第15話 今更…

カナデはバイトに向かう途中、ドーナツショップでの出来事と、ネット記事の話、そして自分の妄想の中で起きた事を思い返していた。


そしてそれらを踏まえて「今日は二人で帰ろう」とミナトに切り出した。

カナデは結局、何をどうしたら良いのかが、分からなくなってしまったのだ。

そして考えても分からないのなら、取りあえず目の前の問題から逃げ出せばいいと、安易にそう考えたのだ。


「はぁ?」

「きょ、今日は3人じゃなくて、2人で家に帰る」


突然可笑しなことを言い出す妹に、訝し気な視線を送るミナト。

視線の先には少しばかり挙動不審なカナデ。

まるでソウタから逃げ出すようなカナデの提案に、あらぬ疑いをかける。


「ソウタと喧嘩?」

「喧嘩は…してないかなぁ…」

「なんで?俺、ソウタと喋りたいんねんけど」


冷たく言い放つ兄の剣幕に押されてしまい、カナデは視線を合わせる事が出来ない。

返事が出来ずに、まるで知らんぷりのような態度を続ける。

こうなっては進展は起きない。それにこういう時のカナデは妙に頑固でややこしい。

仕方が無い。ミナトはと念を押して折れる事にした。

ミナトのこういった所はお兄さん味が強い。


な」

「み、ミナ~」

「でも自分で言えよ!」

「へ?」


ミナトは妹の感謝の言葉を遮って、問題を丸投げしようとする卑しさをたしなめる。

ダメな事はダメ、言いたい事は言う。それがミナトである。

でも今回はそういった意味では無い。


「だって、俺、ソウタと一緒に帰りたいもん」


そう。帰りたいのに、一緒に帰れないとは言いたくない。

ミナトは矛盾する事を言いたくないだけだ。

そしてそんな兄の言葉にカナデは衝撃をうけた。

ミナトの言い方は、まるで彼の方がソウタの恋人のようだ。


その上、自分の気持ちを口にしたせいか、ミナトは急にソウタへの友情を自覚したらしく、一緒に帰れない事を拗ねだした。

まさか兄にこんな一面があるとは…。。


そしてこんな微妙な関係のまま、会話を重ねる事も出来ず、バイト先に着いてしまった。


「じゃあ」

「あ、…うん、また後で…」


ぶっきらぼうに言い切ったミナトは、拗ねるを拗らせて、怒りまで行ったようだ。

カナデは困惑した。こんなミナトを見るのは初めてだ。

自分の小さなわがままが、兄の交友関係を邪魔した事になった。

まさかこんな状態になるとは夢にも思わなかった。


(ほんまに怒ってるかも…どうしよう…)


こんな喧嘩にもならないい喧嘩は初めてで、どうしていいのかさっぱり分からない。

カナデは戸惑いや後悔を超えて、一気に気持ちが沈んでしまった。




*****




ミナトと喧嘩別れのような形でバイトが始まったカナデ。

だから洗い場で働いている時も、カナデはずっと、ため息ばかりを吐いていた。


「カナデちゃん、ため息ばっかりやん、しんどいの?」


いつもと様子の違うカナデの事が心配なのだろう。

パートのムラタさんがカナデに声を掛けた。


「あ…すみません。大丈夫です。兄とちょっと喧嘩みたいな感じで」

「兄妹喧嘩かぁ、仲いいんやね」

「そうですね、仲はいいかも。双子やし」


会話をしつつも二人とも手は止めない。

なれた手順で洗い物を進め、食器を片付ける。


「なんで喧嘩になったん?」

「え…あ~。ちょっと気まずくて…」

「お兄ちゃんって、キッチンの子やろ?あの子、はっきり言いそうな子やから、カナデちゃんが言い負けたんか?」

「まぁ…そんな感じで」


確かにミナトに口喧嘩で勝てた事は無い。そもそも兄に喧嘩で勝てそうにない。

だから最後はミナトが折れる形で決着を着く事も多い。

けれどミナトはソウタに関しては折れたくは無いようだ。

それにもし逆の状況になったとしても、カナデもソウタの事は折れないと思う…。


「でもな、ちゃんと言い返さな。親とか兄妹でも、それに夫婦でも言わな、分からん事もあるしなぁ」

「兄妹…。夫婦でも…?」

「兄妹だって自分とは違う人やん。それに夫婦とか恋人は元は他人やし、絶対言わな分かれへんよ。ま、言うたら言うたで、また喧嘩になるねんけどな」


ムラタさんは、肘でちょんと、カナデを背中を押した。

どうやら本格的に仕事に戻る合図らしい。


でも、もしかしたら。ムラタさんは本当にカナデの背中を押したかったのかも知れない。

少しだけ背中に残るムラタさんの感触にカナデはそんな事を考えていた。


やがてバイトの時間が終わり、カナデは更衣室に向かった。

ムラタさんの言葉が素直に腑に落ちたカナデは、彼女の言った言葉が頭から一度も離れないままにバイトを終えた。


(やっぱり話さんとアカンやんなぁ)


自分のソウタへの悩みの気持ちは、ミナトに打ち明けた方が良いだろう。

いずれはその気持ちも、ソウタと向き合わないといけないけれど、今はまだ無理に思える。ソウタとは恥ずかしくて、話す勇気が出そうにない。


それでもソウタなら、こんな自分の拙い感情も分かってくれるだろうか…。




*****




カナデは更衣室でこっそりソウタにメッセージを送った。


『今日はミナトと先に帰ります』


既読は付かない。ソウタがまだ仕事中なら、顔を合わさずに家に帰る事が出来る。

そんな小さな希望を胸に、カナデはさっさと着替えて家に帰る事にした。


着替え終わったカナデは、いつものようにミナトからのメッセージを確認した。ミナトの方が先に着替え終わる事が多いので、既に外で待っているのなら、メッセージが入っているはずだ。


アプリを開けるとミナトから終わったとメッセージが入っていた。

今日のミナトも既に支度を終えて、店の外で待っているらしい。


ミナトのメッセージに安堵して更衣室から出ると、カナデはソウタとバッタリと出会ってしまった。

ソウタはキャップを外し、制服のエリが緩んでいる。そして右手にはスマートフォン。まさに今から帰る準備をするところ…という感じだ。


「あっ、カナデ大丈夫?調子悪い?」


恐らくカナデのメッセージを見て、駆けつけてくれたのだろう。

心配そうな表情のソウタがカナデの傍へ寄って来る。


(ち、近い…ソウタが近い)


いつもと変わらないはずのソウタの歩み寄った距離が、急におかしな距離のように感じるカナデ。そして緩んだ胸元の、男性らしい太い首元に目が行くと、今度はソウタの男らしさが気になってしまった。


ソウタはカナデへの心配から、髪を撫でようと腕を伸ばした。

腕まくりをしたその太い腕と、ゴツゴツとした手先に、カナデは緊張と恥ずかしさに見舞われた。

いつもなら気にせず、撫でられるままにされているカナデ。

けれど今日はダメだった。

ソウタへの恥ずかしさと緊張。それと心配をかけた後ろめたさ。

カナデは無自覚のまま、咄嗟にソウタの腕を避ける動作をした。


「…っ」


まるで自分を避けるような、小さなカナデの行動に、ソウタはショックを受けた。

そしてこの光景を自分は見た事があると思いだした。

そうだ。

これはまるで、いつかのカナデに言い寄る、バイトの男どもと同じじゃないか。


少し困ったように俯くカナデを見れば、ソウタは徐々に伸ばした腕の後悔が募る。

ソウタは行き場を無くした腕をそのままに、いつもと違う雰囲気を出すカナデに、をする事にした。


「しんどいんやったら、早退すれば良かったのに…」

「…」


気付かないフリを誤魔化すように、ソウタは最初に伝えたセリフに続く言葉を告げた。


一方のカナデも、そんなソウタの対応に罪悪感が生まれてしまった。

産まれた罪悪感は、恥ずかしさも後ろめたさもどこかへ追いやってしまった。

だからカナデは何も言えなくなった。


カナデの中で様々な感情が複雑に絡み合う。

ソウタに会えて嬉しいのか、恥ずかしいのか。

心配をかけた後ろめたさなのか、心配してくれた嬉しさなのか。

それとも、そうさせた罪悪感なのか。


それに今日のカナデは、ミナトへの罪悪感もあった。

自分のわがままのせいで、ミナトの友情の思いを滞らせた罪悪感。


ソウタは行き場を無くした自分の腕を見つめ、意を決してカナデの頭に、ポンと手を乗せた。

これは彼氏としての心配だから…と自分にそう言い聞かせて。


「気ぃつけて帰りな…」


ソウタは小さく呟くように囁いて、更衣室の方へ去って行った。




*****




結局カナデはソウタに何も言えないまま、店の外に出た。

自分の横を通り抜けるソウタの背中を、どうしても見る事が出来ず、やはり逃げるように店の外に出て来たのだ。


店の外に出れば、ミナトはいつも通りの場所にいた。

入り口の傍の壁にもたれかかって、スマートフォンの画面を眺めている。


「帰ろか」


カナデに気が付いたミナトは、顔も向けずにそう言って、さっさと歩き出した。

カナデは兄の後ろに続いて、黙って歩いて行った。


会話らしい会話も無く無言で歩き続けた。

やがていつも立ち寄るコンビニの前も通り過ぎた。

次の角を曲がれば家が見える…という場所にまで帰ってきて、ようやくカナデは口を開く事が出来た。


「ミナトごめん」

「…」

「ごめんな…」

「なにが?」


ポケットに手を突っ込んだままのミナトは、まだ怒っているのだろう。

素っ気なくカナデの謝罪の意を問うた。

カナデはムラタさんの言葉を思い出し、自分に言い聞かせる。


(兄妹でもちゃんと言わないと…)


カナデは意を決して、兄に自分の思いや考えを告げた。


「最初は…ソウタの事を考えたら、一緒に帰るんが恥ずかしくなってん」

「…」


ミナトはカナデのまとまらない気持ちをそのまま吐き出しても、黙って聞いてくれるようだ。

そんな兄の優しさにカナデは胸が苦しくなる。


「でも、それでミナトと喧嘩になるんは嫌やねん」

「…」

「どっちも大事やから、両方とも変になったら嫌や…」


言葉としては足りない事は分かっている。だけど今の気持ちをどう伝えれば良いか、カナデには分からなかった。

こんな勝手な言い分に、ミナトは益々怒るだろうか。

そんな不安が過れば、自分の言い分を簡単に伝えて、後はミナトの言い分を聞こうと思った。


結局言葉に出した所でダメなものはダメかも知れない。

それに自分でも何が言いたいのかが、よく分からない。

ただ兄と仲良く過ごしたい、ソウタとはずっと恋人として一緒に居たい。

ただそれだけなのに…。


自分の未熟さにカナデが肩を落としていると、「プッ」とミナトの噴き出す声がした。


「お前、あはっ、まだ…5歳児やったんかぁ~」

「えっ?」

「どっちも嫌~って、ククっ、って、あはは!お前は結局、幼稚園児か!」


何故だかミナトは上機嫌で、自分で言った言葉に勝手に一人で笑っている。

まるで思い出し笑いのようなミナトの笑いに、カナデは訳が分からず唖然とした表情を浮かべる。


「まぁ、あれやろ?兄妹で気まずい状態で、カナデは恋愛を楽しまれへんのや?」

「⁉」


言い得て妙なミナトの表現にカナデは「そうです」と素直に降参した。


素直なカナデの言葉に納得がいったのか、ミナトは笑う事をやめて、いつも通りの喧嘩の後の兄の雰囲気に変わった。


「俺もな、同じやねん。ソウタがカナデを傷つけた状態で、ソウタと仲良く友達やれる自信は無い。ソウタはそんな事しぃひんやろうけどな」

「……」

「やっぱ、そう言う所は、双子やな」

「ミナト…」


ミナトはやっぱりミナトだった。

カナデはそんな懐の大きな兄の存在に安堵もしたし、自分の至らなさが浮き彫りになって恥ずかしくもなった。


「それで?」

「それで?とは?」

「何で急に一緒に帰るんが恥ずかしくなったんや?」


今度はいつも以上にニヤニヤと意地悪な顔をして、カナデに問いかけるミナト。

一難去ってまた一難とはこういう事を言うのだろうか。


カナデはソウタに対する素直な気持ちを吐き出した。

それは先日、ミナトに言われた事を理解したと言う事だ。

カナデは女性で、ソウタは男性。

付き合うとは、そういう事なのだと…。


「まぁ、お前の好きって、おままごとみたいな感じやったもんな」

「おっしゃる通りです…」

「やっと自覚したんや、あはは、ソウタやるなぁ」

「ソ、ソウタとはまだ何もしてへん!!」

「そうか、か~クククっ、あははは!」


カナデは茶化しまくる兄の口車には乗るまいと、慌てて両手で口をふさぐ。

口喧嘩に勝てなければ、誘導尋問にも負けるのだ。


「でもなぁ、あんまり考えやんで良いんちゃう?」

「そ、そうなん?」

「だって考えてもわからんやん」


確かにそう言われるとその通りなのだが。


「色々したくなったら、ソウタにそう言えばええねん」

「色々…って…」


ミナトの含みのある物言いに、カナデは何とも言えない顔をしてミナトの顔を見た。

そんなカナデの視線を物ともせず、ミナトは涼しい顔をしている。


「ちゃんと好きやって言うてるんやったら、ソウタならカナデの事をいつまでも待ってくれるはずや」


ソウタの人となりが分かっている兄のアドバイスは有難い。

それにアドバイスの内容をよく聞けば、ソウタに対しての信頼はかなり高いようだ。


それにしても…だ。

自分と同じく恋愛経験が皆無の癖に、兄は何と的確な助アドバイスが出来るのだろうか?まさか知らぬ間に恋人でも居たのだろうか?


(いや、それは無いな…)


カナデは秒で兄の疑いを晴らす。


いつも感じているが、頼りになる兄が自分の傍に居てくれる事に感謝するばかりだ。そもそも自分達を双子に産んでくれた両親にも感謝である。


カナデが家族に恵まれてた感謝を、見知らぬ神に捧げている時、ふと、ソウタと付き合うようになった日の出来事を思い出した。


「あ、あれ…?」


カナデの困惑に気が付いたミナトは「ん?」とカナデに声をかける。


「あれ?あれって、ソウタに、好きって…ちゃんと言ってた事になるのかな?って」

「は?」

「あれ?似たような事は…言ったよね?」

「まさか…」


何故だろう。こういった時の双子の直感は一番冴える。

全てを口にせずとも通じる部分があるのだ。


「いや…彼女にしてとは言ったけど…」

「…」

「あれ?それでちゃんと言った事になる?」

「知らんがな…」


妹のバカみたいなセリフに呆れながら、いつもの嫌そうなものを見る目で、カナデを見るミナト。


「み、ミナト~!ど、どうしたらええんや!」

「知らんがな…」

「大丈夫やんな?」


カナデは今頃になって、ソウタとの馴れ初めを心配をしているらしい。

知らんがな…と言いつつ、それは大丈夫だろうとミナトは心の中で突っ込んだ。

それはどう考えても今更だろう…と。

どこからどう見ても、お互いに好き合っている事は分かるはず。

なのにそれが見えないとは、呆れた妹だ。


でも、まてよ?と思い直す。

これはこれで面白いので、カナデをソウタにけしかけるのもアリなのでは無いかと。


「今更やけど、カナデ、告白や!」

「コ、コ、コクハク!」

「実はな、ちゃんと目ぇ見て好きですって言わんと、男はわからへん生き物や」

「な、なるほど…?」


今更の心配を思ってか、ミナトのアドバイスのせいか、急に足取りがたどたどしくなるカナデ。

その後ろ姿にミナトは、思いっきり笑いをこらえる。


そしてミナトは知っている。

恋愛になるとソウタはアホになる…いや、むしろバカになるのだと、ミナトはまた笑いをこらえた。

そんな親友と妹の予想が出来ない化学反応見たさに、ミナトは上機嫌で家路につくのであった。

そう。ミナトはカナデとソウタの関係が微妙に食い違った事に気が付かないままで…。

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