第8話 鋼の英雄
僕が生まれたのは一つの暗い洞窟の中だった。
その時から僕の身体は他の皆の綺麗な水色とはお世辞にも言えなくて、身体も変形することができないほど硬かった。
だからといって、皆は僕を差別するようなこともしなかった。寧ろ僕を積極的に集団の輪の中に入れようとしていた。
その時の僕は周りと違うことをある種のコンプレックスのように感じていて、それが原因でどれだけ遊びに誘われても頑なに行こうとしなかった。
そんな状態が、数十年は続いた。
その間にも、僕という存在は『スライム』という種族の中でもかなり異端である存在だということを知った。
それと同時に、ならどうしてこんな僕なんかと仲良くなりたがるのか。
そうして長い時間そんなことについて考えた結果、しっくり当てはまる理由を思い浮かんだ。
彼らは力が欲しいのだ。弱い自分たちを守ってくれるような存在が。そういう意味では、弱い自分たちを仇なせる力が身近にあるのは恐怖でしかないだろう。だからこそ、僕らのような存在はスライムからは異端と称されていたのだ。
そこから、また数十年が過ぎた。
スライムはこの広い洞窟を支配せしめるだけの数にまで発展し、洞窟の外に生きる生物からは《スライムの洞窟》なんて名前もついているらしい。それは洞窟外を探索しているスライムからの情報だ。
その頃になってくると、僕と同じくらいの年に生まれたスライムはとうに寿命を迎えていて、一匹、また一匹と亡くなっていき、そして遂にはその洞窟の中の最年長とされるスライムはこの僕になった。
それでも僕に対しての対応は変わらなかった。
異端扱いではない。どれだけ世代が変わっても、僕のことを恐れる様子も微塵もなくまるで友達と接するかのように話しかけていた。
ここまでされていた僕は、流石に考えを改めることにした。
だが、どれだけ考えても僕を仲良くする別の理由がどうしても思い浮かばなかった。
どうしても分からなかった僕は遂に、話しかけそして尋ねることにした。
『……ねぇ、なんで君たちは僕のことを怖がらないんだい?』
最初、そう問われていたスライムはまず僕が話したこと自体に驚いたらしく、何度も大きく飛び跳ねたのち、ピタリと止まって僕の質問に返答した。
『なんでー?』
『なんでって……僕は君たちとは違うんだよ。僕は君たちを傷つけるほどの力を持っている。それは見たら分かることだろう?』
その言葉を聞いた一匹のスライムは、長い時間をかけて、ジッと考え続けた後にこう言った。
『いってることむずかしー!わかんなーい!』
嬉々として笑いながらそう言うと、どこかに飛び跳ねながらどこかに行ってしまった。
僕は思わず、その小さな背中を呆然と眺めていた。
……どうやら、この洞窟の中は僕が思うよりも単純なものだったらしい。
そこからは僕がスライムたちに完全に溶け込むのにそう時間はかからなかった。
仲良くしたい―――彼らのそんな想いに全くもって裏表がないということに気がついたのが大きな要因の一つだが、それ以上に、僕が彼らのことをとても愛着があるものだと感じ始めたからだ。
しかし、それと同時に僕の心の中には、彼らは『庇護対象』という揺るがない想いが生まれてしまった。
それ故に、仲良くなることは出来ても、僕と彼らとでは対等な関係には絶対になることができないのだと僕は悟った。
洞窟の外の世界では、そういった表現を「友達」や「親友」、もしくは「好敵手」なんて呼ぶこともあるらしいが、長く生き、そしてあらゆることを知っているからこそ、僕と彼らとの関係が決してそうなることがないということも理解してしまったのだ。
ある時、僕らが住んでいるこの洞窟にある人間の集団が武装して入ってきたことがあった。
彼らは人間の中でも、所謂「初心者」と評される枠組みに分類されるほどでしかない実力だったが、僕らスライムは生物の中でも最弱と言われているので、普通のスライムでは彼らに勝てる道理もなかった。
普通ならば―――
スライムという生物自体が、五感を持ち合わせていないのだが、彼らの命尽き果てる直前の叫び声は今でもハッキリと思い出せる。
結果的に、僕という異質な存在がスライムたちを救うことに繋がったが、それをキッカケに今まで一度も変わらなかったことが、そこで大きく変化した。
スライムたちの態度だ。
どういうわけか、スライムたちは僕のことを「仲良くなりたいと思う存在」から「崇拝」の対象に変えたらしい。
そこで初めてスライムたちは僕のことを『異質』のように扱った。
……不思議なものだ。僕はこんなにも長い時間をかけてスライムたち同胞のことを知ろうとしていたのに、知らないことがまだある。
と、思考したところで、ある一つの可能性を僕は知る。
『もしかして彼らと僕は全く違う存在なのではないのか?』
そう考えたら、遂に僕は吹っ切れた。
違うのなら、『異端』扱いは当たり前だろう。だって根本的に違うもの。
昔、僕が尋ねた彼のように、『分からない』の一言で済ましてみても良いのかもしれない。だってこの中では思ったよりものは単純なのだから……。
そこからの生はとても静かだった。
誰からも話しかけられることもない、意味のない時間が過ぎるだけの日々が幕を開けた。
生きて、生きて、生きて―――
生きて……僕は生き続けた。
生きるために、意識も段々と途切れ途切れになり、もとより話しかけられることもないため、自発的にしか意識を取り戻すことしかなくなった。
その間隔も日々が過ぎるに連れて徐々に長くなっていき……いつしか生きているのか死んでいるのかの境目も僕は分からなくなった。
だが僕は知ろうとしなかった。
分からないは分からないで、それでいい―――
ある日、僕は目が覚めた。
それは初めてこの僕に外からの小さな衝撃が加わったからだ。
意識をその衝撃が伝わった部分へ向ける。するとそこには驚きの光景が広がっていた。
スライムが毒されていたのだ。
あんなにも綺麗な色を持ち、見惚れるほどの美しい曲線を持つ彼らの身体は見る影もないほどに崩れ去り、彼らの自意識も消失しているようだった。
その瞬間、僕は察してしまった。
『あぁ、僕は彼らを守れなかったのか』
僕の身体の地面との接触点を取り囲むように群がるかつての同胞を憐憫の感情を抱く。ただ、そこに謎の違和感を僕は感じ取った。
『この子たちの意識は僕に向いていない?寧ろ、外……』
外というのは洞窟の外、つまり太陽差し込み緑あふれる光の世界。
その外を、彼らは一心不乱に目指している。意思なきその身体は真っ先にその光の世界に飛び出そうとしている。
気になった僕は彼らについていくことにした。
外に繋がる出入り口は元々僕がいた場所とはそれほど離れておらず、陽の光を浴びるのにそれほど時間は要さなかった。
そこで、僕は驚きの現象を目にした。
人間が僕の元同胞を殺し続けているのだ。
そこに、僕の元同胞は永遠に突っ込んでいった。なんの本能が彼らをそうさせているのか。その時はそんなものは僕にとって全くもってどうでもいいことでしかなかった。
僕の意識はずっと彼に向いていた。
長い得物を持ち、それを力のままに振るってスライムを切り続けるその様は僕にはとても輝いて見えた。
そうやってその輝く様をぼうっと見続けていると、唐突に僕の身体に今まで一度も体験したことが無いような強い衝撃が僕を襲った。幸いにも僕の頑丈なこの身体に傷がつくなんてこともなかったが、その代わりに得も言えぬ感覚が僕の中を満たした。
その日はそれをキッカケにして彼は急ぐように帰っていってしまったが、そんな彼に興味を持った僕は、毎日彼が洞窟の前に現れるたびにスライムたちに流されるようにして一緒に向かっていった。
彼は毎日姿を見せる僕に意識はしているものの、攻撃してくる様子は一切なかった。
そんな日が続いていると、膨大な量で洞窟を埋めていたスライムたちは目に見えて少なくなっていき、そしていつしかその数は僕を除いて一匹もいなくなった。
そのことに対して、特に悲しいとかは思わなかった。
寧ろ、それよりも僕の感情は彼についての興味でいっぱいだった。
明日は、彼が来るよりも前に来てみよう。そしてもし彼が僕に攻撃を仕掛けてきたら、僕も全力でそれに答えよう。
そしてついに、その戦いは火蓋を切った。
最初は、それこそ互いに明確な決定打に欠け膠着した状態が長く続いていたが、暫くしていきなり彼の動きが鈍り始めた。
これが、人間の限界なのだろう。
勿論僕は前日に意思表示した通り、最初から全力で彼と戦っていた。それでもなお、僕と彼との戦いは熾烈を極めたのだから彼の実力は、以前見た人間よりもそうとう上なのだと思う。
容赦のない攻撃がとうとう彼に直撃する。
すると、僕は激しく驚いた。衝突した瞬間、酷く彼は軽かったのだ。僕のように特別硬い身体を持つわけでもなく、速い攻撃を出せるわけでもない。これは先の戦闘で直に感じ取った。
こんな彼が、この僕と対等に―――
そう思った時には、僕は既に瀕死の彼を覆っていた。
そしてまるでそうすることが当たり前かのように、そのボロボロになった彼の身体を治す。
……そうだ、僕は感動したのだ。
初めて会った僕と対等な存在が、昔同胞を殺しつくそうとした存在と同じ『人間』だということに。
その時、僕は生まれてから今までずっと乾き続けてた喉がようやく潤ったような錯覚に陥った。今まで味わったことのない、心の中が満たされていくこの充実感。
初めて、僕は救われた。
そう、思ったのだ。
そしてそんな彼は僕にこう言う。
熾烈な戦いを通して俺たちは友になれたのだろうか?
あぁ、なれたさ。
だってこんなにも僕の心が満たされているのだから―――
「……そうか、お前は……」
ずっと孤独で、たった一人だったんだな。
《
木々の間からちらほら見える、群青色の画用紙に散らばった砂のような星は、その日は俺の目にはいつもとは違って見えた。
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