第14話 今頃…
今日もソウタがバイトでカナデが休みである。
こんな日の二人の過ごし方は、駅前のドーナツショップでお茶をする事が多い。
よく行く駅前のドーナツショップは、通りに面した階にカウンター席がある。
そこに二人で横に並び、外の様子を眺めながら、のんびりとお喋りをするのが二人の定番になっていた。
今日もそんな一日である。
先ほどからソウタはカフェオレの氷をストローでカラカラと回しながら、カナデの話を聞いている。
ソウタはカウンターに肩肘で頬杖をついて、上半身をややひねる形でカナデと向かい合っている。この体勢なら、やや斜め前からカナデの様子が見れるからだ。
そして時折カナデにバレないように、美味しそうにドーナツを頬張る彼女の姿を、チラチラと盗み見をしている。
と言うのも、付き合い出してから、カナデはソウタの前で少しずつメイク姿を見せるようになったのだ。バイトに行く日はすっぴんが多いし、二人で出かける事もそんなに多くない。
ソウタはそもそも女性の変化に疎い方だ。それにカナデはいわゆる美人さんなので、すっぴんとメイク時に違いがどうかを問われたとしてもよく分からない。
だけどやっぱり、何と言うか。華やかさなのだろうか。すっぴんとは雰囲気が違う。
ソウタにすれば、これはカナデの可愛さの天元突破である。
彼氏がコッソリと盗み見をしても罰はあたるまい。
それに…だ。今日のカナデはバイトが休みなのもあって、服装もいつものダボっとした感じでは無く、ちょっとしたお出かけ仕様でとても可愛い…と、ソウタ思っている。
しかしソウタはなぜ先ほどから盗み見をしているのか?
ソウタはカナデの恋人で彼氏である。堂々と正面から見れば良いとは思うけれど、それにはまだ早すぎる。ソウタは恋人の存在に慣れていない。
正面から可愛い彼女を見れば頬も緩めば、心臓も微妙にしんどい。
もはや命がけである。折角付き合い出したのだ。心臓発作による早死には避けたい。
そう言えば、恋愛のドキドキはいつか無くなる…と聞いた事がある。
つまり恋心が慣れるとか、飽きると言うのは、心臓の負荷を減らすための人体の作りのせいなのだとかなんとか。
とまぁ、この話はどうでも良い。
兎にも角にも今はカナデの可愛らしさを愛でたり、恋人を満喫したりする時間の話だ。つまり、まったりドーナツデートも良いが、やはり二人でお出かけもしてみたい。
「どこかに二人で出かけるんも良いなぁ。俺は経験が無いから、どこに行ったらええか、全然わからんけど」
「…あ~あはは、それを言ったら私もや」
「そもそも、付き合うってのが、どういう事かわからんし…」
そんなソウタの嘆きに二人で笑い合う。
デートに行こうにも、どうにもソウタは経験不足だ。
カナデの事を思うと、あまり人の多過ぎる場所は心配だし、かといって、逆に人の居ない場所もまだ早い。
「ミナトならわかるんかなぁ?そう言えば、ミナトに彼女とかおらんかったん?」
イケメンのミナトなら経験があるかも知れないと、不意に思い出し、カナデに聞いてみた。ソウタの質問にカナデは頬張っていたドーナツをお皿に戻す。
そして「う~ん」と言って、少し考え込むと、次第にテンションが下がっていく。
徐々に元気の無くなっていく目の前の彼女の変化に戸惑いを覚える。
カナデは申し訳なさそうに話を切り出した。
「…おらんかったなぁ。私のせいで…」
それは一体どういう事だろうか。明らかに落ち込むカナデを見れば、カナデは自分に原因があると言いたさそうだ。
そんな彼女の様子を頬杖をつきながら聞いていたソウタは、「ならば」と意を決して、横側からカナデに抱き着いた。
「カナデっ!!」
「ふぇ!ちょ、えええ!」
「あはは、びっくりしてる!」
時には「カナデに触れてみたい」と、普通の彼氏のように思うソウタだが、出来れば彼女を怖がらせたくはない。
カナデは男性が苦手だし、あまりこんなスキンシップは得意ではないはずだ。
だから…という訳ではないが、付き合う前の時ように、男友達のような距離のフランクさも持っていたいとソウタは思っている。
だったら、今の様に彼女の気分が沈んでいるのなら、あえて男友達のように接するのは悪くないはずだ。
それにソウタはソウタなりに悟っていた。
自らカナデの正面に抱きつけば、その柔らかさに死んでしまう。
前にカナデから抱き着かれた時は、あまりの柔らかさの衝撃に恐れおののいた。
だからソウタは自分の理性を死なせない為にも、抱き着くなら横からしかない。
いわゆるソウタ犬とカナデが呼ぶスタイルだ。
こうして横からカナデを抱えるように抱き着けば、小さな肩が可愛らしくて癒される。そしてこんなこのやり取り自体が、徐々に昔の出来事の再現のように感じ、どこか懐かしさも感じる。
「は~この感じ久しぶり~癒される~」
抱えて身動きの出来ないカナデの頭に、自分の額をぐりぐりと押しつけるソウタ犬。
「でたぁ!犬化!ちょ、やめてぇ、恥ずかしぃ~ひやぁ~!」
盛大に引きはがしにかかりたいカナデだが、ここはドーナツショップのカウンター席。あまり大声を出すわけにはいかない。
それでも何とかソウタの腕から出ようと、もがくカナデにソウタは声を立てて笑う。
一通り気がすんだソウタは、二人で「あはは」と笑い、抱えていた両手をパッと離し、軽く両手を、まるで降参するようなポーズを取った。
これで終わりと言いたげなソウタに、そうは行くかと、カナデがカウンターを入れる。
「とりゃっ!」
「ひぃ!!」
カナデはラグビーのタックルよろしくとばかりに、身体を低くしてそのままカウンター席で腰をひねり、ちょうどカナデの方を向いているソウタの正面に向かって抱き着いた。
とは言え二人は身長差があるから、カナデが飛びついたのは、ソウタのみぞおちの辺りになるが。
「ひぃ、ごめん、ごめん、離れてぇ~、死ぬ!」
「あはは、まいったか!」
ギュッと全力でしがみつくカナデだが、ソウタにすれば痛くもかゆくも無いが、柔らかくて、恥ずかしさでいたたまれない。
「ふえ~っ」
「あはは、今日はこのくらいで許してしんぜよう」
もはやソウタの悲鳴が泣き声になりそうだ。
カナデはソウタの犬化の報復を終え、意地の悪そうな笑顔を浮かべてソウタからはなれた。
それでもカナデの頬は赤くなっているので、きっと彼女も恥ずかしかったはず。
「ふぅ…人前でこういうのは止めよう」
お互いのダメージを思えば、公衆の面前でするべきでは無い。
ソウタは神妙な面持ちで、何事も無かったかのように振る舞い、ずるずるとほぼ空に近いカフェオレをストローで吸い上げる。
「あはは、何、急に改まってん。そっちが先にしかけました~っ!」
小さな声で突っ込みを入れるカナデ。
この場合は突っ込みと言うか、負け惜しみだろう。
そして何故か勝ち誇ったかのような顔をしてカフェオレを飲み始めた。
ストローを咥えながらニマニマとソウタを見上げるカナデ。
再びカナデをチラッと覗き見るソウタ。
ふと目が合えば、二人で声を立てて笑い合う。
「そう言えば、何の話し、してたっけ?」
「カナデは何も悪くないって話や」
「あ~…あ、…そっか」
「うん」
ソウタは氷だけになったグラスをストローでカラカラと混ぜる。
そんなソウタの肩にカナデは、コツンと頭を寄せるた。
「彼氏がソウタでほんまに良かったなぁ」
「うん」
「ソウタがミナトの友達で、ほんまに良かった」
「…そっか」
カナデには出来るだけ落ち込まずに居て欲しいだなんて、それは贅沢な願いなのだろうか。
そんな事を考えながら、今の二人の時間に充実感を覚えるソウタ。
「あれ?なんか、ソウタさん余裕ですね」
不意にカナデがソウタの肩から離れた。
そしてじぃっと見つめて、自分の顔の様子を観察しているように見える。
ソウタはカナデから視線を外し、目の前の大きガラス窓から、商店街の通りを眺める。
まるでそれは誤魔化すような仕草だ。
(そんな事、無いねんけどなぁ…)
ソウタはパンケーキ事件の頃から、知らぬ間にカナデに振り回されてているのかも知れない。
でもそれは決して嫌なものでは無く、どこかで彼女の無邪気な素直さに癒されているのだ。
そんな事を考えていたら、「付き合うか…」と無意識で呟いたらしい。
「なに?」
「あ、いや、なんも無いけど」
自分の耳に届いた自分の声を誤魔化すソウタ。
「ふ~ん」
素っ気ないソウタの態度にカナデは少し拗ねたような声を出した。
少しだけ気分が逸れたソウタは、カナデを横目でチラッと覗き見て、小さく息を吐いた。
「俺な…」
「ん?」
「ミナトの気持ち、ちょっとは分かるねん。まぁ俺の場合は甥っ子やけど。
甥っ子は可愛いし、危険な目に合ってほしくないねん。怖い思いとかして欲しくないねん」
これはミナトとバイト先で初めて休憩を取った時に話をして思った事。
「それで過保護やと思われるかもしぃひんけど、知らんやつにそう思われたって、甥っ子が無事やったら別にそれでええと思ってるねん」
別に他人にどう思われようと、自分の大切な人を守る事が出来るなら、それで良いとソウタは思っている。
「知らん誰かより、大事な人を優先するん、当たり前やん」
「…」
「だからな、カナデを絶対に傷つけたくないねん…」
言いたい事だけを言ってカナデに目を向ければ、神妙な顔をしていた。
だからカナデは自分を責める必要もない。
それにこれはカナデ側の話では無く、ソウタ側の話で、ある意味で決意のようなものなのだ。
「う~ん。これで分かって?」
カナデに伝わるかな?
そんな事を考えたせいか、最後の言葉は少し困った表情を浮かべてしまったそうた。
ソウタの言葉の重さと表情に、カナデは何も言えなくなってしまった。
「ソウタさん、抱き着いて良いですか?」
胸がいっぱいで、気持ちの行先が分からない。
そんなカナデのお願いをソウタはにべも無く断る。
「カナデさん…それは困ります」
「む~」
再び拗ねる様子を見せながら、まだ残っているカフェオレを口にするカナデ。
そんな可愛らしい彼女の事を、ソウタは斜め前から頬杖を突きながら愛しそうに眺めていた。
*****
その日の夜。カナデはコーヒーを飲もうと、キッチンに向かった。
コーヒーのお供用に買ったドーナツのお土産の袋を見た時、不意に昼間のソウタの話を思い出した。
取りあえず分からない事はミナトに聞いてみよう。
長年の経験から、ミナトに聞けば大抵は上手く行く事を学んでいたカナデは、ミナトに声をかけた。
「ミナトもコーヒー飲む~」
「あ、欲しい~」
「はいよ~」
カナデは電子ケトルにお水を入れてお湯を沸かし始めた。
戸棚からインスタントコーヒーとカップも取り出す。
私はお砂糖を1つ、牛乳は多い目。
ミナトも牛乳を多い目、お砂糖は無し。
お母さんはブラック。
お父さんはお砂糖半分、牛乳少し。
いつものように人数分の用意を進めるカナデ。
やがてお湯が沸いたので、ダイニングでくつろいでいる両親にコーヒーとドーナツを渡す。
カナデは昼間にドーナツを食べたので、夜は小さな丸いドーナツを一つで我慢だ。
ミナトのコーヒーとドーナツもトレイに載せてカナデはミナトの待つリビングへ向かう。
「はいよ~」
「ちょうど飲みたいな~と思ってん。こっちに来て正解や」
「あはは、双子の摩訶不思議力やな」
「たまに、そういうのあるなぁ」
笑いながらコーヒーとドーナツを受け取るミナト。
カナデはミナトのはす向かいに座ると、ソウタとの話を切り出した。
「ミナトな~付き合うってどうするん?」
「は?何やそれ?」
「あ~。いや…今日の話題になったと言うか、何と言うか」
ソウタもミナトに聞けば良いのか…みたいな事をいってたし…とカナデは心の中で開き直る。
「そんなん二人で決めたらええやん」
「そうやけど…お互いに経験が無いのでわからんもん」
「ふ~ん」
「わかるん?」
「え、だからソウタに聞いたらええやん」
「ソウタも分からへんって言うし」
「ならそう言う事やん」
カナデの言いたい事も分かるけど、ここまで兄が口を挟むのも野暮である。
外野は早々に引っ込むべきだとミナトは自分の考えを貫く。
「ソウタやったら大事な事は、ちゃんと言ってると思うけどなぁ」
「絶対に傷つけたくないとかは言われたけど、それで分かってとか言われても…」
「…」
「な、分からんやろ?」
どうも俺の妹はどこかで成長が止まっているらしい…。
ミナトはそう突っ込みながらも、そう言えばカナデは五歳児だった事を思い出した。
ミナトは小さく息を吐いて、妹が余計な事を言って、両親を心配させないように注意する。
「それ、他の奴に言うなよ、オトンにもオカンにも」
この話は終わりと言わんばかりにミナトはソファーから立ちあがった。
「そう言う事や」
「どういう事や…」
まるで意味が分っていないと言わんばかりのカナデ。
そんな妹に今度は大きなため息が零れた。
「ソウタはな、普通の男の子や」
ミナトは、にべもなく言う。
「そらそうや!」
「だったら、分かったれや…」
真意が分からず拗ねる表情のカナデ。
そんなカナデ見つつ、ミナトは独りごちる。
「まぁ、これもソウタのお陰なんか…」
「何一人で納得してんねん!」
「アホや、おまえはアホや」
「はぁ?」
兄妹の口喧嘩も、ここまで来たらカナデはコテンパンに負ける。
そもそもカナデは喧嘩でミナトに勝った事は一度も無い。
「今のカナデは、完全に男ちゅうもんを舐めとるわ」
「え?」
「あんまりソウタを困らしなや」
ミナトは少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべると、さっさと両親の元へいってしまった。
「ど、ど、どういう事や?」
独り残されたカナデ。
疑問が疑問を呼んだようで、そもそもミナトに何が聞きたかったのかも忘れてしまった。
仕方が無い。
ミナトに叱られたカナデは、自力では困難と諦めて、ネットで知らべる事にした。
検索バーに「初めての恋人」とか、「恋人となにをする?」と適当な文言を打ち込む。
やがて出て来た記事から内容を読み進める。
「スキンシップ?は、たまにソウタが抱き着いてくるけど…。
泊まる?旅行する?。
付き合わんと旅行が出来へんって、なんでや?どういう事や?」
記事を読めば、混乱を重ねるだけだ。
それでもいくつかの記事を読み住めると、とある質問サイトに行きついた。
そこには「何回目のデートでキスをしましたか?」という質問が書いてあった。
思わずスマートフォンの画面をスクロールさせていた指が止まる。
そして先ほど言われたミナトの言葉を思い出す。
「っ~~!!まさか、まさか、そういう事⁉」
そして不意に浮かんだソウタの顔。
恐らく今のカナデは、人生の中で一番顔が赤くなっている。
(そうか、恋人って…付き合うって、そういう事が許される関係…)
カナデは男性への恐怖心から、恋愛経験は皆無である。
つまりソウタと出会うまで、そのような対象の人物は居なかった。
とは言え、カナデも普通の女の子である。恋愛経験はないけれど、恋愛に憧れる部分はあった。
そう。それは主人公のピンチにやってくる、ヒーローに憧れるような、恋そのものに憧れるようなもの。
けれどカナデはソウタと出会って、ソウタを異性と大きく意識する事のないまま、純粋に彼の人となりに惹かれてしまった。
ソウタはともかく、カナデは信頼からの友情。
そこから一気に恋を駆け上がって、独占欲に近い勢いで恋人同士になったようなものだ。
カナデの混乱は、駆け上がった恋心にようやく気が付いた、その戸惑いの状態なのだ。
つまりカナデは今頃になって、ソウタをリアルに一人の男の子として、彼が自分の恋の対象者であると、ここに来て自覚したのである。
「つ、付き合うって…彼女にしてって言い出した人…。だ、誰って、私や…。こ、こういう場合は、ど、どうしたらええんや…」
カナデは自分の考え無しで、猪突猛進な所をちょっぴり後悔した。
そのままフラフラと自室に戻り、そのままベッドの上に倒れこみ、答えの出ない質問を頭の中で何回も巡らせた。
「ソ、ソソソ、ソウタと…」
妄想の世界と、今までの自分の距離感を振り返れば、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「アカン…恥ずかし過ぎる…」
ソウタを勢いのまま恋人にし、しかも無謀に抱き着いた。
そこに自分を女性と意識して、ソウタを男性と意識した自分は殆ど無かった。
今までの出来事を思い出せば、ソウタの身体の硬さや逞しさに身悶えを起こしそうになる。
カナデは枕に顔をうずめ、足をバタバタとさせて、妄想の世界の中で悶えに悶えるのであった。
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