第04話 壁から伸びた指
真に理解のおよばない体験をしたことがある。
合理的な説明だとか、科学的な説明だとか、あるいは霊的な説明がつくのなら話は早い。だが、そのどれにも当てはまらない。……長い間自分の心の中に秘めてきたので、これについてはうまく話せるか自信がない。
大学生のころ――一人暮らしをはじめてまだ間もないころだ。
夜の十時ごろ。僕はアパートで本を読んでいた。アパートというのは、「夢の中の警官」でも触れたボロアパートだ。木造二階建てで、大学のすぐ向かいにあった。二階の端の部屋であり、隣の部屋に面した壁は白塗り、外に面した壁は木製の板張りになっていた。
ふと木張りの壁を見たときにそれは起こった。
壁の一点から何かが伸びてきた。僕は目を見張った。ねずみ色の樹脂製の管だった。それは、「伸びてきた」というより「押し出された」というほうがより適切だ。樹脂製の管は長いものではなく、すぐに落下した。落下した先にはステンレスのお盆が置かれていたので、鋭い金属的な音がした。
僕の目は壁に釘付けだった。この次にさらに驚くべきことが起こった。管に続いて現れたのは、細長い棒状のものだった。
それが何なのか、僕は今もって理解していない。長さ十センチ程度で、白い色をしていた。一目には、それが指のような形状をしていると僕は思った。指と言えば関節があり、筋肉があり、腱があるもので、指と思うからにはその特徴を備えていたのだと思うけれど、今となっては確証はない。
指は壁から突き出たまま、微動だにしなかった。まるで最初からそこに生えていたかのように。無意識のうちに僕の体は向かいの壁から少しでも距離を取ろうと白壁にピッタリ背を付けていた。体の芯から冷えてきた。めまいがした。僕は正気なのだろうか――。
しばらくして気持ちが落ち着くと、そのわけのわからない指が僕にとって危険がないかを確かめるべく立ち上がった。指は僕の見上げる位置から飛び出ていた。背を伸ばしてながめるが、やはり微動だにしない。
足元を見た。樹脂製のパイプが落ちていた。何に使う部品かはわからないが、
直径十ミリ、長さ十センチ程度のものだった(ちょうど指と同じくらいの大きさだ)。お盆にぶつかって転がり、床の絨毯の上に横たわっていた。古い素材らしく、ところどころ摩耗していた。
再び視線を上げると、指は消え失せていた。樹の壁に開いた丸い穴が見えた。パイプを仕込むために機械で丸く削られたと見え、切断面には荒い木片が残っていた。足元に転がるパイプを見下ろす。指は夢のように消え去ったが、唯一そのパイプだけは今起こったできごとが真実らしいと教えてくれるのだった。
夢を見ていたのだろうか? 幻覚を見ていたのだろうか? 指に見えたものは何かの動物? あるいは誰かが本当に壁の後ろから指を突き出していた――バカな、ここは二階で、外壁に面しているんだぞ……。
そのアパートにはそれから四年近く暮らすことになるのだが、同じようなことは起こらなかった。いまだに納得のいく回答は得ていない。このできごとを思い返す時、僕はいつも意味と無意味のあわいの中に置かれてしまう。
第04話……終わり。
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