第7話 友達
今俺のいる場所からあのメタルスライムまで推定30メートル。
……今なら十分引き返せるだろう。
ここで一旦引き返して明日になってスライムを再度湧いているかを確認すればよい。
そしてそれを倒してレベルアップ。
そんでここをさっさと離れて櫂と再会。
……だが、不思議と俺の中にそんな考えは欠片もなかった。
「今朝手に入れた職業が過剰な自信を与えてんだろうな」
ボソリとその考えに至った要因を呟く。
自分でもおかしいと思う。今まで生きるために全てを注いでいた俺が命を賭けるような真似をするなんて。今まで雑魚ばかり倒して経験値を稼いでいた俺が、だ。
ソロでのボスモンスターとの戦いなんて馬鹿げている。今すぐにでもやめろ。俺の心の中ではそういった叫びで満ちている。
ただ、ほんの僅かな、ゲーマーの俺がこう囁いているのだ。
どれだけ大声を出して遮ろうとも俺の心は確実にその言葉を捉え、そして唆されていく。
これが確実に負けるような相手だったらどれほど良かったか。
ただ、俺は前回アイツの攻撃を受けている。そしてそれを避けてしまったのだ。
言い方を変えればアイツの攻撃は俺は避けられてしまうのだ。
だからお前はアイツに勝てる可能性がある。命を失う可能性もない。
……自分の中の悪魔を否定したい。
アイツには勝てない。戦う意味がない、って。
しかし、戦うための言い訳が次々に生まれてしまう。
そうして葛藤しているうちに、俺は気づいてしまった。
「(アイツと戦っても、死ななければ良いんじゃないか?)」
死ぬリスクがあるからこんなにも悩んでいるというのに、「死ななければいい」という単純な言い訳に俺は納得しそうになっていることに。それも心の底から。
「(そうだ、死ななければ……。最終的に死ななければいいのだ。……危なくなったら逃げよう)」
結局、俺はあのメタルスライムとの戦いを拒むことはしなかった。
それどころかどこか嬉々としてその戦いに望んでいてしまっている。
「……っ」
ふと口を片手で覆ってみると、口角が上がっているのを今更に知った。
あまりにも違和感なく笑っていたので、昨日までの俺はどこに行ってしまったのかと思うほどだが、今の俺は「生きたがり」の俺ではなく、ただ一人の「ゲーマー」の俺なのだと解釈した。
その間も、俺はそのメタルスライムの前まで歩く。
攻撃は、ない。
「なぁ、アンタは一体何を思いながら同胞への殺戮を眺めてたんだ?何を思ってお前はそこに居続けた?……反応なしか」
そのメタルスライムとの距離が10メートルを切ったところで、俺は足を止めておもむろにステータス画面を開く。
「
そこで俺は言葉を切り、ステータスを閉じて腰にあるサバイバルナイフを手にとって切っ先をメタルスライムの中心部分へと向ける。
「……行くぞ《
その言葉を皮切りに、俺のナイフとメタルスライムの鋼鉄の身体は火花を散らしながら接触した。
「くっ……!!」
真正面からの転がりによる突進攻撃。それを全力で横に躱して木に突っ込んだところで三回切る!
予備動作からそう予測したのち、俺は身体の全ての力を利用してナイフを前に投げながら全力で横に投げ出す。
その瞬間、転がりながらも元々俺がいた場所にその鋼鉄の巨体がそこに転がり込んでいくのを感じた。
そして刹那、バキィ!!という乾いた音が耳をつんざく。
その音を聞いた俺はすぐに両手を使って身体の向きをスライムの方へと向けて、事前に予測して投げておいたナイフを拾う。身体がもう既に重いが、無理矢理鞭打って腿に力を入れて跳ね上がるようにスライムのもとへと向かう。
「……っ!さんっっっかい!!よし!」
キィン!という凛とした三回辺りに鳴り響くのと同時に、その巨体はまたもや動き始める。
その瞬間、脳内にあるアナウンスが響いてくる。
【《
「クソっ!!まだ半分か!それだけ有効打が出ていないってことだよ……なっ!!」
自分の実力のなさに文句をたれながら、怒りによる追加の一発をお見舞いする。
おっ!55%今のは中々に良かったってことか!っと危ねぇ!!
近くにいた時間が長かったせいで、スライムの体表からとある攻撃の予備動作が起こる。俺がそれを察知し、急いで離れたところで……
音もなく無数の針がスライムの身体から飛び出してきた。
「はぁ、はぁ……、……針ってか何だっけあの形状……あぁそうだ、ゲームでよく見るランスの先っちょだ。ハハ、アレが当たったらまず助からねぇよな。……はぁ、なんで戦ってんだろう、なっ!!」
これで何度目かも判らない後悔をしながらも、ナイフで切り続ける手は止めない。
……ただ、人間という生き物に限らず、生物そのものは元来限界が設定されている生物らしく、なおかつ今の俺はほぼほぼ全力に近いスピードとナイフが折れない程度のそこそこの力で腕を振っていたため、先程の《
ただ、その間の時間は無限とも思わせるほどに、長く、そして濃密なものだった。
動く度に効率が増していく。どうすれば避けられるのかが直感的に理解り始める。
その時間が楽しいとも思える。
ただ、楽しい時間というものの終わりは決まって切ないもので、
そしていきなりだ。
「(あぁ……足が動かん。というかもう気合を声に出すことすらしんどいほど体力ない。てかもうこうやって思考することすら疲労を感じる。脳に酸素行き届いてないんだろうな)」
サバイバルナイフほどの重さですら、今の疲労が限界に達している俺には果てしなく重いものに感じる。
「(一度、肺に酸素を……)」
半分の意識は目の前のスライムに向けつつも、もう半分は肺を収縮させるための横隔膜に意識を…………と、
不意に、視界が何も見えないほどに白くぼやけた。
「(……………………しまっ……!)」
しかし、疲れ切っていた俺にはそんなイレギュラーなことすら反応に遅れてしまう。そしてそんな不運に畳み掛けるようにして、スライムが行動を開始し始める。
避けなければ。
そう思いつつも、足に力が入らない。
どうして?
そんな疑問が頭の中で埋め尽くされるが、埋め尽くされてしまったが故に、すぐ眼前に迫っていたスライムの対処すらもまともに行えなかった。
鋼鉄の身体が俺の視界を支配する。
そしてそんな認識からコンマにも満たない感覚で俺の神経にも少なくない衝撃が伝わった。
ナイフを持っていない方の手を反射的に防御のために身体の前に置いたものの、身体そのものへの痛みは完全に対処できたわけではなく、寧ろその衝撃を腕一本をワンクッションにしたせいで、もうその腕は使い物にならなくなることを直感的に理解した。
身体が真後ろに吹き飛ばされる。
その着地地点に木や石がなかったのは不幸中の幸いとも言えるが、行動不能になってしまった俺からしたらそんな小さなことは幸運のうちに入らなかった。
「……っ……っ!!」
直撃から数秒後、土や草の上に投げ出された俺の口からは叫びにもならない声が出ていた。
うずくまって全身から無限に湧き出てくる痛みを耐える。
ただその瞬間、
【観測者による理解度が100%を達成しました。これから目標の情報の共有を行います】
―――おせぇよ。
はっきりと、心の中でそう吐き捨てたのち、情報の共有が始まる。情報の共有、というだけあって、その職業は目の前のスライムの正体や弱点、どうすれば勝てるかの、100%勝てるだけの情報が脳の中を満たしていく。
あぁなるほど、簡単じゃないか。あんな死にものぐるいで立ち回る必要なんてなかったじゃないか。こんな武器だって、この情報通りなら無くてもこれ勝てたのか……。
この情報を手にしたところで、特に、悔しいとか、そういった感情は俺の中にはない。できるだけの手を打って、全力を出して、そして今持ちうる限りを尽くしてアイツと戦って、……そして負けた。今別に勝てる方法を授けられたからと言って、過去の俺にその勝ち筋を望むのならそれはただのないものねだりにしか過ぎない。
今考えても、こういう負け方と何も起きない平穏な生活とを天秤にかけたら俺は後者を選択する。
……ただ、今のところこの選択に後悔はないな。
痛む身体に鞭打って、うつ伏せだった身体を仰向けに直す。
「あ―――、空が綺麗だな」
まだ太陽は頂点まで登り切っていないので、斜めから差し込んだ太陽の光がちょうどいい具合に辺りを木漏れ日として明るくする。
こんな太陽の元で死ぬのなら俺も良い養分に成れそうだ。
なんてことを思っていると、ヌッと俺を覆う影がどこからともなく現れた。
「……俺にとどめを刺したらそこどけよ。それと死体どかすなよ。……なんだかこうやって死闘を繰り広げたのに……、毎日会ってたからか変な愛着湧いてんなー」
一応、まだ片手を動かすくらいの力はあるので、どかされそうになったら全力で草を掴んでやろうかな。
などと思っていると、そのスライムはいきなり俺を覆い始めてきた。
なんだ?俺は土の養分じゃなくてコイツの養分になるのか?
段々と、視界が緑色ではなくスライムの構成部分である鈍色の肉体に染まる。
それと同時に、徐々に意識が現実と乖離して―――
俺はコイツの養分になる。
唐突にそう思った。だが同時にこうも思ったのだ。
―――それも悪くはないのかな。
不思議とそれが悪いことのように感じられなかったのはスライムに向ける感情が変わってきたからか。以前まではただの討伐対象としかみていなかったのだが、俺のスライムに向ける感情は、どちらかと言えば櫂に向ける想いに近い。
いうなれば……友。
後悔がないのも、友に殺されたのなら深い後悔も……ない。
昨日の敵は今日の友などというが、熾烈な戦いを通して俺たちは友になれたのだろうか?
『友……か。良い言葉だね』
ふと……声が聞こえる……気がした。
『僕は君に救われたんだ。だから次は僕が君を救う番』
救う?俺は生涯そんな誰かを救うような殊勝な人生は送ってきてない。
『だけど君は僕を救ってくれた。だから僕は君の友として君を救うんだ』
…………
『気を失っちゃったか。……君は毎日こちらに来てくれて悪魔のような因子に巣食われた配下の皆を助けてくれた。多分、殺されちゃった皆も君に感謝している』
スライムは己の命である核を彼の手の中に覆わせて、そして砕かせる。
『僕が歩んできた道は決して短くない。だからその道の最後に会った人間が君で本当に良かった。……君の人生に幸あらんことを』
スライムの意識も消えていく。
そのスライムが最後に思ったのは紛れもない彼への感謝だった。
昨日の敵は今日の友。
浩哉はそう思っていたようだったが、実はスライムの方は一番最初に彼に会った時点で彼のことを友だと認識していた。
ダンジョンによる「ダンジョンを脅かす者の排除」。それに当てはまらなかったことも要因の一つに入るが、彼を攻撃せず最初から最後の方まで傍観を貫き通したのはスライム自信の確固たる意識によるものだ。
そうして、鋼鉄のスライムの身体は灰色の粒子となって消えていく。
そこに残されたのは、たった一人の青年と、その右手の中指に収められた鈍色に輝く一つの指輪だった。
【絶級ダンジョン《鋼の
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