第16話 ソウタの回想、ソウタの失恋

カナデとミナトがバイト先から帰る頃。

ソウタは更衣室でカナデの様子を思い返していた。


少し気まずそうなカナデの様子。

それは今まで一度もソウタに見せた事の無い顔だった…。

ソウタは着替えながら、カナデと出会ってから今日までの事を思い返していた。


出会った頃のカナデは、大人しい女の子だと思った。

慣れて来ると活発な女性だと思った。

友人になる頃は男友達のような気安い人だと思った。

そして付き合うキッカケとなった日、カナデは自分の好きな人なんだと、カナデ自身に気づかされた…。


いつからかソウタの中のカナデは、いつもで明るくて可愛くて、真っすぐな好意をソウタにぶつけてくれる唯一の女の子だった。


けれど、つき先ほど最後に見せたカナデの顔は、今までとは何もかも違った。自分の記憶にないカナデの顔…。


それでもソウタは自分の過去の記憶をたどれば、似たような表情を見た事があった。


(カナデはあの子とは違う。でも女の子がみんな、そんな感じやとしたら…)


ソウタは無意識に首を横に振った。

それは同列に考えてはいけない…。カナデはカナデだと。

けれども考えていはいけない事が、何故だか頭から一向に離れてくれなかった。




*****




その日からソウタは上の空だった。

上の空だったから交通事故にあった。

それは学校からの帰り道で、信号の無い横断歩道を渡っている時に起きた。

いつもなら慎重なソウタである。

上の空じゃなかったら、事故に合わなかったかも知れない…そんな不運な事故だった。


ソウタが自分の状況を聞けたのは、無事に手術が終わった後だった。

気の抜けきったソウタが、ベッドの横でごそごそとしている母に気が付いた…という感じだ。

着替や洗面具などを片付けながら母が話しかける。


「全治三か月やって、ギブズを取るのは3週間後らしいよ」

「三か月…」

「痛みが強いようなら早めに言って下さいね、って」

「あ、うん、ありがとう」


ギブズでしっかりと固定された左足を見て、小さく息を吐くソウタ。


「あんたの不注意もあったと思うけど、横断歩道の上ではねられたから、向こうの過失や、あんま気にしやんときな」

「うん」

「だから自分も悪いとか言わんほうが良いよ。向こうも保険屋さんがちゃんとしてくれるから、あんまり変に気を使うと余計にややこしくなるで」

「そうなんや」


用事が終わったのだろう。

母はベッドわきの椅子に座って、「普通で良いねん」と笑っていた。


「わかった、ありがとう」

「それと、携帯の充電は落として、引き出しに入れてるから。

学校とバイト先には、取りあえず1か月ほど休みますって言うてるから、落ち着いたら連絡しときや」


さすがは母親である。

子供の面倒をみさせたら最速の早業だ。

ソウタは母の的確さと、頼りになる姿に安堵を覚える。


「何から何まですみません」

「あはは、なんやそれ」


ソウタが改まってお礼を言えば、母は普通に笑って返してくれた。


「週末あたりにお父さんとまた来るけど、急ぎの用事があったら連絡してや。

あ、多分チビらは連れてこられへんで。ほなお母さん、帰るわな」


やはり母親は最速である。

言いたい事だけ的確に伝えると、慌ただしく病室から出て行った。




*****




母の居なくなった病室は、急に静かになってしまった。

ベットで上半身を起こしていた体を、ゆっくりとベッドに沈ませ、慣れない天井を見上げた。


急にこんな事になって、驚かせたし心配もさせた。

悪かったな…と思いつつ、ソウタはそれとは違う不安も抱いていた。


三か月か…」


不安を呟けばやり場のない気持ちが押し寄せた。

誤魔化すようにと、静かに目を閉じれば、ソウタは疲れが出たのだろう。

やがて深い眠りに落ちていった。


それはソウタの不安が引き寄せた過去の記憶の夢だった。


高校生のソウタがねん挫をした足をかばいながら部室へ向かうと、中から話し声が聞こえて来た。

彼らは着替えながら話をしているのか、注意が散漫で、部室の外にも声が漏れ聞こえるほどの大きな声の会話だった。


別に盗み聞きするつもりは無かった。

だけど話題が自分の事だと気が付けば、足が止まり、部室の中へ入れなくなった。


「え?サエマネージャー、ソウタ先輩と付き合ってるんじゃないんですか?」

「あいつ今、ヨシツグと良い感じらしいで」

「え~、浮気ですか?ソウタ先輩が怪我してるのに?」

「あ~、多分ソウタとは付き合って無かったと思うで、仲良かったけどな」


明らかに話の内容は、自分とマネージャーの話題だった。

そう。サエマネージャーとは、ソウタと同級生で密かに恋心を抱いている女の子である。

ソウタの動揺は自分の気持ちが仲間にバレていた事よりも、彼女の相手の名前が「ヨシツグ」だと知った事の方が大きかった。


「仲良かったって…そんな距離でしたっけ?」

「あ~ケガしいひんかったら、そのまま付き合ってたかも?」

「ソウタ先輩、ちょっと運が悪い感じですかね~」

「まぁ、俺からしたらそんな薄情な奴、ソウタの彼女になって欲しくないけどな」

「あ!分かるっす、俺ももっといい子がお勧めです」

「てか、俺らも彼女おらんから、紹介する前にまず自分やな」

「あはは、それは言わんといてください~」


彼らからすれば他愛のない会話の一つだろう。

けれどソウタは、いたたまれない気持ちになってしまった。

そのまま部室へ向けていた足を、元来た道へと戻す。

ソウタは笑い声のする部室に入る事が出来ず、そのまま家に帰える事にした。


自宅の自室に戻ると、そのままベッドに倒れ込んだ。

今日も両親は仕事で留守なのだろう。

静かな家の中でそのまま寝てしまい、やがて帰宅した母の声で目が覚めた。

いつも通りの遅い夕飯の支度が出来たと、そんな母の声で目が覚める…。


そんな過去の鮮明な思い出の夢だった。


「お夕飯、こちらに置いておきますよ」


母とは違う聞きなれない女性の声。

その声でソウタは目が覚めた。

ままだ微睡の中に居るソウタは、ぼやける目で、見知らぬ天井に違和感を覚える。


「あれ?母さん?」

「うふふ、お母様は帰られたと思いますよ。お夕飯はここに置いておきますから、食べ終わったらコールボタンを押してくださいね」


自分に話しかける女性を見ると、ナースの服の看護師さんだった。

その姿に自分が病室に居る事を思い出したソウタ。


(そっか、寝てたんや…あれは、夢…)


ソウタはゆっくりと身体を動かして、ベットの上で上半身を起こす。

患者が完全に目覚めた事に気が付いた看護師が声を掛ける。


「ご飯、食べれそうですか?」

「あ、はい…頂きます」


ソウタの答えに看護師さんはオーバーテーブルの上に食事を乗せてくれた。


「ウエットティッシュがあるようなので、こっちに置いておきますね」

「ありがとうございます…いただきます…」


テキパキと配膳の用意をして、看護師さんは他のベッドの人へ声をかけにいった。

目の前の食事を見て、小さく息を吐く。


(あの時、部室に入ってたら、何か違ったんやろうか)


ソウタはベットの上でそんな事を思い出し、食欲の進まないまま食事を食べ始めた。




*****




味の感じない夕飯を食べ終えると、ソウタは先ほど見た夢の内容を思い返していた。


自分が怪我をしてチームから離れた間、部の事を纏めてくれたヨシツグの事は素直に感謝している。

そして急に抜けた自分の事を思えば、彼の大変さも理解できる。

だからマネージャーのサエちゃんと仲良くなるのは必然だったし、お互いに助け合っていく内に、惹かれるのも理解が出来る。


だってケガをする前の自分がそうだったから。

だから別に彼らがそうなる事を不満に思う事は、そんなになかった。

正直に言えば、仕方が無いな…という感じが強かった。


けれど部活内にある、サエちゃんを薄情だと言った声を、自分は否定をする事が出来なかった。

だって、それは自分もそう思っていたから。


それにサエちゃんも、自分で自分の事を恐らくそう思っていたのだと思う。

マネージャーとしてのサエちゃんが、自分と話をする時の、微妙なあの顔はそれを物語っていた。

後ろめたさのような、罪悪感のような。

簡単に言えば、気まずい空気感に困っている…そんな表情だった。


だからソウタは「気付かないふりをする」のがベストだと思った。


友人以上恋人未満のような以前の距離は止めて、普通の友人との距離感で、何事も無かったかのようにサエちゃんと接するのが一番良いと思った。


だから友人のサエちゃんがヨシツグと付き合うのは当たり前の流れで、自分はそんな二人に最初から関係が無くて、たまたま怪我で部活を離れただけ…。

そんな風に置き換えると気持ちが楽だった。


だからソウタは、生まれて進めなくなった恋心を、見ない事にして、そのままの状態で放置した。


だけどそんな勘違いのような、放置していた気持ちの置き換えが合った事を、カナデによって一瞬で思い知らされた。

カナデが彼女にして欲しいと言った時、自分が見て見ぬふりをしてきた恋心を暴かれたのだ。


ソウタはあの時、失恋したのだ。

進めなくなったソウタの恋心は、ただの失恋で、自分はそれで諦めたのだと。

だけどそれを認めたくなくて、怪我が元でそうなった自分の意気地なさに目を向ける事が出来なくて。

色々な理由を上から重ねて、曖昧なままに放置していただけなのだ。


そんな曖昧な自分の気持ちは、カナデと会えた事で、次第に風化されて行ったのだろう。

失恋という過去を、カナデの勢いと共に素直に受け入れる事が出来たのだ。


カナデに会えば、彼女は明るくて、楽しくて、癒されて。

そしてそんな彼女に導かれるように、どんどんと自然に惹かれていって…。


ソウタは自分でも気付かぬ内に、カナデが好きになっていた。

自覚の無いままに惹かれ、気が付けば好きという形になっていたのだ。


だからそれは曖昧だったけど、ちゃんと好きだと言えた。

だって本当にその気持ちがあったし、その気持ちは本当だったから。


だけどそんなカナデの言葉は「好き」という簡単な言葉では無かった。


『だから!彼女、私でもええやん!ってゆってるねん!』

『はぁ?好きでも無い男に抱き着かれて許すわけあらへんやろ!』


あの時のソウタはカナデの言葉が理解できたのに、今はそれを理解するのが難しくなっている。

怪我をしたせいで気弱になっている…。


今はただ、カナデの「好きです」と言う、一言が無性に聞きたかった。


もしそう言った分かりやすい言葉で言われていたら、最後に見せたカナデの、あの顔の意味を、あの時も、今でも、ちゃんと聞けたのに。


ソウタは意気地の出ない自分の弱さを目の当たりにして、そんな事を考える自分の事も嫌になってそのままベッドに沈み、丸まるようにして目を閉じた。

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