を過る。


そして続けて頭を過るのは、先ほどのカナデの母の言葉。


(離れて欲しい…って…?俺が、カナデと…?ミナトも?)


ソウタはグルグルと頭の中を巡る言葉に戸惑いながら、残りの少なくなったビールを一気に飲み干す。なま温いビールは一気に喉を通り、炭酸の抜けた苦さがじわりと胸に広がると、鼻から苦いものがツーンと抜けて行く。

空になったグラスを静かにテーブルへ置くと、カナデの母が再び口を開いた。


「あの時の顔って言うのは、あの子らが小学生の時の事やねんけど…」

「…」

「ほんまは、本人から聞いた方が良い話やと思う。だからこれは私の失敗の話って事で、ソウタ君も私と同じ事をしたかもって話で…」


「失敗」という言葉にソウタは、カナデの母へ顔を向ける。

目が合うと、そこには諦めに似た、少しだけ苦い笑いを浮かべているのが見えた。


「なんか、ゴメンな」

「いえ…」


ソウタもぎこちの無い笑みで返すと、カナデの母は自分の失敗を静かに語り出した。




*****



それはカナデとミナトが小学二年生の時の話だった。

二人は双子だった事もあり、別々のクラスになった。

ある日、学校から呼び出しがあってカナデの母が駆け付けると、ミナトがカナデのクラスの男の子と大喧嘩して、二人して軽い怪我したのだと説明された。


連絡を受け、放課後の子供達が帰った後の校舎を歩く。

子供達の待っている教室に向かうカナデの母。

やがて教室に着くと、待っていたのは、カナデとミナトと、その両担任の先生。

促され教室に入り、席に付くと、ミナトの担任の先生が話を切り出した。


「ミナト君が喧嘩の理由を言わなくて…」


先生の困惑した表情で、ミナトの頑固さを思い出した母親。

続いて説明されたのは、喧嘩の経緯だった。どうやら先に手を出したのはミナトらしい。


「すみませんが、お母さんからも理由を聞いてもらえませんか?」


そう促したのは、カナデの担任の先生だった。

ミナトは二人の大人を相手に、まったく口を開いていないようだ。

少し息を吐いてミナトの顔を見れば、思った通り、キュッとくちを硬く口を閉じたままでいる。

そしてミナトの横に寄り添うように座るカナデに目を向けると、カナデはうつむいたまま。少し長めの前髪のせいで顔の表情は見えない。

母親は再び息を小さく吐いて、ミナトに声をかけた。


「…ミナ…」

「言いたくない」


母親の問いかけを強く拒絶するミナト。

そう言えば、この子は言い出したら聞かない事がある。

カナデの母はミナトの言葉は諦めて、カナデに事情を聞こうと目を向けると、顔をあげた娘と目が合った。

そして目が合うなり、彼女は堰を切るようにポロポロと涙をこぼし始めた。


「カ、カナデ?」


驚いた母親が声をかけると、その声にハッと息を飲んだミナトが顔を上げ、まるで妹をかばうように声を荒げた。


「っ!カナデは悪くない!あいつが悪いねん!!」

「ミナト…」

「っ!!」

「ミナト、落ち着いて?何があったんや?」

「あいつのせいや!!」


それでも頑なに理由を言わないミナト。

頑ななミナトの態度に、担任も母親もどうすれば良いのか分からず、まるで匙をなげるかのような雰囲気が出始める。

そんな空気を察し、ふぅふぅと荒い息を吐くミナトを宥めながら、母親はとりあえずと、先生に謝罪を告げた。


「先生すみません。うちの子がご迷惑を…」


謝罪を言葉を述べる母。

そしてその言葉を聞いたミナトは、母親の手を振りほどき、代わりにカナデの手を攫うように取ると、教室から飛び出した。


「ミ、ミナト⁉」

「ミナト君!」


母親も慌てて席を立って追いかけると、長い廊下をかけて、校門へ向かう二人の背中が見えた。


「っ!!先生、すみません!」

「はい!早く追いかけてあげて下さい!」


母親が慌てて謝る。そして二人分のランドセルを担任から受け取ると、教室を後にして、双子の後を追いかけた。


「ちょっと、待って!」


校舎内の廊下を抜ける二人を、母親も必死に追いかける。

そして校門を抜けた双子と同じ道をたどり、さらに追いかけていくと、30mほど先の交差点で二人が信号待ちをしているのが見えた。


「ちょ、ちょっと待って、待ちなさい!ミナト!」


タイミングよく、信号が赤に変わったようで、二人は母親が駆けてくるまで信号に捕まっていた。


「っ、はぁはぁ、ミ、ミナト」


息子の腕を掴み、息を整える母親。

息を切らしながらミナトを見れば、怒りなのか、悲しいのか、耐えるように口を閉じていた。


「急に飛び出したら危ないやん…」

「…」


その場で膝をついて、ミナトの上靴を脱がし、持って来た運動靴をはかせる母親。

そして息子の額に浮かぶ汗を拭いながら、妹の靴も履き替えさせようと声をかける。


「カナデは大丈夫か?」

「…あのな…」

「ん?」

「…ミナト悪くない…私のせいやねん」

「ん?カナデのせいって何?」


ここに来て、母親はようやく理由が聞けそうだった。


「ナカムラ君が触ってきてん」

「え??」

「だから、嫌やったから、押したら、押し返されて…」


再びポロポロと涙を流し始めるカナデに、母親は眉をひそめた。


「それって…どういう意味?」


カナデの告白に思考を巡らせつつ、母親は娘の言葉を待った。

けれど彼女は、ただ涙を流すばかりで、次の言葉は消えてしまった。


「…カナデ…」


静かに泣いている妹を宥めるように、ミナトは小さな声で妹の名前を呼んだ。

結局、詳細を聞く事が出来たのは、双子の父親が家に戻ってからになった。








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