第48話 いらないもの
世の中には理屈や道理で説明できないことなんてごまんとある。
その最たる例として挙げるとしたら、俺は真っ先に「人のココロ」と答えるだろう。
生まれた環境や周りの人間関係。その他のありとあらゆる要因によって形作られるそれは、時に物事を優位に運ぶ時もあれば、己の意思と反して極めて非効率な選択を取ることだってある。その心は決して、誰かに完璧に把握されることもなく、そして自分も完璧に把握することはないのだ。
―――本当ならもっと長々と己の意見を語りたい。こういう、なんか小説の一節みたいなのを誰かにもっと聞いてもらいたい。
でも今は、ちょいとばかし時間がないから仕方なく省こう。
つまり……まぁ、何が言いたいのかというと。
俺にキスされた澪が俺と出会った開口一番、何故か手合わせを申し込んできたのも、それは人のココロの移り変わりで、本人ならまだしも、俺がその真意を把握することなんて出来ないということだ。
遡ること数分前。
この事に至るまでの道筋は至って単純である。
「浩哉、ちょっと手合わせしない?」
そう言われ、俺からの疑問質問全てをのらりくらりと躱しながらこの状況まで澪は運んでいったというわけだ。
そんな俺たちは今、ヴィオラの家から少し離れた開けた空間で声が聞こえる程度に離れ、向かい合っている。
澪はずっと腰に携えていた刀を鞘からするりと抜き、方や俺はと言うと、移動中もそうだったが「何か一つくらいは理由話せ」を訴える疑惑に満ち溢れた表情を澪に向けていたが、悲しいことに全く響いていない様子。
表情だけの訴えじゃ口を割らないと諦めた俺は、とうとう自らの口で言うことにした。
「……なぁ澪。理由くらいは聞かせてくれない?」
「それは……これが終わったら教えてあげる」
「んー、俺は前が良いなぁ」
「いくよ」
「話聞いて?」
そもそも昨日澪からはレベル138と告げられていたんですが俺は。恐らく以前教えてくれたステータスとは比較的にならないくらいに成長してるのだろう。
なんて俺の考えをよそに、澪は刀の切っ先をこちらに向ける。それに本格的に焦り始めた俺は声を少し荒げながら問いかけた。
「ま、待て!最後に、最後に一個だけ。戦うのはもう俺は受け入れたから一個だけ聞かせて!」
「だめ」
くそったれ。前から聞く耳を持たないなとは思っていたが……エルリアと会う頃はそこそこ聞いてくれるようになっていたが、なんかそのへん戻ってない?復讐決めた独りよがりな頃に戻ってない?
……いやまだ諦めるな真部浩哉。人間には言葉という素晴らしいものを持っているんだ。ちょ、とりあえず《予測補助》を使用してこの場に最適解な答えを―――
「《弱点看破》、《空間把握》」
その瞬間、澪がボソリと何かを呟き、腰を低く、そして刀を一度鞘にしまった。
何かしらのアクションを起こす。そう感じ取った浩哉は必死に思考を巡らせた。これから澪が何をし、それによってどのような結果が生まれるのか。
―――あらかじめ《予測補助》を発動させておいてよかった。
そう思わずにはいられない出来事が頭の中で想像できた。いや、出来てしまった。
「(刃が……飛ぶ?)」
《予測補助》によるものなのか、いつも以上に鮮明に感じ取れるようになった魔力の軌道と、澪の体勢による予測だが、それの正誤を確かめている時間はない。
とにかくその予測を信じ、浩哉は必死に目を凝らして澪がどこを見ているのかの視線で斬撃の位置を確認しようとした……が。
「(目……瞑って……!)」
こうなったら勘か、あとは寸前までの……いや無理だ!俺のステータスじゃ多分無理!
「(勘……いや、確か―――)」
澪はさっき弱点看破と呟いていたな。恐らくスキルを声によって発動させたもの……これでいけるか?いや行くしかないな、もう時間もない。
と、かなり高速化された意識の中、視覚が澪が抜刀した瞬間を捉えた。
そしてそれと同時に、浩哉は片足に持ちうる限りの最大限の力を入れ、前に飛び込むようにして身体を地面と水平になるように調節する。
その刹那、視界を何かが通り過ぎた。
その何かは確認する暇もなく通り過ぎ、俺の後ろの木に当たり―――
「あだッ!……というか降参降参。もう攻撃すんな俺の負けだだから命までは刈り取らないで朝のことは謝るから!!お願いしますッ!!」
その体勢のまま重力に上から下に押されたもんだから不格好に身体をうつ伏せにしたまま流れるように謝罪の体勢(土下座)に移行し、明らかに殺傷能力を含んだそれを躱すと同時に浩哉は情けなく命を取らないでと懇願する。
命の儚さの前ではプライドなんかいくらでも捨ててやるよコノヤロー!
「ってあれ?」
五秒くらいその謝罪のポーズを続けていたが、澪の方からなんら動きも言葉もない。なんなら気配もない。そのことに不思議に思った浩哉はそーっと顔を上げてみる。
「…………どこ行った?」
そのまま身体を起こして今度は辺りをも確認してみるが、やはりいない。いるのは一緒に来たヴィオラと―――
「あ、ルナリア。いつ起きたん?」
ふわふわとこちらに近づいてきているルナリアだ。
「ついさっきさ。なんだか面白い魔力の波動を感じてね。まさかスキルであそこまで魔力そのものを行使できるなんて、驚いたよ」
そう言って、手のひらで恒星の光を遮るようにしておでこに当てながら斬撃が飛んだ方向を眺める。
「あれほどの強力なスキルをあれほどの練度で扱うことができるなんて……ちょっとヒロヤ。こっちついてきて」
いつもと同じように淡々としているように見えるが、俺が思うよりも驚愕に溢れているのだろう。その証拠に、いつもよりも動きが早い。
俺の返答を待たずに、小走りをしないと追いつけないほどのスピードで離れていくので、勢いよく立ち上がってその後をついていく。
「そんな急いで何を見せたいっていうんだよ」
「…………この木、軽く押してみてくれないかい」
そこは、先程斬撃がとんできた場所。正確には、恐らく一番最初にその斬撃に接触したであろう立派に佇んでいる大きな一本の木。なんの種類かは知らないが、まっすぐ伸びていないところに個性を感じる。
「……わかった」
そうして、最初はホントに少しの力で木を押す。
「もう少し、いや、もっと……あとちょっと」
と、ルナリアから徐々に力を上げるようオーダーされていくうちに、あることに勘づいた。
「まさか……」
すでにとっくのとうに《予測補助》は切ってあるので、勘はそれほど良くない浩哉は、その時浮かんだ「もしも」の予測を立証すべく、強く手に力を入れた。
ズッ……と、動くはずのない木の幹が動いた。
「「…………」」
二人共、黙ってそれを見つめていた。
動いたのはほんの数センチほどだが、どうして動くはずのない木が動いたのか。それだけで予測の立証は十分だった。
浩哉は何も言わず、木の幹から手を話す。
思わず口から乾いた笑みが漏れてしまったが、それ以上に俺は澪に対して尊敬の意を抱いていた。
「(これほどまでの強さを手に入れるなんて……尋常じゃない努力をしてきたんだろうな……)」
だが―――
「さて、さっさと澪を追いかけなくちゃな」
強いて言えばそれだけである。目の前の異常なことが澪から起こされたことについての感想は。それよりも浩哉は、直前に見た澪の表情が印象的だっただけということだ。
一方、澪はというと。
その身に宿した有り余る
走って走って、走り続ける。
今自分がどこにいるのかわからないくらいに。
途中で刀も放り捨てた。
とにかく今は、浩哉から離れる。そんな一心で。
「はぁ……はぁ……。……っ」
己の感情が一年前まで殆ど変化のなかった表情を歪ませる。
「こんなことになるなら……!この
走りながら、想いのままに心からの声を吐き出す。
今、この瞬間の澪の心はかなり限界へと近づいていた。
一年前、澪は見知った仲間と唐突に分断され、この地へと足を踏み入れた。
環境の変化というのもは、大きく人の心を変えていく。
最初の頃のエルフの村の澪への扱いは、表面的に見れば澪に対して優しく振る舞うように見えていた。だがその実、森の中の村という閉鎖的な空間で同じ種族同士で生きていた古代聖エルフ種族は、いきなり表れた人間種を疎ましく思っていた。それは連れてきたエルリアやエスカを覗いて、ほぼ全員と言ってよかった。
態度には表れない。だが澪を見るその視線、その意識。いくら他人のことについて無関心な澪でも、それを感じずにはいられなかった。
そして澪は、浩哉のような、その感情に耐えられるほどの図太い神経を持ち合わせていなかった。
そこで、澪が覚えた処世術というのが、他人の顔をよく見ること。
そこから澪は上手く立ち回った。他人に優しくなり、他人へ下手にであるようになり。だが相手の感情を損なうようなことは決してしない。
当たり前だが、常に相手のことを伺うというのはかなりのストレスになる。だが不幸にも、澪は自分の感情をを表面に出さないことだけは長けていた。誰にも心配されることなく、澪はこの「エルフの村」という環境に上手く溶け込んだ。
たった一人、己だけの力で……。
そしてその処世術は、いつの間にか澪に忘れていた『感情』というのを思い出させた。
他人に触れる。その行為によって、復讐によって一時期失っていた心の底からの本当の自分の感情を思い出していったのだ。
だが、今の澪にとっては、その感情がひどく重りになってしまっている。
感情を持った澪は、浩哉がいないことについて酷く不安を覚えていた。
走りに走り続けた澪は、自分の中に蓄積された疲労に気づくことなく走り続け、そして―――
「あ……」
上がらなくなった足を、地面から隆起していた木の根に足を引っ掛け転んでしまう。
「…………」
そこそこ勢いよく足を引っ掛けたため派手に転んだが、転んだくらいでは澪は怪我をすることはない。代わりに、少しばかりの土がこの派手な服についたくらいだ。
一度止まった澪に、もう走る気はなかった。走ろうと思えばもっと遠くまで行くことは出来たが、どうしてももう一歩を踏み出す気にはなれなかった。
「(ここまでくれば……もう浩哉も追いかけてこないよね)」
先ほどまでずっと走っていたのは、浩哉から遠ざかるため。
もう二度と会わないようにするため。
もう二度と―――
別れの寂しさを感じないようにするため。
地面に伏せていた澪は一度四つん這いになり、ついさっき引っかかった根に繋がっている幹に背を任せ、膝を抱えてその間に顔を押し込む。
「……ねぇ、なんでこうなっちゃったんだろうね」
周りに誰もいないのを分かってて尚、誰かに問いかける。
返答が欲しいわけじゃない。つい口から漏れてしまった弱音に近い。いや、実際澪にとっては弱音と言っても十分だろう。
誰にも頼ることなく、自分の中だけで全て自己完結していった澪にとってのこの言葉は十分弱音だ。
「こんな気持ちになるなら……感情だっていらない。友達だって!浩哉だって―――」
そこで、澪の嘆きが止まる。
自分が決して言ってはいけないことを思わず言葉にしてしまったことに自己嫌悪し、また心が深く沈んでいく。
だが、そこに。
とある気配がゆっくりと近づいてくるのを感じた。
その気配は、迷うことなく今自分がいるこの場所を目指している。
「…………」
「…………」
どちらも、その姿を目視できる距離まで近づいたが、何かを話すということもしなかった。
決して止まることのなかったその気配は、ついに澪に隣にまで近づいていき、これもまた何も言うことなく澪の隣に腰掛けた。
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