第11話 大切なもの
目が覚めると、ふかふかのベッド、枕、通気性のいい羽毛布団、見慣れない天幕で覆われたピンク色のお姫様ベッドが視界に入り、昨夜、この新しい寝床に就いたのだということを思い出す。
部屋を暗くして横になった時は、いつ月読さんが夜這いに来るかとドキドキしていたが、結局来なかった。
24時間全館空調のエアコンは性能が良く、今が真夏だということを忘れさせる。
普段は寝巻きなど着ないのだが、月読さんとお揃いの和服の寝巻き――正式には寝間着と書くそうだ――が嬉しくて、真っ白な絹に包まれて寝た。
部屋着に着替えて1階に降りると、味噌汁のいい香りが漂っていることから、月読さんが何か作っているのだと察した。
キッチンに向かうと、黒の和服に身を包んだ月読さんが手慣れた様子で朝ごはんを作っていた。
「おお、おはよう
「おはよう。凄い寝た」
「そうか。なら良かった。お前に足りていないのは睡眠だ。よく遊び、よく働き、よく寝ろ」
そう言って、月読さんは鮭と味噌汁と、ほうれん草の胡麻和えをダイニングテーブルに並べる。
あたしは朝ごはんなんて、もう中学校2年以来食べてない。正直に言うとお腹も空いてないのだ。でも胡麻のいい香りに誘われてダイニングテーブルに腰掛ける。
「月読さん、ご飯は少なめでお願いします」
「何を言うか。許さん。ちゃんと食べろ」
そうすると今度はお昼ご飯が入んないんだけどなぁ。まあいいか。
「月読さん凄いね。料理できるなんて」
「はは。何年生きていると思っている。古代の虫料理から恐竜の刺身、土を食ったこともあった私が断言しよう。日本料理は世界一だ」
テーブルには2人分の質素な日本料理の定番、鮭定食が綺麗に並べられた。
月読さんが前掛けを外して席に着く。
「さあ食うぞ」
「あ! あの。……作ってくれてありがとう」
「ふふ。なんの。ただ『いただきます』と言えばいいのだ」
「うふふ。いただきます」
「おう。いただきます」
鮭は骨が取ってあって食べやすかった。塩加減が絶妙で、食欲をそそる。
味噌汁はやや濃いめだ。きっと夏だからだろう。貴重な塩分だ。
ほうれん草の胡麻和えは甘くて、しょっぱい物と甘い物のコンビネーションが食欲を加速させるということを改めて実感させられる。
「しかし、あいえいちと言うのは凄いな。火が出ないのに湯が沸くとは」
「あはは。あたしもあれの原理よくわかってない。電子レンジと同じって聞いたけどね」
「おお、でんしれんじとやらも榊原に使い方を教わったが、あれも便利よな」
あたしが昨日昼寝してた間に色々教わったようだ。月読さんが現代化していく。元々人間がいない時代から生きて来たひとだから、適応能力が半端ではないのだろう。
「して、今日はどこへ行くのだ?」
「えーとねー、大宮っていう所。駅の前だから電車で行こう」
「おお、電車に乗れるのか」
「んふふー、それからねー、バイク用品店も行くよ。月読さんのヘルメットとか装備買わなきゃ」
「ほう、あの鉄の馬に乗るのに必要なのか?」
「そうなの。法律で決められてるんだ」
月読さんは、榊原さんから「江戸幕府が滅んだこと」「世界大戦があったこと」「原爆が使用されたこと」「IT革命が起きたこと」などを聞いたことを教えてくれた。
月読さんは封印されている間、意識があったとのことで、周囲の音も聞こえていたそうだ。でも月読さんが発する声は周りには聞こえず、身動きもとれなかったのだとか。
その状態で400年も閉じ込められていたのだ。あたしは1週間の隔離室でも我慢できなかったのに。
「月読さん、自由を謳歌しよう」
「おう、何だいきなり」
「仕事も探さなきゃ」
「資本主義だな? 榊原から聞いたぞ。どんな職がいいと思う?」
「うふふー、昨夜寝る前に考えてたんだ。今日、買い物の帰りに寄ってみようよ」
「ほう、アテがあるのだな? 楽しみにしておこう」
「うんうん、ご馳走さまでした」
「うむ。ご馳走さまでした」
食器を片付けながら今日の電車の経路を調べる。和光市駅から
調べると、朝霞台駅からJR北朝霞駅に乗り換えるようだ。普段は東武線なので専らPASMOを利用している。月読さんは切符でいいだろう。
お出かけ用の服に着替える。月読さんは今日は黒のスーツで行くらしい。なら私も黒のベルボトムに黒のノースリーブで行こう。買ってから一度も履いてないチャンキーヒールのパンプスも今が使い所だ。
服装が黒一色なので化粧は赤を入れて明るめにした。
リビングに行くと、月読さんがタバコを吸いながらニュースを見ていた。体格に対して頭が小さめの月読さんには黒のハットが似合っていて、あたしが選んだ白黒の斜めストライプのネクタイもいいアクセントになっている。
「お待たせー。準備できたよー」
「おお。む? 目の周りが明るく見えるな。昨日の化粧とはまた違って趣がある」
「えへへー、ありがとう」
「では行こうか」
外はまだ9時半なのに猛烈な暑さだった。庭付きの一戸建てのような造りは所有感はあっていいが、雨が降れば濡れるし夏は暑いし冬は寒いし、デメリットが大きい。あたし達は早歩きでエレベーターに向かった。
駅までは徒歩でタバコ1本分とちょっとだ。いつも線路沿いを歩いてタバコを吸う。この道は人通りが少なくて孤独を感じるのだが、今日は2人で手を繋いでいるから寂しくない。
「月読さん、上着着てて暑くないの?」
「ふふ、私は地球が炎に包まれていても、極寒の氷に支配されていても平気だったのだぞ? このぐらいの温度を『炎天下』などとは片腹痛いわ」
「ふふっ、リアル炎天下を体験したんですね?」
「ああ、あれは星が降って来た時のことだ。地球は大きく揺れ、海は溢れ、至る所で噴火が起きた。私と姉のヌンは何とか地球が割れないようにするので精一杯だった」
「ほっといたら割れてたの?」
「ああ、放っておけば地球は真っ二つに割れるところだったぞ」
皆さん、地球の救世主がここにいます。
***
大宮駅へ向かう電車の中、月読さんは流れ行く外の景色に興味津々だった。
「これは凄いな。一体何人の人を同時に運んでいるのだ?」
「えーわかんない。多い時は100人以上乗ってるんじゃないかな」
「ほーう、これも電気の力か?」
「そうそう。昔は石炭だったらしいけどね」
大宮駅に着くと、2人して初めて来た場所なので西口を探すのが大変だった。
「大宮宿か。たしか
「宿場町だったの? 今日上尾も行くよ?」
「ほう。宿場町巡りとは旅をしている気分になるな。ふふふ」
外は猛烈な暑さで、月読さんが熱中症にならないか心配だった。
月読さんの手を引いて早歩きで「そごう大宮店」に駆け込む。
「ふう。これだけエアコン効いてれば大丈夫かな」
「エアコンというのは凄いな。まるで夜のような涼しさだ」
近くのフロアガイドを確認する。あたしのG-SHOCKはネットで買ったものなので、ここに来たことはない。
どうやら4階に時計売り場があるようだ。月読さんにエレベーターを操作してもらう。
「4階だな?」
「うん。お願いします」
「ふふ、任せておけ」
4階は婦人服がメインのフロアで、あっちもこっちもレディースブランドが視界に入った。
時計売り場が見えてくると、月読さんのテンションが一気に上がった。
「ほうほう! 時計が幾つも並んでおるではないか!」
「ふふふー、まずは好みの腕時計がないか一通り見てみる?」
「いや、まずは
「オッケー。じゃあこっち」
あたしはG-SHOCKが並ぶコーナーに月読さんを連れて行った。
G-SHOCKにも安いモデルから高いものまでピンキリだが、やはり月読さんにオススメしたいのは最高峰のMR-Gだ。30万円超えというちょっとした高級腕時計だが、あたしはこの時計にSEIKOを超えた世界トップクラスの性能と信頼性、そしてCASIOの意地の見出した。
「月読さん、この時計はね、日本を代表する職人が作り出したものなの。あたしのと色違いでね、落ち着いた青と金が夜空の月みたいで月読さんにピッタリだと思うんだ」
「なるほど。色は違うが煌のものと同じなのだな?」
「うん。色違いのお揃い。性能も凄いよ? まず壊れない。衝撃に強いの。この前みたいな喧嘩沙汰になっても大丈夫」
と、G-SHOCK自慢をしていたら、店員さんが声を掛けてきた。
「よろしかったら試着してみますか?」
「あ、お願いします」
店員さんはショーウィンドウのものとは別に試着用の商品を取り出すと、月読さんに手渡した。
あたしはバックルの止め方を説明しながら月読さんの腕に装着してあげた。
サイズはピッタリで、思った通り月読さんの太い腕にG-SHOCKは良く似合っていた。
「おお、これは何とも所有感があるな。古代の腕輪のようだ」
店員さんが?の顔をしているので、すかさずフォローする。
「月読さん月読さん、他の時計も見てみる?」
「いや、いい。これが気に入った」
「うふふー、あたしもこれが1番オススメ。これに決めちゃっていい?」
「ああ、お願いしよう」
「プレゼントですか?」
「はい! 包んでもらったりできますか?」
「できますよ。凄いですね、これいい値段するのに」
「えへへー、一生ものだからね」
月読さんはサンプルを店員さんに戻し、新品が専用の箱に入れられて綺麗にラッピングされるのを眺めていた。
「ここで付けて行くのではないのか?」
「うーん、それもいいんだけど、家に帰って月読さんが箱を開けて喜ぶところが見たい」
あたしは結構貯金があるので30万ぐらいポンと一括払いしても、そんなに懐は痛まない。この後のバイク用品の買い物も含めて、今日の予算内である。
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