第45話 黒いモヤの黒いヤツ

「とりあえずで頼んでみたはいいものの、まさかできるとは思わなんだ」

「さっきのはこの子の身体の中の魔力をちょいちょいっといじって眠らせたのさ。ただ、今はこんな詳しく解説してる場合ではないね。あのキスを拒んだ件も問いただしたいけど、それは後にしておくよ」

「確かにそれは後でお願い」


目を細め、遠くの泉で呆然とした様子で佇んでいる正体不明の魔物に目を向ける。


「(この前見かけたやつ……だよな。まーさかまた出会うことになるなんてなぁ。)」


「あーくっそ。……ルナリア」

「ん、どうしたんだい?」

「これから恐らく、俺の長い人生の中で多分だがこういった格上と対面する場面に何度か遭遇するはずだ。そんな時には俺は決まって一つの行動しかとらない。命が関係してくる場面なら尚更だ」

「……つまり?」

「つまり、だ」


俺は腰をかがめ、地面に寝転がっている澪の腰に手を入れて俺はその一言を告げる。


「逃げる」


それだけを言って、俺は有無を言わさずルナリアを潰さない程度の力で鷲掴みし、ズボンのポケットに突っ込む。ルナリアの許可は取らない。


「ちょ!?」


何か叫んでいるが、無視だ。そうしている間に空いた方の片手で澪の上体を起こし、ルナリアをポケットに入れるという役割を果たしたもう片方の手を今度は澪の膝裏に忍ばせて、一気にダッシュ!なんかモガモガ言ってるがそんなこといちいち気にしてられる場面でもない。


なぜなら―――


「%$#&#”*?*%>$+〜〜〜!!」

「うっわ、相変わらず何言ってるかわかんねぇな!くっそはえぇ!」


その魔物、結構粘着質なのだ。前に会った時、顔を覚えられたのかこちらの姿を視認した瞬間奇声以外の音を立てることなくこちらに高速で迫ってくる。

この前出会ったときはクアドラの地元民ガイドがあったからなんとか逃げ切れたものの、今の俺のAGI素早さでも逃げ切れるかと言われたら自身はない。


……そう、以前までの俺だったら。


「ルナリア!」

「……ぷはっ!一体なにが起きて―――って……あれはなんなんだ?」

「精霊のルナリアでも知らんときたか」

「ああ、あんなものは見たことない。『真理』の精霊だったら分かるかもしれんが……」

「真理?」


つい最近どこかでその言葉を聞いた気がするが、それを思い出すことにリソースを割いている暇などない。


「というかあの魔物段々と近づいてきてないかい!?」

「……だな。素のAGIのステータスは微妙にこっちの方が負けてんだよな。しかも障害物素通りしてってるし」


可笑しなことにその魔物は猛スピードで“道のり”ではなく“距離”を辿っていっている。木にぶつかると思った寸前に、黒煙に変化し、通り過ぎたらまた黒いモヤを伴った実体へと戻る。


まだまだスタミナ的には余裕はあるものの、これ以上スピードを上げろと言われたら今は引き離せるものの後々スピードが落ちて捕まりかねん。

ただ、今の俺にはスタミナを消費してスピードを上げる以外に、長期的に見てもスピードが落ちない画期的な方法を持っているのだ。


「ま、こういう時の『魔力操作』だろ?」

「そ、そうは言っても教えたばかりじゃないか!普通の、それこそ魔力操作に遺伝子的に長けているあのエルフ種でも本格的に体得するのは一ヶ月はかか―――」

「大丈夫」


そう言うと、浩哉は走りながら一度深呼吸をして、澪を抱えているその手により力を込める。思わず、落とさないようにするために。


「もう理解した」


己の中の知覚している魔力を、足に。

その瞬間、俺の走る速度は爆発的に上昇した。


「うほっ」


思わずキモい声が溢れてしまったが、その時に脳裏によぎったのは自転車で少し遠出してみた時のあの日。未知の環境でふと見つけた線路をまたぐ陸橋に辛い思いをして立ちこぎで登ったあと、先の道に誰もいないことを確認してからのノーブレーキの下り。その興奮に似ている。


「こりゃ……すげぇや」

「ホントに……できるんだ……」


恐らく俺とルナリアとでは驚愕の対象が違っているとは思うが、同時に声が漏れる。新幹線並の景色の流れ方をしている俺の視界は、反射神経までは魔力での強化は難しく、ところどころ木の幹にぶつかりそうになる。ただこういう時に使えるスキルを俺は持っているのだ。


「《予測補助》」


最近になって気がついたが、スキルというものは、心の中では意識しないと使えないがその名前を口に出して唱えると、勝手に発動してくれる。こういった緊迫した場面では考えるよりも何も考えず口に出して発動させたほうがなにかと楽なのだ。しかも心の中ではハッキリ意識しないと発動しないから偶に不発のときもあるし。


ただ、やっぱり便利な《予測補助》。思考が高速で巡る巡る。


「よっと、ほっ」


そうしてこの速さに脳が対応してくると、やっぱり地面を走っていたら諸々の障害物が邪魔になってくるので、魔力によって底上げされた筋力をフルに使って某配管工事おじさんの如く木の幹を蹴って徐々に上昇し、枝に足を乗せる。


「ハハッ!楽しいな。まるでゲームのキャラみてぇじゃないか!」

「楽しむのもいいけど、ヘマはしないように気をつけて」

「当たり前だ。こっから更にとばすぞ」


自分の想像の通りに体が動くというのは想像以上に楽しく、思わず周りが注意散漫になってしまう。


「ヒロヤ、そのペースでいくと十分くらいで魔力は尽きるよ」

「えっ?」


そう言われてステータスを開いて確認してみると、俺のMP最大値である370から既に半分近く消費していた。


「それもそうか。一秒に1ずつ消費されていくんだしな」

「あとその魔力の使い方だとかなり魔力が無駄になる。ボクがまた教えるから走りながら少しずつ調整していこう」

「りょーかい!」


そうしてステータスを閉じ、後ろを振り向いて例の魔物の姿を視認しようとするが、その姿はなかった。だが、それでもスピードを緩めることはせずルナリアのアドバイスに耳を傾けながら目的の場所へと向かうのだった。





















この世界に来て、俺の持つツテというものはかなり限られてくる。

それこそ、明確なものと表現するなら二つと言えるだろう。


一つは、クアドラのとこ。

そして二つ目がヴィオラのとこだ。


それで言うと、クアドラの方は村に近く、それにクアドラと村で行動していた節もあるため幾ら数少ない情報と言えど、少し考えればクアドラのとこに行く可能性もあると思うのは容易ではある。

距離的にはクアドラの家のところが近いが、そんな危険性を抱えた場所に行く気にはなれない。

すると必然的に俺が行く先は―――


「ヴィオラー。いるかー?」


ヴィオラの宅の玄関をノックして、家主を呼び出す。

すると少し待っていると、ヴィオラの久しく聞く声とともにガチャリとドアが開かれた。


「なんだい、思ったよりも早かったね。それで用事は終わったのか―――」

「……なんだ?そんな驚いた顔して。占星術で俺が来ること予想してなかったのか?」

「いや……流石にアタシだってプライバシーくらいは尊重するさ。それで……まぁとにかく中に入って治療をしようじゃないか」


それもそうかと思いながら人ひとり分しか通れないようなドアの幅を横を向いてくぐる。


「……ヴィオラ?」


思わず疑問の声が漏れたのは、そのままヴィオラも一緒に中に入っていくかと思っていたら何も言わずに俺の横を通り過ぎて外に出ていったからだ。

ドアを背にして固定し、何をするのかと眺めていると、三歩ほど歩いたヴィオラは腰に手を当てて空を仰いでいた。


「あー……なるほどねぇ」


その不可思議な行動の意味を俺はすぐに納得できた。

空の星を見ているのだ。

それで、俺の運命を占っているのだろう。俺の過去に何が起き、俺の未来に何が起こるのかを。

時間にしてみれば、ざっと十秒ほどの短い時間だったが、俺にとってそれはもっと長いように感じられた。


見終わったのか、ヴィオラはこちらに振り向いて何も言わずに俺の目の前を通り過ぎる。


「……ヴィオラ?」


それについては特に何も思わず、とりあえずその背中についていこうとした。……が、その背中がなんだか哀愁を背負ったかのような、そんな雰囲気を纏わせていたので自然と声をかけていた。


「何を視たんだ?」

「んーそうだね。『真部 浩哉』という名の主人公の物語、かね」


俺が主人公の物語……かぁ。


「そりゃあ、気になるな」

「でもヒロヤ、アンタという人間はその結末を聞くことはない。そうだね?」

「その通り」


結末は気になる。だがそういうのは自分の目で見るものだ。


「自分の目で見ないと納得しない。占星術で俺の運命を見たヴィオラならそれは嫌というほど理解したんじゃないか?」

「そう……そうだ。理解したからこそ、アタシはあの場面であの選択をとった意味が……」

「いや気になること呟くなよ」

「あぁ、悪いね。実を言うとアタシも最後の結末は見ていないんだ。アンタがどんなふうに死んでいくのか」

「果たして俺の物語の結末は老衰か、はたまた病気か他殺か」

「病気ではない、ということだけ教えておくよ」

「でも最後は見てないんだろ?」


それを言うと、ヴィオラは今までこちらに向けていた背を逆にし、真剣な眼差しでこちらの目を見据える。


「ヒロヤ、一つだけ助言をしておくよ。この言葉は特に覚えてもらう必要もない、忘れても構わないものだ」


そこで一度、言葉を切る。

それに俺は何も言わず、沈黙を貫くことでその先のヴィオラの言葉を促した。

俺の沈黙の意を感じ取ったヴィオラは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「守りたい存在をそれ以上増やすなよ。それ以上増やしたら、アンタは守りきれなくなる」





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