第2話
◇ ◇ ◇ 二〇四九年 五月 一六日 午後三時 四七分
世界は忍者に支配されている。
織田信長が天下を取れたのは、信長が忍者だから。
豊臣秀吉が信長に重宝されたのも忍者だから。
徳川家康を影で支えたのも、忍者として名高い服部半蔵だ。
そして現代もまた、世界は裏から忍者に支配されている。
「……ぱい、雑貨先輩!」
「んっ!! はいっ!?」
俺の名前を呼ばれ、読んでいた資料から顔をあげると、鏡に映る自分と目があった。
右目に前髪のかかるセンターパートに、白Yシャツに結ばれた緑色のネクタイ。
ザ・日本人。個性のない黒髪黒目中肉中背のサラリーマンの姿だ。
「雑貨先輩、もう三時ですよ。昼飯食った方が……」
「あぁこんな時間か。うっかりしてたよ」
雑貨こと、雑貨・一(ざっか・はじめ)。俺の名前を呼んだ人物に振り返る。
視界に映るのは俺が腰掛ける安物のデスクに、壁際を埋め尽くす本棚塗れの部屋だ。
ここが俺の勤め先、公安調査庁。日本を護る秘密警察組織である。
まぁ俺は裏方である史料編纂室所属の上、契約社員だから立場が低いけども。
「息抜きが大事って言ったのは先輩じゃないスか」
俺の名を呼ぶのは、デスクを挟んで向かい側の席に居る青年だった。
彼は黒柳・楓(くろやなぎ・かえで)。髪をウニの様に逆立てた教育中の新人だ。
「先に休憩してて良かったんだよ?」
俺の暢気な提案に、黒柳君は呆れて鼻を鳴らす。
彼は俺の読んでいた資料を閉じると、俺に人差し指を向ける。
「アンタが休まないと、俺も休めないんスけど?」
確かにその通りだ。黒柳君は生真面目だから、教育係である俺の隣でサボれない。
例え俺が契約社員でしかなく、正社員である彼より立場は下でも。
「悪い悪い。一旦休憩しようか。昼飯は?」
「先にいただいたッス。先輩はいつものか」
俺が机からゼリー状の完全栄養食を取り出すと、黒柳君は嫌な顔をする。
この完全栄養食も一昔前は人気があったのだが、今の若い子はあまり好まない。
職場で食べてるのも、三十代前半から二十代後半ばかりだ。
「休憩時間が消えるのはいつもだからね。何処でも食える飯になるんだよ」
黒柳君にも社畜御用達の、素晴らしさを知って欲しい。
俺はゼリー飲料のキャップを取って、一呼吸で飲み干すと彼に笑いかけた。
「これは飲み干せば一瞬だから、楽で良いんだ」
「えぇ。そんなしてまで何を見て……超忍者事件簿(忍ジン)?」
黒柳君が俺の読んでいたファイルを手に取ると、古ぼけた表紙を確認した。
彼が手に取ったファイルは、日本が調べた忍者達の活動記録である。
その内容は多岐に渡り、近代から戦国時代。果ては白亜紀にまで遡る。
黒柳君は膨大な情報を読み飛ばし、俺が読んでいたページを口に出して読んだ。
「根来宗の忍者達は地下に潜り、十五年前に壊滅。下部組織であるサイ……何スかこれ」
「豊臣秀吉が根来宗を滅ぼした辺りの記録だよ」
根来宗とは戦国時代から現代まで続く仏教宗派だが、正体は傭兵忍者集団だ。
そう、どんな組織も忍者に支配されている。
国のトップも忍者か言いなりで、真実は歴史に記されない。
つまりマル忍ファイルとは、本来の歴史書だと言える。
「先輩が気になる事でも? 下手に触らない方が良いッスよ」
「何処で誰が見てるか分からないから……よしよし、良く覚えてるね」
俺が偉い偉いと黒柳君を褒めると、彼は照れる様に視線を外す。
史料編纂室の仕事とは、国内で起きた忍者事件をなかった事にする裏家業だ。
下手な動きは同僚から疑われる。大人しくしてる事に越した事はない。
俺が黒柳君に教えた事で、だから彼は俺の行いにジト目を向ける。
「だったら終わった忍者事件なんて、調べない方が良いッスよ」
「ハハハっ。ココに入って長いから、危ないラインは見極めてるよ」
俺は黒柳君の視線から目を逸らし、ゼリー飲料のゴミを捨てる。
マル忍ファイルを彼の手から取り戻すと、作業に戻ろうとした。
だが黒柳君が俺を呼んだのは、他に用事があった様だ。
問題は肝心の用事が、俺にとって良くない知らせである事か。
「室長が雑貨さんの事呼んでましたよ。一六時に来いって」
「分かった、すぐに行くよ。渡した資料に問題でもあったかな?」
俺はデスクから立ち上がる。もう二度とこの机に戻れないなんて思わずに
◇ ◇ ◇ 二〇四九年 五月 一六日 午後三時 五十五分
史料編纂室長の執務室は、職員が寿司詰めにされた課室とは打って変わって個室だ。
家具も相応に高価な品物で揃っている。
部屋の中心にはローテーブルとソファが二組。壁際にはファイルと本棚に民芸品の数々。
俺は部屋を見渡して現実逃避を終えると、革ソファに座ったまま間抜け面を浮かべた。
「……今なんと?」
視線の先には、窓際を背にしたデスクに座る人物が居た。
彼こそが部屋の主にして編纂室長。出雲・望(いずも・のぞむ)だ。
「君との契約は本日付けで、終わりだと言ったんだヨ」
室長は太った体を白スーツにノーネクタイで纏めた。丸眼鏡の五十代男性である。
見た目はチャイニーズマフィア然としており、見下ろされると威圧感が凄かった。
「俺、何かしちゃいました?」
俺は愛想笑いを浮かべて、室長にコミュニケーションを計る。
彼は太陽の逆光で影に沈みながら、体に悪い紫煙を吐き出すと立ち上がった。
「いんやァ、よぉく働いてくれてると思うネェ」
「あはは、ありがとうございます。では何でっ!?」
俺が室長を見あげると、彼はクスクス笑う。
だが目だけは笑っていない。その目は底なし沼の如き悍ましさで俺を睨んでいる。
室長はそれでも声音と表情だけは和やかで、口元に笑みさえ浮かべた。
「君が一番、知ってるんじゃないかネ?」
本当に分からない。仕事はこなしてるし俺は真面目な性分だ。
他の役人はいざ知らず、契約社員は甘い蜜なんて吸えない。
「分かって無いかぁ。最近の君は心ここにあらずじゃないかナ?」
俺の心臓が室長の言葉に跳ね上がった。
室長は人の上に立ってるだけあり、俺の動揺を誤魔化す事は出来ない。
「えっ、あぁいや。その」
「正式な職員ならいざ知らず、雇われである身で怠慢だネェ」
俺は目線を逸らすと項垂れて、「気をつけます」と呟いた。
上役である出雲室長にネチネチ言われると、強く言い返せない。
心はブラック労働を繰り返す内に折られている。それに頭が上がらない理由もあった。
出雲室長は首を傾げると、考え込んだ末に俺に問いかける。
「私が路頭に迷っていた君を拾い、仕事を与えたのは何年前ダ?」
「もう十数年になります。あの時はどうも……」
俺の弱みだ。出雲室長に対して恨みもあるが恩もある。
とんでもないパワハラ上司だが、彼のお陰で飯が食えているのだから。
そして思いつく。そんなにコストをかけた俺を簡単に切り捨てるだろうか?
「あぁすまない。勘違いさせてしまったカ」
俺が抱いた僅かな希望。それは出雲室長が釘を刺しに来ただけだと言う事だ。
だが彼の瞳がサディスティックに歪むと、それは勘違いだと気づかされる。
「謝罪は良いんダ。解雇通知は上も了承したからネ」
「えっとその……分かりました。引き継ぎは誰にさせれば?」
俺は半ば現実感がなくし、瞬きをした。
精一杯勤め上げ、教育係を任せられる位には認められた。
それが一瞬で崩れ去り、どうすれば良いか分からないが仕事は仕事である。
「その件だけど実は既に手配しているんダ。入っておいデ~」
室長が乾いた拍手を送ると、一人の青年が入ってきた。
先程まで話してた俺の後輩。黒柳君である。
彼は気まずげに俺から目を逸らし、直立不動で黙っていた。
驚愕する俺を前に、更なる命令が出雲室長から飛んだ。
「教育は済んだと聞いたヨ、最後のお勤めだ。『編纂室』に行きなさい」
「……は? 今なんと?」
俺は本日二度目のアホ面で、室長の命令を確認する。
そもそも『編纂室』とは隠語であり、極めて重大なペナルティだ。
それこそ気まぐれや、事前の準備無しに出される罰ではない。
黒柳君が俺から目線を逸らした事から、前から話は通っていたのだろう。
「無理矢理は悪いだろォ? 私からの慈悲って奴だヨ」
「でもアレは職員限定で……」
俺が憮然とした表情を浮かべると、出雲室長が背後に張り付く。
彼は俺の肩をソーセージじみた掌で叩くと、軽い口調で宣告した。
「君は我が国の忍者ソースを知りすぎタ」
『編纂室』とは忍者事件に関わる死体を廃棄する、極秘裏の死体処理場である。
つまり史料編纂室に関わる人間にとって、『編纂室送り』とは死刑宣告だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます