第46話 久しぶりと初めましてと
「守りたいやつをそれ以上増やすな……ねぇ」
少し前、ヴィオラから警告かの如く告げられたこの言葉。俺はそれを心の中で何度も反芻させていた。
分かってる。その言葉の意味は分かっている。だが、分かっているからこそ、俺の中には解決できない疑問が生まれてくる。
どうして、ヴィオラはそんな分かりきっていることを言ってきたのだろう。
「分からねぇなあ」
とは口で言いつつも、実際には分からないこともない。
率直に、未来の俺は守りたい存在を増やしすぎて真に守りたいものを守れなかったのだろう。
でもだからこそ、未来の俺がなぜそんなにも守りたいものが増えてしまったのか、それが分からない。
「ハッ、とんでもないものを投下してくれたもんだ、まったく。なぁ?澪」
目の前の、既に腹から矢を引き抜かれ治療を終えてぐっすり寝ている澪に聞こえてないと分かりつつも問いかけつ。
「……当たり前だけど反応はないよな。ヴィオラの見立てだと矢は深く刺さったものの、奇跡的に内蔵部分は回避してるからそれほど重いもんでもないからすぐには目を覚ます。……らしいんだけど、当の眠らせたルナリアはどう見るよ」
……と、今度はつい最近手に入れた相棒的存在に問いかける。
だがこちらも、
「……気持ちよさそうに寝てんな」
さっきまで頭の上にいたルナリアは澪につられたのか、小さく「すぴー」と寝息をたてながら顔を緩ませて眠りについていた。頭の上からひょいと優しく手で包んで起こさないように頭の上から澪の寝ている布団の上に静かにのせる。
「ここにいても暇だし、ヴィオラから茶と本でも貰ってくるか。折角文字も少しは覚えたことだしな」
我ながら出来の良すぎる頭とこれまでの巡り合わせに感謝しつつ、木製の椅子から立ち上がろうとしたその時。寝ている澪の口から「ん……」という声が漏れる。
「……………………浩哉?」
「おう、お久しぶりの浩哉さんだよ」
上半身だけを起こし、左右に視点を泳がせたのち、こちらの姿を発見した澪は小さく俺の名前を呟いた。
「ここは……天国かな?」
「いや俺を勝手に死んだことにしてんじゃねぇよ。地球ではないがここは立派な現世だ。そんでもっと細かく言うとここは俺がこの世界に来て初めて世話になった場所」
聞かれる前に色々と説明を行うが、ボケっとした表情から察するに完全に右から左に俺の言葉は通り抜けてしまっている様子。
それを見て久しぶりに顔を合わせて話した内容がこんな下らないのかと思った俺は思わず小さな笑みが作られた。ただ、それと同時に久々に会った時の澪の様子が少し気にいらず、
「いつまで呆けてるつもりだ……よっ」
「うっ」
呆けている表情を見ていたら急に生まれたイタズラ心も相まって、少し前にかがむと前髪の上から額にデコピンを当てる。
「俺はちゃんと生きてるし、こうしてお前の目の前にいる。澪が俺のことをどう思ってるかはまだよく分からんが……少なくとも俺は澪とこうして久しぶりに会えて嬉しいぞ」
今の心のうちを率直に、嘘偽りなく伝える。いや、嘘偽りなくは少し違うか。声にして言わないが、正直死ぬほど嬉しい。澪に比べたら体感ははこちらの方が短いに違いないのだろうが、やっぱり寂しかったのだろう。
言葉にしないと気持ちは伝わらないとよく言うが、こればかりは勘弁してほしい。さすがに恥ずい。
ただ、その言葉を聞いても澪は、やっぱり特に表情も変わらない。一体この前隙間から覗き見たあのエルリアへの表情はなんだったのだろうか?
親密度抜かされたかな……。
そんなことを思ってちょっとした悲しみに浸っていると、澪はゆっくりと言葉を重ね始める。
「……ほんとのほんとに、浩哉?」
「だからそう言ってんじゃねぇか」
「あの……一人だった私にお節介を焼いてくれたあの浩哉?」
「お節か……まぁ……確かにお節介だな、ありゃ」
「浩哉……」
「なんだ?」
俺がそう問いかけると、澪はきゅっと唇に力を入れる。
まるで、口から溢れそうななにかをせき止めるように。まるで、耐えるように。
「ちょっと、こっち……来て」
段々と、言葉が途切れ途切れになっていく。
俺はそれに言葉で応えず、澪から示されたベッドの上に腰を下ろすことで行動によって応える。
「もっと……こっち」
よく見ると、手のひらにも力が入っているようだ。俺よりも小さなその握り込まれた手が、細かくプルプルと震えている。
「もっと…………もっと」
何度も、澪は浩哉を近くへと呼び寄せ、いつの間にか両者の距離は手を伸ばせば触れられるほどにまで近づいていた。浩哉もその澪の要求を拒むことなく、何も言わずに近寄っていくだけだ。
この場面で澪の言葉を無視できるほど、俺も無情ではない。
互いの顔が十センチほどまで近づいたとき、ゆっくりと、澪は体を傾けるようにしてこちらに体重を預けてきた。澪の座高が俺とそれほど違わないせいか、澪の顎がこちらの肩に乗るような形で収まった。
そのため、今澪が何を思い、どんな表情をしているのかはわからない。
わからない……が。
静寂―――それだけが、今この瞬間には相応しいと、そう心の底から思えた。
「―――ふぅ……落ち着いた」
暫く時間が経った後、そう言った澪はゆっくりと俺から離れた。
顔を見てみるが、特に目が腫れてるなんてこともない。……流石に泣かないか。まぁでも心配されていたことは伝わったから、それだけでもよしとしますか。
「そりゃよかった。……にしてもまぁ、大人になっちゃって。一年という時間はこうも人を変えるもんなのかね」
「……?そんなに変わったかな」
「まず一つに、その喋り方。なんか親しみ湧くようになった。前はなんか周りの様子なんかまったく気にしねぇ、みたいな感じだったのに。心境の変化でもあった?」
「そう、だね」
その浩哉のちょっとした指摘に、澪は心の中で驚いた。
そして改めて実感する。
―――浩哉は、自分以外の誰かをよく見ている。
誰かさんとは違って。
「心境の変化というよりも、環境に合わせていったら自然とこうなっていったって方が近いかな。……それよりも」
そこで言葉を切り、今一度浩哉の姿を確認する。
「そっちもなんか……すごい変わったね……」
「いや、そっちほどじゃねぇよ。俺なんか目がなんか緑色になっただけだし、ステータスもそれほど伸びていない。俺の時間はまだあの時からあんま進んでないしな」
「え?それってどういう―――」
浩哉の意味深な発言の真意を訪ねようとしたところで、なんの前触れもなくこの部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「すみません、お茶を持ってきたんですがいりま―――」
と、実はこの家に来た時にはいなかったリトナがいつの間にか帰ってきて、そしてありがたいことにお茶まで持ってきてくれた。そこまではいいのだが、疑問点としてはリトナは澪を視界に入れるやいなや、大きく目を見開いて驚愕の表情のまま固まってしまったこと。
……お盆に二人分のお茶を載せたまま。
「お、どうした。ん、あー……澪。まぁ簡単に紹介するとだな、こっちのお茶持ってきてくれた子はリトナ。ここの家主、ヴィオラの弟子みたいなポジションにいる。ってリトナ、そんなところにいないでこっち来いよ」
「え……あ!はいっ!」
俺の一声で、何故か半分放心状態だったリトナが再び動き出す。
「き、きれい……」
「ん?」
「い、いえ!なんでもないです!」
何か呟いたような気がしたが……まぁなんでもないというのならなんでもないのだろう。イチイチ突っかかるのも流石に面倒なヤツに思われるだけだし。
その後、お茶の載ったお盆を小机の上に置き、浩哉に誘われたので一緒にベッドの上に腰掛けている……が、わたしの心臓は今、これまでにないほどに高鳴っているだろう。距離的にももしかしたら目の前の二人には聞こえてしまっているんじゃないか。そう思うほどに。
だって、あまりにも―――
綺麗すぎる。
まるで一瞬天使様がわたしの前に現れたかのように錯覚してしまうほど、ヒロヤさんが連れてきた人は綺麗だった。
麗人、そんな言葉がリトナの頭の中に浮かび上がってくる。
少し茶色がかった、背中まで伸びた髪。女のリトナから見ても羨ましく思えるほどのメリハリのある身体。そして……まるですべてを見透かしているような、キレのある目。こっちを見る目に気圧されてしまうほどの印象だが、もう少しだけ見てみるとなんだかその目はヒロヤさんに近いように感じられてくる。
その理由までは、リトナには分からないが、想い人とちょっとでも共通の部分があるというだけでリトナは澪への緊張が少しだけほぐされたような気がした。
「あ、あの……!」
あまり人との関わりがなく、未だにお師匠様であるヴィオラ以外の誰かと話す時はがっつり人見知りを発動させてしまうリトナだが、この時は不思議とリトナから一歩を踏み出した。
だが、
「どうしたの?リトナちゃん」
その声、その言葉で、リトナの勢いは完璧に消え去った。
思いもよらなかったちゃん付けと、自分の想像以上の声。
声までも綺麗なのか……。
そう思って次の言葉を吐き出せないでいると、そんなリトナの様子を感じ取ってか否か、浩哉がリトナの代わりに空気を会話で満たす。
「リトナにも澪を紹介……ってどうせなら自己紹介してくれよ。俺も今の澪とかよく知らんし」
「そう……だね。じゃあ軽く自己紹介くらいはさせてもらおうかな」
浩哉の声を聞いて、今まで澪だけに向けていた視線を浩哉も視界に入るように意識する。だがその行為は間違ったものだと瞬時に気付かされた。
リトナの視界に映るのは、美男美女の二人。
浩哉自身、自分のことはそれほど見目もこれと言って良いと思うこともなく、今まで普通くらいだと思って生きてきた。だが実際にはそれは大きな間違いなのだ。
客観的に見たら、浩哉も十分過ぎるほどのイケメンだ。それに日々の山育ちから、体つきもかなり良く、夏の時のファッションから一切変わっていない薄着のままなので、身体のラインもわかりやすく、少し意識すればかなり筋肉がついているのがパッと見でもよく見えてしまう。少し髪はボサッとしてるのが残念だと思えるくらいには素の格好はかなり良い。
何度でも言おう。
かなり良い。
そして、そんな耐性があまりないリトナが二人を視界に入れてしまったらどうなるか。
「は……」
「は?」
「はわぁ」
勿論、目を回して倒れてしまう。
興奮で、意識もついでに途切れてしまう。
「……どうしたの?この子」
「さぁ。ま、前にもこんなことあったし、寝かしとこうぜ」
浩哉の中では既に「リトナはいい子だが、どこか変な子」という認識があるので、理由も分からず急に倒れてもそれほど驚かないが、澪の場合、目の前で急に人が倒れても冷静そのものでいられるのはどうかと浩哉は思っていた。
「(まぁ……でも、これが澪か。かなり変わったように見えても、芯の部分はやっぱ変わってないもんだな)」
浩哉は倒れて意識がなくなったリトナの頭を撫でながら、自分の知っている澪を知れて安心していた。
澪も澪だが、浩哉も浩哉。この場にはそんな様子を俯瞰的に見れる第三者がいないため、澪も浩哉も……そしてもちろんリトナも、全員自分が変だということは誰も知ることはなかった。
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