第7話 ミユウの恋は…(2)

ミユウが柔らかい人に導かれるようにやって来たのは、前にバイトメンバーで来た事のあるカラオケ店だった。

言われるままに個室に入り、席につくと、柔らかい人がミユウの隣に座り、声をかけてきた。


「ミユウちゃん、家に連絡する?帰りは送るから大丈夫よ?」


良く見ればこの人もミユウの知っている人で、バイト先の洗い場の人で、美人で有名な人だった。

そう言えば…とミユウは席について周りを見渡すと、さっき声を掛けてくれた男の人と、もう一人見慣れたキッチンのベテランのバイトの男性…ソウタさんと呼ばれている人が居た。


名前の知っている人が居たお陰か、カラオケ店まで歩いたお陰なのか、ほんの少しだけ考える余裕が出て来たミユウは、先ほどの質問の答えを探し、ゆっくりとだけれど自分で返事をする事が出来た。


「家は…今日は大丈夫です。帰りはお願いします…」


ミユウは母と二人暮らし。今日は母親が出張で留守である。

だから連絡は不要だが、一人で家に帰るには、心もとない。

ミユウは素直に甘える事にした。


けれど。

どうにもこうにも、まだ頭が混乱している。

このまま一人の家に帰る勇気は、まだミユウには無かった。


やがてドリンクが目の前に出されたが、口にする気にもなれず、ただ座って混乱する頭を宥めていた。

隣に座ってくれた美人さんは、ただミユウの隣に居てくれて、ミユウの事を待ってくれているようだった。

そしてソウタさんともう一人の男の人も、特に何も聞かず、ミユウが落ち着くまで待ってくれた。


遠くでぐぐもったカラオケの音が聞こえる。

少し乾いた部屋の中、やがてドリンクの氷が解けてカラリと音が鳴る頃、ミユウの頭の中のぐるぐるとめぐり続けていた「どうしよう」が消えていった。


ふと目を上げると、美人さんと目が合った。

ミユウは勧められるまま、冷たい紅茶を飲んだ。

そして氷がストローの周りをカランと音を立てて動くのを眺めていた。


「えっと、何があったか聞いても良いかな?」


自然に紡がれた質問。ミユウはその一回だけ縦に頷き、自分に起きた事を話した。他の二人もミユウの話をずっと静かに聞いていた。


「知ってる奴?」


耳に入って来たのは、さっきの熱のある人の声だった。

ミユウは知らないと、首を横に振った。


「嫌かもしいぃんけど、顔覚えてる?」


続けられた質問にも首を横に振って答えた。

顔は覚えていない…。


「じゃ、帰る?」


ミユウはその言葉に固まってしまった。

帰る…。

確かに家に帰らないといけない。だけど一人で一晩を過ごす事を考えると、首は縦に振る事が出来なかった。

だからミユウは何も言えずに、ただ耐えるように俯いて黙り込んだ。


「じゃ、ウチくる?」


再び聞こえた声に顔を上げる。

提案したのは、最初に声を掛けてくれた、熱のある人だ。

自分をジッと見つめるその人の顔を見ていたら、隣の美人さんと同じ顔をしている事に気が付いた。


「今日は朝までカナデと一緒に居ったら?」


そうか。

美人さんはカナデさんだ。だとしたら、この人はカナデさんの双子のお兄さんのミナトさんだ。


徐々に回り出した頭で、自分の記憶が整理されると、目の前の人物が誰なのか理解する事が出来た。そしてミユウは先ほどのミナトの言葉が、自分にとってどれだけ心強い物か気が付いた。


勢いよく顔を上にあげ、声の主であるミナトを見上げるミユウ。

ミユウの勢いにミナトは柔らかく微笑んでいた。

ミユウはすっかり安心しきって、頷くように、首を縦に1回だけ振ってミナトの質問に答えた。




*****




こうしてミナトとカナデの家に泊まらせて貰う事が決まったミユウ。

四人はミユウの行先が決まると、カラオケ店を後にした。


カナデは、改めてミユウに自己紹介をした。


「知ってます。美人さんが入ったって、ちょっと大騒ぎになりましたから」


カナデとミナトがバイトに来た日の事を思い出し、そう答えたミユウはカナデの顔を見て笑う事が出来た。


「さっきも言ったけど、明日は家まで送るから安心してね」

「ありがとうございます」


お礼をしながらもミユウは、カナデの王子様のような、キラキラスマイルに少しやられてしまった。


結局その日のミユウは、なかなか寝付く事が出来なかった。

けれど、カナデのベッドに残る、熱のある人…ミナトに似た香りに気が付くと、妙に安らぎを感じ、少し眠気を感じるのだった。

やがて、すぅすぅと聞こえる小さなカナデの寝息に、ミユウはいつの間にか眠ってしまった。




******




翌日ミユウの目が覚めると、11時を過ぎているのに気が付いた。

昨日の出来事はミユウが思っている以上に色々と負担になっているらしい。

そう思うと、ミユウは昨日最初に声をかけてくれたミナトに感謝をするのだった。


「顔を洗うついでに、シャワー浴びる?出たらお昼ご飯にしよっか」


ミユウが起きたのを確認したカナデは、てきぱきと用意を進めた。

ミユウのスカートは制服のままだったけれど、上着はカナデが貸してくれたものを着用した。


(着替える時にも思ったけど、カナデさんは、何かいい匂いがするなぁ)


そんな香りの安堵感に包まれて、ミユウは心が少し軽くなった。


ミユウが洗面所で身支度を整えてカナデの部屋へ戻ると、カナデの両親は買い物に出かけたのだと聞いた。


「あぁ、お礼を伝え損ねました…」

「あ、大丈夫、大丈夫、気にしないで~」


ミユウがお礼を言い損ねたショックを受けていると、カナデは笑って慰めてた。

そう言えば昨日から大丈夫ばかり耳にする…。

そんな事に気が付けば、ミユウはカナデとミナトの優しさに気持ちが楽になった。


着替えと身支度がすんだミユウは、ダイニングに案内された。

見ればテーブルの上にオムライスが3つ並んでいる。


「オカンが用意してくれた~」


席に座ったミユウにミナトがお茶を出すと、オムライスを手にして、電車レンジへ突っ込んだ。

どうやらオムライスを温め直してくれるようだ。


「カップスープ残ってるんかなぁ?」


一方のカナデはキッチンの食器棚の引き出しを開けて、目当てのものを探し出しているようだ。

電子レンジに任せて手の空いたミナトは、黙って電子ケトルに水を入れている。


流石は双子!息がピッタリだ。

一人っ子のミユウは二人にタイミングの良さに、感心するばかりだった。


やがて朝食兼お昼ご飯を食べ終わると、カナデはコーヒーを入れた。

少し苦めのカフェオレをミユウがちびちびと飲んでいると、ミユウの頭の上で、二人がこれからの予定を話していた。


「家まで送るのカナデも一緒でええか?」

「ええよ、なんも無いし」

「ソウタバイトやしな」

「そやねん。バイトばっかりやねん」

「あはあ、店長のソウタへの期待値、高すぎや」


何となく二人の会話に入りたくなったミユウは、意を決してカナデに声をかけた。


「ソウタさんって素敵ですね」

「ん?ありがとう~」


ミユウの言葉にカナデは目を輝かせて、お礼を言った。

そしてへにゃっと溶けた顔をした。


(そうか。カナデさんはソウタさんの事をめっちゃ好きみたい。

良いな、こういうの。漫画のBLとはちょっと違う感じもするから新鮮やなぁ)


ミユウは昨夜のカナデとソウタの距離感と、先ほどのミナトの会話から、カナデとソウタが親しい間柄とか、恋人同士なのではないかと感じていた。

そして今のカナデの顔を見て確信した。

だからミユウは、カナデに彼氏としてのソウタの事を聞いてみた。

これはミユウの完全な好奇心だ。


そしてカナデが言うには、どうやらソウタは、付き合う前は犬っぽい感じだったそうで、今はそれが無くて寂しいとか何とか。


「ソウタさんが犬かぁ…ちょっと想像が付きませんね」

「そっかぁ!」


ミユウが感じているソウタのイメージは、バイト先の頼れるベテランさん。

だから意外なイメージだと答えると、そんな些細な話でもカナデは嬉しそうな反応を見せた。


やがて会話も弾んだ頃、時間になったのでミユウたちは家を出る事にした。

家から出て最寄り駅まで歩く。

ここからミユウの家の最寄り駅までは4駅。


「通学定期圏内やからきにしやんといてね~」

「はい、ありがとうございます。えっと、ミナトさんもカナデさんと同じ学校なんですか?」

「ん?あぁ、そう」


ミユウの質問にミナトは少しぶっきらぼうに答えた。

そんなミナトの機嫌の変化にミユウは少し違和感を覚えた。

その違和感から何となく周囲に目を向ければ、周囲の視線がミナトへ向いている事に気が付いた。


(あ、そうか。ミナトさん、イケメンやった!

そしてカナデさんもめっちゃ美人さん!)


一方のミユウは、茶色のフレームの眼鏡姿に、髪も黒いままで髪型も特に映える要素のない、普通の短めの切りっぱなしボブだ。


(そうか私が場違いなのかも…)


ミユウは自分がミナトとカナデに見劣りする事に気が付いて、恥ずしさから俯いてしまった。そんなミユウの頭に、ぽすんと大きな手が乗って来た。


(あれ?撫でられてる?)


ミユウが見上げると、カナデは不思議そうな顔をしていた。

カナデじゃない事に気が付いたミユウが恐る恐るミナトの方へ振り向こうとすると、ミナトの声がミユウの耳に届いた。


「気にすんなって」


ミナトのそんな優しさと兄のような気遣い。

ミユウは恥ずかしさから再び俯いた。

でもその時の恥ずかしさは、先ほどとは少し違うものに変わっていた。




*****




ミユウの家の最寄り駅で電車を降りて、そこから自宅のマンションへと向かった。

近所の公園の前を通る時にミユウは自宅のマンションの方へ指を指してミナトとカナデに伝えた。


「あのマンションです」

「あ、ちゃんと玄関まで送るから」


先頭を歩くミユウが振り向けば、後ろでミナトが微笑んでいる。

そんなミナトの言葉に、ミユウは素直に甘える事にした。


程なく3人はミユウの家の前に着いた。

ミユウがチャイムを鳴らそうとしたら、内側からドアがあいて、ミユウの母が飛び出て来た。


「ミユゥ~」


ミユウの母が娘に抱き着く。きっと心配をしたのだろうとカナデは思った。

一方のミユウは親子のスキンシップが久しぶりだったようで、恥ずしそうな顔をしつつも、どこか嬉しそうだった。


「じゃ、俺達帰ります」


ミナトの声で我に返る親子たち。

そしてミユウが「あっ」と思ったのも束の間、ミユウの母がミナトへお礼を伝えたかと思うと、カナデ家に誘い出した。


(そう言えば、お母さんヅカオタやった~!見目麗しい女の人が大好きやった~!!)


ミユウが母の言動に冷静さを取り戻す。


「お母さん、やめてぇ~」


ミユウはセコム発動とばかりに、王子様っぽいカナデに勢いよく貼り付こうとする母親を全力で静止した。


「あははははっ!」


そんなミユウ親子の言動がおかしかったのだろう。

ミナトはもの凄くいい声で笑い出した。


(この人は顔が良いだけじゃなくて、声も良いんやなぁ…)


ミユウは迂闊にもポカンとミナトの笑う姿に見とれてしまった。


一方のミユウの母と言えば、逆にミナトの笑い声で冷静になったらしく、礼はまた後日に絶対にさせて欲しいと言いながらミナトとカナを見送っていた。




*****




その日から数日後、ミユウはバイトの終わりにカナデに声をかけられた。

どうやら今日は二人共、バイトの終わりが同じだったらしい。

カナデはミユウに一緒に帰ろうと提案した。


こうして初めてミユウはカナデとミナトとソウタのメンバーに入り、4人一緒にバイト先から帰る事になった。


カナデは改めてミユウにソウタを紹介した。

ミユウは「この人が元犬の人か」と思い、ガタイの良いソウタを見上げるように眺めていた。

ミユウからすればカナデやミナトはバイトの後輩にあたるけれど、ソウタはベテランのバイトの先輩。しかも人柄が良くて人気のある人だったから、こうして改められると少し照れてしまった。


カナデとミユウ。ミナトとソウタ。そんな具合に別れて雑談を交えながら4人で最寄駅まで歩いていった。

やがて駅についてミユウが別れを告げようとした時、ミナトが「送る」と言って声をかけた。突然の申し出にミユウは驚いたけれど、特に断る理由も無かったので素直にミナトの好意に甘える事にした。


やがてバイト終わりの時間が合えば、4人で駅まで向かい、そこで別れて帰宅する事が定番になった。

カナデはソウタに送ってもらい、ミユウはミナトに送ってもらう。

特に何かを決めた訳では無いが、気が付けば自然とそういう流れになっていた。


こうしてバイト先からの帰り道、ミユウは時間が合えばミナトと短い時間を共に過ごすようになった。それなりに人となりは分かって来たとは言え、二人きりになると会話は弾まない。

カナデと違ってミナトとでは共通の話題も無いし、ミユウも何を聞いて良いのかが分からない。それに自分から言いたい事もよくわからない。

けれどミナトはミユウとの沈黙自体は苦痛ではないらしい。

だからミユウは特に話しかける事も無く、黙って一緒に歩く事にした。


そんなある日の事、珍しくミナトがミユウに声をかけた。


「名前、ミナトって呼んでもかまへんで」

「え?」

「バイト先のみんなもそう言うし。なんか下の名前で呼ぶよな?あそこ。変わってんな」


ミナトの突然の提案に、ミユウは何と言って良いのか分からなくなってしまった。

下の名前で呼ぶ…?

そう言われて、ミユウはいつも「あの」とか「すみません」と声をかけていた事に気が付いた。


「ん?」


足を止めて考え込むミユウにミナトが声を掛ける。

するとミユウは意を決したかのように顔を上げ、ミナトに告げた。


「み、みなとさん…って呼びます」

「ん~」


ミナトの間延びした声。

その返事は何故だか機嫌が良さそうな雰囲気に思えた。


「じゃ、いこか」


ミナトの声で再び歩き出すミユウ。

そして歩き出したミユウを見たミナトは再び前を向く。

だから…だ、とミユウは思った。


ミナトがこんな人だから、ミユウは「」と思ってしまったのだ。

だからマンションの前で別れを言い出す前に「家に寄りませんか?」と、ミナトに聞いたのだ。


ミユウの誘いに戸惑いながらも、ミナトは「わかった」と言ってミユウの後に続いた。着いた玄関の前で鍵を開けてミユウが先に中に入る。


「ミナトさんもどうぞ」

「おじゃまします」


ミユウはミナトをキッチンのテーブルへ案内しようとリビングを抜けた。

そしてミユウはだと安心した。

その安堵からミナトへ振り返り、声を掛けた。


「すみません、お母さん戻るまで一緒に居てくれませんか?」


突然の申し出でもミナトさんなら大丈夫だろう。

ミユウがそう確信していると、ミユウの想像とは全く逆の反応が返ってきた。


「はぁ?」


ミナト低い声でミユウを睨んだ。

あれ?とミユウは思う。

一体何がダメなのかとミユウが思うのも束の間、ミナトが質問を切り出した。


「おかっ…ゴホン、オカンおらんの!お父さんは?姉妹は?」

「うち、お母さんと二人暮らしです…」


ミユウはミナトの真意が分からず素直に答えた。

するとミナトは再び低い声を出した。


「はぁ?」


眉間のしわが深くなるミナト。

そんなミナトを見てミユウは気が付く。

あぁ、やっぱり、何か間違ったのだと。


それでも一体何が悪いのか分からない。

ミユウが訳も分からず焦っていると、頭上からミナトの大きなため息が聞こえた。

そして何かを考える風のミナト。

まだ帰ってもらっては困ると思ったミユウは、ミナトにコーヒーを出したいのだと言って、キッチンのテーブルへ案内した。


渋々…と言う雰囲気でミナトがダイニングの席につく。

ミユウは今がチャンスとばかりに、逃げるように流し台の方へと向かい、いそいそとコーヒーを入れた。


お湯が沸くまでのたった数分。

なのにミユウはお湯が沸くまで何時間もかかるかのように思っていた。


それでも何とかコーヒーを用意し、ミナトへ勧めると口にしてくれた。

その様子に安堵し、ミユウもちびちびとコーヒーを口にした。

やがてミナトが意を決したかのように口を開いた。


「あのなっ」

「…っつ!」


ミナトの強い声にミユウの肩が揺れる。

多分、これ怒られるやつ。

学校の先生のあの感じだ…とミユウは身構えた。


「女の子が一人の時に、部屋に男を入れたらアカンねん、わかる?」

「…」

「いくら信用出来る人でも、男は誘ったらアカン」

「…」

「はぁ。どうしてもって時は、ファミレスとか、人気の多い店に行く」


ミナトのお叱りにミユウは改めて考える。


(なるほど…だから私は怒られているのか…。

ミナトさんが男性やから、正解じゃなかったんか…)


「わかる?」


最後にミナトは念を押した。

先ほどとは違い、少し柔らかい雰囲気で諭すように問われたミユウは、ミナトの事を先生のようだと思った。

だからミユウは素直にあやまった。

するとミナトは「じゃあな」と言って席を立った。


ミナトが帰ってしまう。そう思ったミユウは焦った。

そして家に一人で置いていかれると思えば、急に不安が押し寄せて怖くなった。


「まだ帰らへんって。オカンが戻るまで玄関の前に居ったるから、内側から鍵かけてな」


そんな方法があるのかと、ミユウは驚いた。

それでも何だかしっくりは来ない。ミナトに失礼では無いだろうか。

だけどミナトが言うのだから、これが正解なのか?と、ミユウは悩んだ。


すると玄関から母の「ただいま」と言う声が聞こえた。

やがてリビングに入ったミユウの母はミナトを見つけ驚いた。


「ただいま~ってちょ!イケメンくん!」


驚くミユウの母にミナトは「あ~っ」とため息を交えたような声を出す。


まずい。二人とも自分のせいで困ってる!

ミユウは咄嗟に判断をし、大きな声を出して謝った。


「お母さんごめんなさい!」


突然大きな声で謝る自分の娘に、ミユウの母は娘が何かやらかしたのだと察した。

この子は一度ならず二度までも、イケメン君に迷惑をかけたのだと、そんな娘の至らなさに、ミユウの母はその場でしゃがみ込んで頭を抱え込んでしまった。


そんなミユウの母を見たミナトも、やらかしたとばかりに「あ~」と後悔の声をだしながら、手で顔を覆い天井を見上げていた。


ミユウはどうしてこんな事になったのだろうと、自分の考えの至らなさには、まだ気が付かなかった。




*****




ミユウの母が現実世界へ戻って来ると、事情を把握するべく、ミナトを促して3人でダイニングのテーブルに付いた。

お湯を沸かし直し、新しいコーヒーを出す。

ミユウは母の手際の良さをぼんやりと眺めながら、お湯が沸くのは何時間もかかるものでは無いのだなと考えていた。


「えっと?状況を聞いても?」


ミユウが母に目を向けると、別に怒ってる感じではないように思えた。

本当に、ただ事情を聞きたい…という感じに見える。

それでの、自分が発端には変わりない。

ミユウは自分の言葉で伝えないといけないと思った。


ミユウの突拍子も無い行動のきっかけは、母の「残業で遅くなる」とのメッセージだった。

続いて「12時位になるかも」との文言でミユウは、あの事件の日の事を思い出した。ミユウはあれから、家に一人で居るのが少し怖くなっていたのだ。


ミユウは自分の気持ちを素直に打ち明けた。

それで、たまたまバイトの帰りにミナトと一緒になったから、一緒に居てもらえないかと頼んだのだと。


やと思ったから、一緒に家で待ってもらおうと思って…」


それで一旦ミナトを家に招き入れて安心が出来たから、ミユウは事情を話し、お願いをしたのだと。

だけどそれは間違いで、ミナトにすごく叱られたとミユウは続けた。


咄嗟に謝ったのは、ミナトに叱られた事と、その後ミナトはいったんは帰ろうとするのに外で待つと言った事。そしてその場に母が帰ってきた事。それにより二人が鉢合わせししまい、二人に混乱させた事で動揺してしまったのだとミユウは説明した。


ミユウの言い分に母は大きなため息を吐いた。

そして難しい問題を考える時の癖なのだろう。眼鏡をはずして目元をぐりぐりと押すスタイルになった。

ミユウはそんな母の行為に大きな後悔を抱いた。


母が熟考するの中、不意にミナトが声をかけた。


「あの、俺が言うのも変ですけど、女の子が一人の時に、部屋に男を入れたらアカンってちゃんと教えて下さいね」


ミナトの声でミユウの母は顔を上げ、眼鏡をかけ直し、声の方へと向き直る。


「いくら信用出来る人でも、男は誘ったらアカンって」

「…」

「どうしてもって時は、ファミレスとか、人気の多い店に行くとかですね」


ミユウに言った事と同じ話をするミナト。

ミユウの母はミナトの言い分を一通り聞くと、小さな声で「はい」と返事をした。


ミユウは母とミナトの間も、自分の時と同じ状態になりそうな雰囲気を感じていた。まさか自分の母もミナトに叱られるのでは…?

そんな状況を危惧して、ミユウは恐る恐るミナトの方へ顔を向けた。


蛇に睨まれた蛙とはこの事だろうか。

何と言えば良いのか、ミナトの圧に母が負けている感じがする。


「ほんま、男は用心する位が丁度ええんですよ」

「イケメン君も?」

「当たり前でしょ」


強めに言い切ったミナトの言葉に、ミユウは心の中で母に突っ込みをいれた。


(お母さん…多分やけど、私達二人とも正解じゃ無いっぽい…)


二人の妙な間を感じてミユウがヤキモキしていると、ミナトは「それじゃ」と言って席を立った。

この時のミユウは、ミナトの事を本当の生活指導の先生みたいだと思っていたし、一方ミユウの母は、先ほどのミナトの言葉をずっと反芻していた。


玄関先でミナトを見送る母と娘。


「本当に重ね重ね…」と謝罪を告げるミユウの母の姿に、心の中で母に謝り続けるミユウ。

どうしてこうなったのか?と、母と娘は二人とも、しょんぼりと肩を落とす。

肩を落とした二人に、ミナトが再び生活指導の先生とばかりに注意をし始めた。


「はぁ、おかっぱ眼鏡も、おかっぱ眼鏡オカンも気ぃ付けて下さいね!鍵ちゃんと締めて下さいね!オートロックも不用意に開けたらダメですよ!」


言いたい事を言い切って、ミナト先生は玄関から出て行った。

母と娘は、その場で暫く呆然とした。

でも呆然としたのは勢いでは無くて…。


「おかっぱ眼鏡?…」

「おかっぱ眼鏡オカン?…」


二人で黙って顔を見合わせる。

ミナト先生のパワーワードと、目の前にあるその通りの存在に、しょんぼりとした気分がすっかり吹き飛んでしまったのだった。


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