サラリーシノビは裏切られる

シロクジラ

第1話


 ◇ ◇ ◇ 一九四三年 五月 一六日 




 漆黒の爆撃機が夜空を反射して、穏やかな海上を飛ぶ。


 水平線には炎上する敵国。大日本帝国が見える。


「嫌な夜だ。実家の揺り椅子が恋しい」


 Bー29に乗った米軍パイロット。ウィリアム少尉は潮の匂いに鼻を鳴らす。


 その猛禽じみた鋭い目は、中年を超えても健在だ。


 操縦席は桿の軋む音だけが支配していたが、暫くして通信が入る。


 ウィリアム少尉が通信を聞くと、僚機である伍長の声が聞こえた。


「楽なものですな。上を取れば、奴らはどうしようもない」


「お前はそう思うか?」


 ウィリアム少尉の声は沈痛さを帯びていたが、伍長はその逆。


 安いBARで軽口を叩く程度の軽さだった。


「HAHAHAッ! 本土だってのに、碌な対空兵器もないんですぜ?」


 ウィリアム少尉は騒がしい同僚に、何も言い返さず溜息を吐く。


 ただ鉄椅子の尻が潰れる感触に、座り心地悪そうにするだけだ。


 だがアメリカソウルに反する行いを、生粋の米人なら放っておけない。


「HEY、少尉殿。あの噂を聞いて、ビビっているのかい?」


 伍長のからかいに、ウィリアム少尉は眉を顰める。


 堅物のウィリアム少尉と、軽薄な伍長の意見は違かった。


「お前は信じてなさそうだな?」


「あんな敵国のプロパガンダ、誰も受け取らないよ。勝つのは我が国さ」


 ウィリアム少尉も彼の意見は否定しない。アメリカは世界大戦に勝つ。


 少尉達はその為に、敵国めがけて爆撃しているのだ。


 先行中の部隊もいる。何度も爆撃している。だが楽観はできない。


 それは伍長も囃したてる、ある噂に基づく判断だった。


「お前達は知らないのか? 奴らの首都。TOKYOの噂を」


「OHH……グレムリンの噂ぁ? 航空隊が誰も帰って来なかった噂だろ?」


 戦場では良く有る噂だ。戦死者が多く出る場所には死神が住むのだと。


 空軍ならば「グレムリン」、悪霊の仕業だと言われるのが常だった。


 だが少尉は真剣も真剣。軍事機密を話す様に声音を下げる。


「俺のママが言ってたんだが」


 「は?」通信から伍長の間抜けな声が響く。


 だが少尉は大真面目に、水平線に並ぶ島国を睨んだ。


「ママは勘が良くてな。家を出る時に言ったのさ。行かないでくれって」


「おいおい。ママの名前を出す時は戦死する時だけだぜ?」


 軍隊規律マーシャル・ジンクスに反する行いに、伍長の声音も真剣味を帯びる。


 家族の名前は出さない。日本ならば縁起と呼ばれる戦場の鉄則だ。


 伍長も命を賭ける仕事だけあって縁起にはうるさい。


 だが少尉は謝るでもなく、更なる確証を話す。


「本当だぜ。俺のダディが死んだ時だって、ママは止めたんだ」


 少尉の警告を聞いた爆撃部隊一同は、海上の湿気よりも重い緊張感で張り詰める。


 次の瞬間、通信先から大笑いが無数に響いた。


「HIHIHAッ!! イエローモンキーが竹槍で襲ってくるって!?」


「少尉殿は疲れてらっしゃる! 帰ったら一発打って、シャキっとして貰わないと」


 笑い声は暫く続き、酸欠になりそうな奴も居た。


 ウィリアム少尉は飛行帽を深々と被ると、部下達に餌を与えた事を後悔する。


 同時に爆撃機が、本土まで近づいていた。


「そうだな、奴らに何が出来る筈も無い」


 ウィリアム少尉はうわごとの様に呟くと、任務の始まりを待った。


 仲間達も静まり、誰もが本部が発する爆撃開始の命令を待っている。


「……待て、おかしくないか?」


 ウィリアム少尉は炎上する大都市を見て、眉を顰めると周囲に目を走らせた。


 地上では戦場の煤と硫黄の匂いが上空まで舞い上がり、建物は崩壊中。


 いつもの爆撃後の光景。だが違和感があった。


「先行組はどこに行った?」


 瞬間。空を断つ光が奔り、一拍遅れて雷鳴が大気に唸る!


 雷鳴が金属が溶ける音だと気づいたのは、隣を飛ぶ爆撃機の首が落ちた時だ。


「ぁ”っ、ぁ”あ”あ”っ!!」


「ダック1!、ダック1!! 何が起きたっ!!」


 兵器で殺されたには、泥臭い悲鳴が通信越しに響いた。


 続いて爆音と衝撃のハウリングが、操縦席のガラスを叩く。


 アラームが響き渡り、カン高い悲鳴をあげて許しを請う。


 悲鳴は少尉の後方を飛んでいた伍長からの緊急通信だった。


「助けてぇっ、少尉!! 窓にっ、窓に!!」


「馬鹿者、落ち着け!! 新兵器か、すぐ上空に避難を……」


 ウィリアム少尉は伍長を宥めるが、言葉は続かない。


 爆撃機を大きな衝撃が襲い、視界と体幹が揺さぶられる。


 揺れが収まった時、眼前にはねじ切られた跡の残る僚機の姿があった。


「違ゥッ、ぁあ”あ”化物がぁっ!?」


 少尉は鉄椅子の冷たさに背筋まで怖気が走り、直感的に振り返った。


 後部座席に積まれた通信装置を乱暴に立ち上げ、即座に本部に繋ぐ。


「HQ、HQッ、本部へ。作戦行動に問題が発生!! 一時帰還する!!」


「本部よりウィリアム少尉へ。何があった? 報告せよ」


 本部との電波は、作戦行動中だけあり即座に繋がった。


 だが本部は何も知らない。暢気に報告を求めている。


 ウィリアム少尉は舌打ちを弾くと、怒鳴りつけようと息を吸う。


 だが彼は、墜落する僚機に立つ人影に目を奪われてしまった。


「何がって……OH」


「どうした? 何が見える。少尉、少尉っ!!」


 航空隊のパイロットは超人的視力を持つ。少尉は見間違いであれと神に祈った。


 ソレが纏うのは、KIMONOとアジアの土人が呼ぶ民族衣装。


 ソレが握るのは、炎の煌めきを反射させる、世界一美しき軍刀。


 ソレの被るのは、藁で出来た傘を帽子の如く加工した、藁葺き笠。


「NINJA」


 数秒後。鉄の鳩は燃える大空で駆除される。


 歴史にも軍記にも記されざる、闇の者達によって。




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