第3話


 ◇ ◇ ◇ 二〇五二年 六月 二五日 午後四時 四〇分


「密室強盗事件の写真はコレで終わり。また何かあったら呼んでくれ」

「ハジメちゃんもお疲れ様。また頼むよぉ」

 男が扉を閉めて去っていき、部屋には一組の男女が取り残される。

 彼らが居座る部屋はカジュアルな内装で、今時なデザインだ。

 パツパツに詰まった綿入りソファに、ガラステーブル。

 壁際のラックにはフィギュアが並び、オタク趣味ながら渋い雰囲気を放っている。

 二人はソファに座りながら、消えていった背中を話題にお茶を飲む。

「いやぁ、持つべきモノは断わらない下請けだねぇ」

「所長ぉ。また雑貨さんが断わらないからって、危ない仕事お願いしたの?」

 男はこの探偵事務所の主。中年情報屋のマスオ。

 トレンドマークはざっくり切った髪と革ジャン。そんな男である

 対して彼に文句を垂れるのは、銀行ウーマンを思わせる制服姿の二十代事務員。

 文句の対象は、マスオが漁る封筒内の写真束だった。

「俺よりハジメちゃんの方が、良い仕事してくれるだろ?」

「探偵事務所がゴーストライターなんて、良いんですか?」

 事務員が怒っている理由は単純明快。

 依頼人から事務所が受けた仕事を、雑貨・ハジメと名乗る男に丸投げしてる点だ。

 その上で、依頼料の三割しか彼には渡っていない点も付け足される。

 だがマスオは悪びれない。封筒を開いて写真を見た。

「良いんだよ。依頼人に伝わるのは真実のみで」

「それで本当の理由は?」

 事務員が呆れた顔でお茶を啜る。既に諦めていた。

 マスオも写真束から事務員に視線を向けると、口角をあげる。

 皮肉気にも何かを諦めた様にも見える、スれた大人の笑みだ。

「俺も四十代だから、寒空の下でカメラ構えるの辛いのよ」

 事務員はマスオの言葉に顔を赤くして怒るが、マスオは笑って相手にしない。

 暫く二人は言い合うが、不意に事務員が閉じられた扉に呟く。

「雑貨さんを雇えば良いのに。愛想尽かされても仕方ないですよぉ?」

「あぁ~ダメダメ、認めません。俺も死にたくないの」

「えぇ~? 雇ってあげられる程、探偵業が儲からないから?」

 「違ぇよ」と呆れるマスオが周囲を見渡した後で、小声でボソボソと呟く。

 事務員の女性も耳を近づけて、マスオの呟きを聞く姿勢に入る。

「ハジメちゃん。実は戸籍ないんだよ」

「へぁっ!?」

 事務員はまさかの事実に、思わず仰け反って驚く。

 冗談と断ずるにはマスオの声音は真剣だった。

 とはいえ一般人にとって、戸籍がないなんてドラマの世界だ。

 事務員の不可解そうな表情に、マスオは真相を明かす。

「アイツは三年前に国のヤバイ所と揉めて、戸籍が消されたんだって」

 戸籍が無ければ正規雇用は出来ない。

 事務員は不安そうに、ハジメが座っていたソファを見た。

 マスオは怯える彼女に笑いかけると、力強く心配ないと告げる。

「そんなにビビらなくて大丈夫だよぉ。そこは保証したげる」

「大丈夫って……間違いじゃないの? ハジメさんは良い人だよ」

 事務員の表情は複雑だ。恐怖が半分。有情が半分。

 国の暗部に触れてしまった事への恐怖。

 親しい友人の冷遇に対する不快感。

 だがマスオは彼女の人違い説を否定すると、指を立てて忠告した。

「良いかい。ゴシップを扱う仕事に就くなら、大事な事がある」

「警察に逆らうな、怪奇現象を調べるな、余計な事はするなでしょ」

 事務員が投げやりにお茶を汲むと、マスオは湯飲みを受け取った。

 彼は黙ってしまい、事務員も溜息を吐いて一般業務に戻る。

 だが彼女の表情は晴れず、書類に向き合いながら不満を漏らす。

「雑貨さん良い人なのに……」

「良い事をする良い人が報われるとは、限らないさ」


 ◇ ◇ ◇ 二〇五二年 六月 二五日 午後四時 四二分


 俺こと雑貨・一はマスオ探偵事務所ビルを出ると、空を見上げた。

 ビルの塗装は剥げ、腐食も多い雑貨ビルだが周囲も似た様なビルばかり。

 これでも日本の首都TOKYOである。スラムの一歩手前だが……。

「聞こえてるっての……俺だって頑張ってるんだ」

 手触りの悪いドアノブから手を離し、蒸し暑い陽射しの通りを歩く。

 入り組んだ通りは汚らしいゴミが転がり、隣の通りからは悲鳴も聞こえる。

 一つ外れればスラムだから仕方ない。俺の歩く道はまだマシな筈だ。

 そのまま暫く歩き、帰路行きのバス停の列に加わった。

「えェ~~、嘘ぉ」「本当、本当。先輩に告白されてさぁ」

「ッチ」「んもぉ、何処に居るのかしら?」

 塾帰りの女子中学生らしき二人。

 イラついて腕時計を眺める、スーツ姿の会社員。

 パーカーのフードを被り、金髪が見え隠れするスタイルの良い女性。

 パート帰りか、買物帰りか。携帯で電話中のおばさん。

『ブラック、ブラックゴートカンパニ~。貴方の生活お守りするホワイト~』

 バスを待っていると、大企業の宣伝車が夕暮れの時間を騒々しく彩る。

 女子中学生達が宣伝を聞いて、CMとか公務員がどうと話し込んでいた。

「大企業に仕えても、碌な事にならないけどね」

 俺は過去を思い出して、負け惜しみを呟く。

 それが良くなかった。お天道様は悪口を言う奴を許さなかったのだ。

「居た居た。ハジメさん!! こっち来たなら、顔見せなさいよ!!」

「んぉっ!? ぁ、あーっ! すみません、大家さん」

 俺はバスに並んでいたおばさんに声をかけられ、思わず仰け反ってしまう。

 彼女は紫パーマに豹柄ワンピースを着た我が家の大家だ。

 俺が思わず冷や汗をかくと、彼女は化粧を塗りたくった顔に笑みを浮かべた。

「あらぁ、お金入ったの?」

 彼女の目的は分かっている。滞納している家賃を支払えというのだ。

 俺だって好きで家賃を滞納している訳ではないから異論はない。

「え、えぇ……まぁ」

「それなら先月分も、纏めて払って貰えるわよねぇ?」

 大家は子供に言い聞かせる様、赤ちゃん言葉で命令する。

 俺は逆らえない。戸籍がなくても家を貸してくれるのはこの人だけだ。

 社会道徳的にも家賃を滞納者に、味方してくれる人は居ない。

 俺は周囲から怪しい目で見られつつ、頭を下げて謝った。

「先月分は支払いますんで。今月分はっ!」

「先月支払わなかった人が、今月は支払うって信じられるぅ?」

 大家さんが分厚い紅の唇を、にっこり歪めて手を出す。

 俺は不気味な笑みと脂ぎった喋り方に、頬が痙攣させた。

 一歩下がると、大家が一歩詰めるから逃げる事も出来ない。

 遂にはビルの壁まで、追い詰められてしまった。

「お、か、ね。だぁしてぇ~?」

 俺は顔を俯かせ、マスオさんから受け取った封筒を差し出す。

 大家さんは封筒をひったくると、中身の札束を数え……。

「はい、八万四〇〇〇〇円貰うわねぇ。毎月こうだと嬉しいんだけど?」

「あーいや、ははははは」

 残り一万六〇〇〇〇円が、俺の元へ帰ってきた。

 これでは食費代もケチる必要がある。ビール缶なんて夢のまた夢だ。

 大家は俺の心境なんて気にも止めず、スキップで立ち去って行く。

 俺に別れを告げる事はない。まぁされても困るだけだけども。

「はぁぁ……何てクソだよ」

 俺が肩を下ろして空を仰ぐと、空はどんよりと曇っていた。

 お天道様は見てない様だが、視線を感じて振り向く。

「あっ、すみません」

「えっ、え……いやぁ、そのぉ」

 パーカーを着た女性が、俺の顔をまじまじと見あげていた。

 俺は恥ずかしくてお辞儀をすると、彼女もバツが悪そうに目を逸らす。

 互いに気まずい沈黙の帳が降りた。

 暫くして背後の通りから、バスが排気ガスを吐き出してやって来る。

『こちら東京公益バス。お乗り出来ます。シートベルトを……』

 バスの扉が開き、俺達と乗客達が乗り込むと車体は走りだす。

 生憎。乗客が多くて相席になったが、パーカーの子と相席になった。

 俺は気まずくて、冷たい窓に頭を預けて黙りこくる。

 静かな時間が過ぎる中、不意に声がかけられた。

「ねぇアンタ。アタシと会った事無い?」

「……」

「ねぇ、アナタよ。ア・ナ・タ」

「ぁっ、俺っ!?」

 話かけてきたのは、パーカーを着た女性……ギリギリ未成年だろう少女だ。

 日本人らしい顔立ちだが、鼻は高く瞳は気が強そうな光を放っている。

 というか良く見たら、この子から血の匂いが漂っていた。

 俺は彼女の顔立ちを見て、暫く考えて首を傾げる。

「俺は雑誌とかTVとは無関係だけど……」

「見れば分かるわよ。ほらっ、仕事とかで会った事ない?」

 ナンパか?とか言ったら滑るから、俺は言わないが心辺りがない。

 眉を揉んで考え込むと、少女の表情は険しくなった。

 覚えてない。そもそも本当に会った事があるだろうか?

「最近は探偵の手伝いだしなぁ。会った事あれば覚えてる筈だけど」

 少女は俺の腑抜けた解答に、眉を顰めて睨む。

 数秒が経つとその唇から溜息が漏れ、安堵の笑みを浮かべた。

「それなら良いけど。ねぇ、アナタ……」

 少女が俺に何かを問いかけた瞬間。

 突然、彼女が立ち上がって俺に覆い被さる!

「伏せてっ!」

「ちょっ、当たっ!」

 彼女の綺麗な顔が視界を覆い、同時に大地震がバスを襲う!

 老若男女の悲鳴。金属がひしゃげる鈍い音。

 むせ返る排気ガスの匂いが、彼女から漂う鉄錆の匂いを塗り潰す。

 柔らかな少女の体は、強烈な揺れを補完する以外の意味はなく……。

 俺達が乗っていたバスは横転した。

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