第8話 ミユウの恋は…(4・完結)

全力で逃げたミユウの前にミナトが飛びこんで来た。


「はぁ、ちょ、ちょっと待って!」


小さく息を切らせながら額の汗を拭うミナト。

ミユウは泣きながらミナト見つめるが、嗚咽以外の声は出なかった。


「意外と足早いねんな」


空気を読んでそう言ったのか、読まずにそう言ったのかはわからない。

だけどその言葉でミユウの気が抜けたのは確かな事だった。

まるで先ほどの出来事なんて何も事もなかったかのように「へらっ」と笑うミナトをみたミユウは、涙が溢れて溢れて仕方がなかった。


「ごめんなさぃぃ~」


大きな声で泣きながら謝るミユウに、ミナトはいつもと同じように、頭にポンと手を乗せ、ゆっくりと頭を撫でた。


やがて落ち着いたミユウを確認したのか、ミナトは映画館の時のように手を繋いで、ミユウをつれて家の方向へ歩いていった。


いつもと同じ道を通る。いつも一緒に帰る道。

いつもと同じ場所にある自販機。今日はスルーせずにお茶を買う。

いつもと同じ場所にある公園。今日は前は通らずに入り口で曲がり中に入る。


ミユウはミナトに促され、ベンチに座った。

そして家に連絡を入れる様に言われたの母にメッセージを送る。


『「少し遅くなるけどミナトさんに送ってもらいます』


送信後すぐに既読のマークがついた。


『ミナトさんによろしくね』


ミユウは母のメッセージにスタンプで返す。

そして隣に座るミナトの方へ視線をむけると、丁度連絡が終わったのだろう。「よし」と言ってお茶を飲み始めた。


ミユウは携帯画面を閉じてカバンの中にしまう。

するとミナトは、さっき買ったお茶をミユウに渡した。


「あ、ありがとうございます」

「ん」


二人はそのままベンチに座り続け、暫く何も言わず、夜の静かさを聞いていた。

けれどミユウの頭の中は、先ほどの出来事がぐるぐると頭の中で再生されていた。


「あんま気にすんなよ」


不意にミナトが切り出したので、ミユウは肩を揺らした。

驚いたのは仕方が無い。

だってさっきから気になって仕方が無かったから。


「人に何か言われても…まぁ、気になると思うけど、気にしすぎたら疲れんで」


そう言ったミナトの言葉は、まるで自分に言い聞かせているようにミユウは思えた。


「俺も別に気にしてないし…」


だから続けられた言葉も、やっぱりそうなのかと素直に思えた。


「大丈夫やから」


不意に零すように告げられたミナトの言葉。

その時ミユウは、本当はミナトの方が大丈夫じゃ無くて、自分でそう言い聞かせているのかも知れないと思いついてしまった。


「…っ!」


ミナトはペットボトルのお茶を、がぶがぶと流し込んだ。

ミユウはその光景を見て思う。

ミナトは、自分で言い出せない何か、言葉に吐き出せない何かを飲み込んでいるのでは無いかと。

だから、ミナトが大きく息を吐いて、ペットボトルの蓋を閉めようとした時、「違います!」って止めたのだ。


ミナトに蓋を閉じて欲しくなかった。

そう、のだ。


「違います」

「いや、気にしてないから、大丈夫やって」


多分、ミナトは自分の気持ちが分かっていない。

そう感じたミユウは逆に聞き返した。


「っつ!だったら、何を気にしてないんですかっ!」

「えっ?」


だから、考えて。ちゃんと自分の事を考えてって。

なのに…。


「え?」

「え?」

「え~っと」

「???」

「え?ちょっとわからん」

「え?」

「だって、分からん、何を気にしてないか、自分でもわからん」


まるで思考を放棄したかのように、ミナトは笑い出した。

そしてそれは何か、吹っ切れたようにも思えた。

ミナトは開き直るようにミユウに質問をする。


「あ~いや。じゃあええわ。俺が何を気にしてるのか、逆に教えて?」

「⁉」

「だって俺、わからんもん」


ミユウは頭が混乱した。

だって、それはミナトさんの事でしょう?と。

さっきの「恋愛対象外」の言葉に傷ついたんでしょう?と。

なのに、なんでそんなに浮かれてるの?とミユウは混乱した。


「れ…」

「レ」

「れん」

「レン?」


無邪気に浮かれているミナトを見ていたら、ミユウは腹が立ってきた。

だからキレれた。

多分これは逆ギレというやつだ。


「っつ!!む、無自覚ですか!!天然ですか!計算ですか!たらしですか!」


ミユウは勢いよく立ちあがり、訳の分からない怒りを全部ぶちまけた!


そうだ。

ミナトは本当に無自覚で、自分に無頓着だ。

だから天然で、でも計算されたように人の機微に的確で、たらしのように人の気持ちにするりと入って来くる。

一体、そうじゃ無かったら何だと言うのだ!


「あははは」

「っつ!!」


ミナトは彼の言う通り、恋愛の好きの気持ちが分からない。

だからミユウや他の人の恋の好意が分からない。

なのにミユウを見て、ミユウを分かってくれようとして、分かってくれた。


だから。

だからミユウは言いたかった。


自分の好きが伝わらなくても、届かなくても、私はって伝えたかった。

「羨ましい」と言ったミナトさんが持っている、寂しさのような形の無い気持ちを知ってると伝えたかった。


だから、ちゃんと伝えたかった。

伝えたくて、言いたかったから、ミユウはきちんと言葉にして伝えた。


「私、ミナトさんの事好きです」


ミユウはその短い言葉に、全部の思いを乗せたつもりだった。

ミナトは黙ってミユウの思いを聞いていた。


「うん」

「多分、ミナトさんは違うと思いますけど」

「…うん」


もしかしたら、ミナトは始めからそうじゃ無かったのかも知れないとミユウは考えた。

でもそういった恋愛のような人の思いの感情に、傷つけられて傷ついて。

それでも、また傷つけられて、傷ついて。

そんな事を何度も繰り返すうちに、次第にそれも分からなくなってしまった。

だからまるで自分の気持ちに蓋をするかのように、まるで無い事にしたのだとしたら。


自分の中で生まれる、人に好意をよせる感情は無い事にして。

でも本当は知っているし、持っているから、人の好意の感情はどこか分かってて。


だからいつもミユウの事を見てくれたのじゃないかって。

だから何度も何度も、人とは違う形で返してくれたのじゃないかって。


「…っつ!でも、私はミナトさんが好きです」


恋愛の感情の好きとか嫌いを超えたミナトの大きな熱い気持ちは、いつもちゃんと届いてましたって言いたい。

そして本当は、いつもちゃんと誰かに届けてるって言いたい。


でも、届いたそれが何か誰にも言葉に出来ない。

だけど、私は、私は知っている。

人と形は違うかも知れないけれど、ミナトは自分の気持ちをちゃんと人に届けてるって。


だけどミナトの形の変えたそれの正体が何なのか、ミユウには分からない。

言葉で言い表すにはミユウにはまだ経験も知識も足りない。

だから、だから…どうしたら良いかわからない。


ミユウの目から涙がボロボロと、本当に大粒の涙が、ボロボロと流れて来た。


ミナトのミユウの好意が分からないもどかしさと、それでもミナトが返してくれる純粋さに。

ミユウはミナトの全部が切なくて、愛しくて。

そんな思いが溢れる度にボロボロと、ボロボロと涙が零れた。


ふと見上げると、ミユウの涙で滲む視界に、何故だかミナトの満面の笑み見えた気がした。


「ん」って子供を呼ぶように、両手を広げてこっちにおいでって。

もう良いよって、だから早くこっちにおいでって。

ミナトがミユウを呼んでいる気がした。


妄想か幻想か分からない。

だけどそんなミナトを見ていたら、ミユウは自分の全部の好きが出て来て仕方がなかった。


「ミナトさんのあほ~」


だから呼ばれるままにミユウはミナトの元へ飛び込んだ。

ミナトはゆっくりとミユウの頭を撫でた。


それはまるで、それで良いって、間違って無いよって言ってくれたような気がした。




*****




それから涙の落ち着いたミユウをミナトは家に送って行った。


いつも通りにオートロックの扉越しに別れると思っていたミユウは、離れずに手を繋いだまま玄関まで引っ張ってチャイムを鳴らすミナトの真意が分からなかった。


「おかえり」

「夜分にすみません、少し時間いいですか?」


出迎えた母に、ミナトは少し頭を下げた。

何か思う事があるのだろう。母は快諾しミナトを家に上げた。


いつかの日と同じ様に、3人でダイニングに向かう。

ミユウの母は前と同じようにコーヒーを出した。


「それで?」


母はミナトの言い分を聞き出した。

ミナトは、自分の気持ちを伝えた。

それはきっと偽りのないミナトの本心だった。


お嬢さんに好きだと言われました。

でも俺は恋愛が良く分からず、女性を好きになった事が一度も無いし、お付き合いをした事も無いので分からない。

だから何と返事をすべきか分からない。


内容はそんな話だった。

ミユウはミナトの傍で黙って聞いていたし、母はミナトの方を見て、黙って聞いていた。

一通りミナトの言い分を聞いた母は口を開いた。


「そっか」


そして再びミナトは自分の言葉を続けた。

そしてこの言葉にミユウも母も何も口を挟む事が出来なかった。


ミユウを可愛いと、ミナトは言った。

ミユウを抱きしめた温かさに癒されたと、ミナトは言った。


ミユウが傷ついてたり、泣いたりしてるのは嫌だと、ミナトは言った。

それでも自分事を思って泣くのは嫌では無く、嬉しかったと、ミナトは言った。


そして、どうせ泣くなら、幸せって笑いながら泣いて欲しいですと、ミナトは言った。


「これが好きかどうかわかりませんが、俺がずっと傍で守ってあげたいです。

一生大事にって言葉がこれにあてはまるなら、多分これです。

俺、ミユウさんの事、一生大事にしてあげたいです」


ミユウの真摯な言葉にミユウは再び涙を零した。

この思いは、ミユウには言葉に出来ない。

それを語るには、まだミユウは子供過ぎるのだ。


だけどミユウの母は分かったのだろう。「ミユウはどうする?」とミユウに尋ねた。

そう聞かれても分からない。


「…分からない」


ミユウはそう言葉にするしか方法が無かった。


そう。分からない。

多分じゃなくて、二人の関係を言葉にする事がまるで出来ない。


ミユウとミナトは、他の恋人同士が持っているピッタリと収まる何かを持っていない。

もし有ったとしても、サイズも素材もチグハグで、何一つかみ合わない。

だけどもし同じものが有るとしたら、かみ合わないねって笑い合えるその瞬間がある事を知っている…そんな言葉にも形にも出来ない何かだった。


「そっか、じゃ私が認めるから、お付き合いしてますって事で。彼氏彼女の関係って事でええかな?」

「え?」

「それでいいんですか?」

「良くも悪くも、好きにしたらええやん。二人の事やん。二人で話し合って自分達で決めたらええ。でもこれで合ってると思う」


そんな母の言葉に、ミナトは「良いのか…」と呟いた。


「これで合ってるんや…」


そんなミユウのつぶやきに母はニヤニヤとしながら答えた。


「知らんけど」

「「えぇ~っ!」」


その最後の最後で締まらない、その感じ。

まさにミユウの母と言った雰囲気に、ミユウとミナトは二人で盛大に叫んでしまった。




*****




「ま、親公認なんで、ミナトさんは次からミユウに言われたら、ミユウが一人でも家に入ったってね」


ミユウの母はミナトに念を押した。前回の二の舞にならないようにとの配慮だ。


「それに今は積もる話もあるでしょうし」


ミユウをミナトをミユウの自室へ押し込んで、母はリビングへ戻って行った。


「…」

「…」


何とも言い難い状況に追いやられた二人は、暫く呆然とした。

そんな状況を打破するべく口を開いたのはミナトだ。


「じゃ~何か喋るか」

「そうですね」


二人で小さなテーブルを囲んでその場に座る。


「なぁ、好きって分かってる?」


ミナトの抽象的な質問にミユウは何を問われているか考える。


「えっと、ミナトさんの事をですか?」

「あ~。うん。この場合はそうなんか?」


だとすると、ミナトのどんな所が良いのかを答えれば正解なのか?と、ミユウは悩みながら答える。


「…そうですね。ちゃんと前を見てて、ちゃんと届けてくれて、真っすぐな所ですかね」

「そっか…」


答えが合っているかどうかわからない。

だけどミユウの答えにミナトは、いつもとちょっと違う顔をして、少しだけ耳が赤かったので、そんなに間違いでは無かったと思う事にした。


「ミナトさんは…わからないですよね?」

「あ~…ごめんな、多分わからん…」

「いえ、大丈夫です。知ってますから…気にしないで下さい」


身振り手振りを交えて気にしないでと繰り返すミユウに、ミナトは言葉を続けた。


「あ~でもな、嬉しかった事はわかるねん。ミユウも俺の事見ようとしてくれたやろ?ミユウの目線じゃなくて、俺の目線で見ようとしてくれたやろ?それが嬉しかった。それに俺のトコに来てくれたんが一番嬉しかったかも」


初めて聞くミナトの本心にミユウは心がじんわりと温かくなっていく。


「ん…でもそうやな…。好きが分からんって言う俺に、好きって言ってくれるその気持ちが一番嬉しいかも。

うまく言えんけど、自分を見て欲しいの好きじゃなくて、俺を知ろうとしてくれる好きは、純粋に凄い嬉しいかな」


「こんなんでええかな?」って言ったミナトの顔は、多分だけど普通の彼氏が照れる時の顔と同じだとミユウは思った。




*****




こうしてミユウとミナトは少しだけ自分達の気持ちを話し合ってその日は別れた。


二人は親公認という形で付き合う事になった。


ミユウもミナトも、好きとか付き合うとか、普通の人とは違う形から始まったけど、ミユウの母の言う通り、二人で話し合って好きにすれば良いと思った。

そしてミユウもこれが自分達に一番合っている形だとも思っていた。


ミユウはミナトを玄関から見送り部屋に戻ると、直ぐに携帯を開き、ミナトへメッセージを入れた。


『これからもずっとよろしくお願いします』


このメッセージの文字には、ミユウの希望が入ってる。


『ずっと一緒にいたい』


この一文だけが、ミユウとミナトが分かり合える、だと思えたからだ。


ミユウは就寝の準備を進めて、寝る前にもう一度携帯の画面を開いて、送信したメッセージを眺めていた。

既読はまだついていない。


まだ見ていないミナトを思い、見た時にどう思うのかを想像した。

そんな事を繰り返していたら、ミユウは、くすぐったくて声を出して笑ってしまいそうだった。


暫く画面を眺めていたら、パッと既読の文字が付いた。

ミユウはこの瞬間にミナトが自分のメッセージを読んでいるのかと思うと、急に恥ずかしくなって、急いで画面を閉じて布団にもぐりこんだ。


返事の内容が気になっていたミユウだったが、気が付いた時には既に日が昇っていた。


目が覚めて改めて携帯のメッセージを確認したミユウは、その内容に今にも悶え死ぬのでは無いかと思った。


『こちらこそずっとよろしくお願いします』


だってそのメッセージは、ミユウの知っている言葉で紡がれていたのだから。

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