第33話 恋する乙女

時間が経つのは早い。なんかジジくさいこと言ってる自覚はあるが、そう感じてしまうので仕方がない。

……と、そんなことを考えながら、一日飛んでこの家にお世話になって三日目のこと。トースト卵ベーコン牛乳という朝食の定番セットを前に、俺はこの空間にいる人全員に聞こえるほどの声量でこう呟いた。


「そろそろ、行こうかな」

「なんだい、もう少しくらいゆっくりしていけばいいのに」

「いんや、どーせいつかは離れんだから」

「だからこそ、だろ?」


ヴィオラはそう言ってからリトナが用意した食後のコーヒーを嗜む。

見て分かる通りヴィオラはとても落ち着いている様子だ。


だが一方で、


「寂しくなりますね」


こんがりと表面が焼かれたトースト片手に、はぁ、と小さくため息を出しながら俯いた。昨日一日で俺の存在に慣れたのか、特にどもることもなく己の感情を吐露する。

ただそれが無意識に発したものだったのか、リトナは一度ハッとした表情を見せると、勢いよく自分の言葉を否定し始める。


「い、いえ違いますよ!?ただ寂しくなると言っただけで残って欲しいとか、そんなおこがましいこと言うつもりは……!」


そこまで言ったところで、途中で自分で墓穴を掘っていることに気がついて「うぅ……」という声を漏らしながらそのちっちゃなお口をトーストの角を使って塞ぐ。


これには思わずおじさんもほっこり。

視界の端っこでおばさんヴィオラもにっこり。


「ん?なんか言ったかい?」

「占星術やめろ」


昨日暇な時間を利用して占星術についての諸々を教えてもらっている合間に、ヴィオラやリトナのことについてもちょこっとずつだが教えてくれた。

その中でも一際驚いたことが、ヴィオラの実年齢について。

なんと五十路を超えているらしい。


「というか昨日一日だけ聞いても理解出来なかったけど、それってどういった理屈なんだよ」

「ハッ、若造が。アタシが三十年以上かけて極めてきた占星術を一日で理解されたらたまったもんじゃないよ」

「この婆さんが。というか読心ってなんなんだよ!絶対占星術以外のスキルだって持ってるだろうが!占いの域超えてるぞ」

「ハッハッハッ!いんや占いだね。今のアンタの心を占ったのさ。それこそアンタの運命星……『ザイン』を見りゃ一目瞭然だ」

「だからなんなんだよ、その運命星ってのは。どうやったら見つけられんだよ」

「それが分かってこそ、一流の占星術師だ」


そう言ったヴィオラは、再度コーヒーに口をつける。

そうして、ふぅ、と口から熱気を吐いて一呼吸置いたのち、こちらに真剣な眼差しを向けながらこう問いかけてきた。


「……なぁ、アンタも占星術師になる気か?」


それに対して、俺は、


「なってみようかな、とは思ってる」


特に視線を合わせることなくそう答えると、こちらにも用意されている、少し冷ましたコーヒーを一口で三分の一ほど飲み干す。


「忠告はいらないよ。分かってはいるつもりだし。それに―――」


そこで俺はようやくヴィオラの視線に応えるように顔を向けると、口角を上げニッと笑った。


「俺、こういうのに憧れてんだ。都会とは言い切れない、人もそれほど多くない穏やかな町の、大通りの一角で占い屋さんを開いて、そこで恋する乙女に恋の助言をする。憧れない?」

「……っ!…………確かに。良いな、それ」

「わぁ……!すごい……確かに憧れますねっ!」


乙女なリトナの興奮とは裏腹に、落ち着いたふうのヴィオラ。


一瞬のその間。彼女は一体何を思ったのだろう。

確かに、こんな力。こんな俺みたいなしょぼい憧れに費やすのには些か強すぎるのだろう。


「力は持つ者が決めるべきもの。それをどう扱うかは本人に委ねられる。だったら……楽しいこと嬉しいこと、誰かのために、そして一番に自分のために。それが力を持った者の責任であるんじゃないかと思ってる」


そして最後に、「持論だけどな」ということを付け加えることを忘れずに。

そのことを聞いたヴィオラはより一層、まるで過去の自分を眺めるような眼差しで、そうじゃなくともどこか遠くを見つめるような眼差しを、俺ではなく窓から見える外に向けた。


「分かってた……つもりだったんだけどな」


俺の持論を聞いたヴィオラは、ポツリと一つ呟いた。

ヴィオラがそれ以上何かを言うことはなかった。

不思議に思いながら、彼女のその瞳は何を映し出しているのだろうか。そんなことを思いながらボーっと見ていると、斜め前―――ヴィオラの隣にいたリトナから手招きされているのが見えた。

何も思うことなく、リトナが食器を持って立ち上がったのを見て、素直に後をついていくことにした。


そしてたどり着いた先は、まだ俺の行ったことのない部屋だった。可愛らしいぬいぐるみや、全体的に家具が多いことからここがリトナの部屋だと予測。


「良いのか?俺をここに招いて」

「まぁ……もうすぐお別れですし、それに私、ヒロヤさんを信頼してますから」


信頼、ね。


「…………」


本当に、それは信頼だけの感情なのか?


「……っ!……っぶな」

「……?何か言いましたか?」

「なんでもねぇよ」


俺も、澪に会って誰かを信頼するボーダーラインが低くなったのか。

……ダメだな。澪と櫂だけで手一杯なのに、これ以上は……。


「それでですね。ヒロヤさんをこの部屋に連れてきたのは少し訳がございまして……」

「……そうか」


一つ一つの思い浮かぶからかいの言葉でさえ、今この場面ではリトナとの好感度を上げるものでしか思えなくなってしまい、口数が自然と少なくなる。


でも……。

だけど……。



もう良いんじゃないか?



いや!あぁ、クソッ。だから誰とも会わずに人里離れた所に暮らしていたというのに。魔物どものくそったれめ。

……自分の気持ちに素直になっちゃうじゃねぇか。


「……その前に、俺から少しだけ良いか?」

「はい?なんでしょう」


大きな、クリっとした瞳が見開かれ、コテンと傾げる様は大いに庇護欲をそそる。

それが俺の気持ちを助長させる。


「一つ、率直に言うとだな……俺は結構リトナに好意を抱いている」

「ふひゅっ……!?」

「リトナ!?」


風船から空気が一気に抜けたような、そんな変な音を出しながら後ろに倒れていくリトナに、反射的に近づき、頭をぶつけないように片手で頭を支えながら、そしてもう片方の手で背中を持って、膝立ちになりリトナを両腕で抱えるようにして支える。

その際、


「っと」

「?!!」


何も準備していない状態からの不意の倒れ込みだったので、駆けつけたは良いもののその後の体勢なんかも一切考えていなかったので、幸か不幸か、全てが終わったときの俺らは鼻と鼻がくっつくほどの距離まで顔が近づいていた。

それはもう例えるならキスをする寸前の距離―――


「キュー……」


なんてことを冷静に考えていたら、今度はヤカンの中のお湯が沸騰した時の音がリトナの喉から発生した。


「……リトナ?」


思わず聞こえた謎の音に対して疑問を投げかける。

だが……


「…………おーい、リトナー」


返事はない。

暫く声をかけ続けても反応が見られず、まさかと思ってゆっくりと肩を揺らし、それでも何一つ反応がないことで、俺は一つの結論にたどり着く。


「これ気絶してるわ」


いや……マジか。まさかこんなアニメの如き展開が起こるなんで思いもしなかった。俺としては伝えたいこと伝えてさっさとここを後にしたいというのに。


「(……仕方ないか)」


そう思った俺は、を行うために一度リトナをベッドに寝かせ、ヴィオラのもとへと足を運ぶのだった。





















「…………」


不自然に途切れた記憶から察するに、私は突然気絶をしたらしい。それも私の記憶に間違いがなければヒロヤさんの腕の中で、だ。


「うぅ〜〜〜」


さっきの出来事を脳内再生し、さっきの出来事と、それで恥ずかしさのあまり気を失った自分自身に対して悶え始める。ベッドの上で体勢を横にして膝を抱え、顔を覆い隠すようにして丸まって恥辱の声が外に響かないように務めるのは、その時の私にはまだこの家にヒロヤさんがいたからという配慮と遠慮の末の行動だが―――


「……って……あっ!」


自分の気持ちを発散させ、少し冷静になったところであることに気がついた。

なぜ私がこの部屋に彼を招き、どんな理由があってその想いを吐露しようとしたのか。


そのことに気がついた私は、その行動が意味のないものだと理解しつつも、急いでベッドから飛び出して小走りで作業室にいるであろうヴィオラのもとへと向かう。


「お師匠様!!」

「おや、起きたのかい」


作業室の扉を開いた先には、いつもとなんら様子の変わらないヴィオラがいた。休憩中なのか、お気に入りの宝石を眼鏡をつけて丁寧に磨いているところだった。

そんなヴィオラに対し、リトナはおずおずと、遠慮がちに尋ねる。


「あ、あの……ヒロヤさんは……」

「あぁ、アイツならもう行ったよ。急ぎの用事があってすぐに行かなきゃならないんだとさ」


無論、その急ぎの用事というのはヴィオラには一から十まで占星術で理解しており、ヴィオラ自身に彼を引き止めるだけの材料もなかった。なんなら全てを理解しているヴィオラには彼を引き止めるどんな理由があろうとも、この場に留まらせることはしなかったはずだ。いかにヴィオラの性格が悪かろうと、一度言い包められた相手にもう一度同じことをしようなぞとは思わない。


「そうですか……」


しかし、そんなことを全くもって知りもしないリトナからしたら急ぎの用事がある、という理由があっても心が理解することなんて出来てはいなかった。


そして、そんなことすら理解出来ているヴィオラと浩哉は前もって、ある言葉をヴィオラに託しておいた。


「まぁまぁ、話は最後まで聞け、アイツからお前のために伝言を残してあるんだ。『いつになるかはまだ未定だからなんとも言えないが、必ず帰ってくる』……だとよ」


その言葉を聞いた時、リトナの心に木漏れ日が差し込んだ。


「そ、……そう、ですか」

「因みに!だ。この言葉はアイツは裏切らないぞ。なんならそれほど時間はかからない。これはアタシの占星術が証明してるからな。って聞いてないね、こりゃ」

「……ふふっ」


帰ってくる。

その言葉を聞けただけで、今のリトナには十分過ぎるものだった。

「次いつ会えるかどうかすらも分からない」、と「いつかは分からないが必ず会える」。その二つには天と地ほどの差がある。


ニヤける頬を隠そうとも、抑えようともしないリトナの心には次の浩哉との再開を焦がれている乙女の思いが満たしていた。









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