第9話 新居

 銀座での買い物を終え、あたし達は和光に戻っている最中だった。センチュリーは首都高5号池袋線を軽快に走る。


「もしもし? あかりか?」

「あ、うん。聞こえてるんだけど隣にいるから生声かスマホのスピーカーかどっちかわかんないね」

「そうか? ちゃんとスマホから聞こえているぞ?」

「ちゃんと通話できたから一旦切るよ? 通話終了してみて?」

「ふむ。これを、こうだな?」

「そうそう。それをタップするの」


 月読さんにはスマホのタップ、スワイプ、ピンチなどを覚えてもらった。

 月読さんは物凄く頭が良く、一つの事を覚えるのに他の二つ三つを関連させて同時に覚えて行く。


 結局、和光インターを降りるまでに、月読さんは通話、メール、ブラウザー、カメラの使い方を覚えてしまった。


「煌は教えるのが上手いな」

「えー、月読さんが頭良いだけでしょ」

「まあ私の頭がいいのは当然だが、煌の教え方は要点を的確に捉えていてわかり易かったぞ?」


 なるほど。さすが神様。ご謙遜なさらないご様子だ。でも教え方が上手いと褒められたのは正直言って嬉しい。うふふ。


 見慣れた街並みを横目に見ていると、いつもの場所に愛車のバイクが停まっていないことに気付いた。


「え⁉︎ バイク無い!」

「ご安心下さい。引っ越しました」


 センチュリーはあたしの元のアパートを通り過ぎると、そこから程近いマンションの地下駐車場へと入って行く。駐車場入り口には警備員が立っていて、柳葉さんが窓を開けて身分証を見せると、ゲートが開いた。

 このマンションは外観だけ見覚えがある。最近出来上がったデザイナーズマンションだ。アパートにいた時、広告が入っていた。安い部屋でも2億円、高いと16億円だったのが印象的で良く覚えている。


 クルマを降りて榊原さんに問う。


「これ何階建て?」

「27階建てです。お部屋は最上階になります」


 エレベーターホール横の駐輪場には、見慣れた愛車が停められていた。普通はやらない後ろ向き駐車だ。

 あたしは盗難防止には熱心な方で、前後輪U字ロック、鍵穴を塞ぐキーカバーロック、車体を揺らした時に鳴るアラームを装備している。

 一体どうやってバイクをここへ運んできたのか気になる。ハイテク機器でも使ったのだろか。


「バイクどうやって持ってきたの?」

「どうでしょう。私は煌様と一緒に居たのでわかりませんが、私ならまず部屋に侵入して鍵を盗みます」


 ああ、なるほど。鍵をやられたのではもうどうしようもない。


 エレベーターに入ると、柳葉さんが20階のボタンを押した。よく見ると20階までのボタンしかない。


「27階じゃなかったっけ?」

「20階より上は守衛がいる通路を通って専用のエレベーターを使わなければ行けません」

「ほえー、セキュリティすげー」

「この箱は、上に動いているのか? どうやって持ち上げているのだ?」

「電気の力を回転力に変換して滑車で動かしております」

「ほう、電気とは万能だな」

「うんうん、電気なかったら生活できないからね」


 20階を降りると、そこはロビーになっていて、何かの受付らしきカウンターが目に付いた。


「何の受付?」

「20階はトレーニングジムになっております。お風呂もプールも無料で利用できますので、よろしかったらどうぞ」


 ジムとか行った事ない。あたしは幸いにも太らない体質で、中学3年の時の身長161センチ、体重43キロをキープしている。


 通路を歩いて行くと、ガラス張りの向こう側にテレビで見たようなトレーニング機器、プールが見えた。


「ほう、水浴びか。今の季節は気持ち良かろう。しかし、あの女の格好は何だ。けしからんな」

「月読さんはああいう水着嫌い?」

「む? 嫌いではないが……煌もあんな格好をするのか?」

「あたしも水着ぐらい持ってるよ? 今の世の中、女性が肌を見せるのは当たり前」

「むう、そうなのか。現代の女たちは開放的なのだな」


 通路を進むと、道を塞ぐように警備員が2人立っていて、その先は両開きの自動ドアで閉ざされていた。


「月読様、煌様、こちらがカードキー――鍵になります。ここの扉と玄関の扉と共用です。こちらの端末にカードキーをかざして下さい」


 あたしは月読さんに先にやり方を教えた。月読さんがカードキーを翳すと、自動ドアが開く。


「ほう。面白い仕掛けだな。だがこんなもの蹴破けやぶってしまえば易々と通り抜けられるぞ?」

「このガラスは防弾の強化ガラスです。鉄砲の弾でも撃ち抜けません」

「何? 鉄砲が通じんのか?」


 確かに自動ドアを通過してみると、そのガラスの厚みに驚かされる。厚さ3センチ以上ありそうだ。


 エレベーターの使い方を月読さんに教える。月読さんがボタンを押すと、エレベーターは既に20階にあったようで、すぐに扉が開いた。


 月読さんは数字を覚えるのも早かった。既に0から9までのアラビア数字を覚えていて、27階のボタンも何も言ってないのに自ら押して見せた。


 あたしは良い子良い子してあげたかったのだが、神様にそれは失礼かとも思い、月読さんにこう提案した。


「月読さん、何か欲しい物ある?」

「欲しい物……煌が手首に付けている時計とやらが欲しいぞ。常に時間を測っているとは興味深い」

「わかった。明日買いに行こう。プレゼントしてあげる」

「ぷれぜんと、とは何だ?」

「贈り物の事です」


 榊原さんがフォローする。


「おお! 贈り物をしてくれるのか⁉︎ それは嬉しいぞ!」


 初めて見たテンション高めの月読さんにホッコリしていると、エレベーターは27階に辿り着いた。


 扉が開いて驚いたことが2つほど。


 まず27階のフロアぶき抜きで1部屋だという事。と言うかまるで屋上に庭付きの2階建てハウスを建築したような造りだ。


 エレベーターから数歩あるくとそこはもう野外で、右手にはプール付きの庭が見える。しかも人工芝ではなく天然の芝だ。広さも相当で、おそらく200平米はある。これ雨の日は傘が必要だな。


 そして左手には2階建ての大きな一軒家が見える。豪華な装飾が施された玄関と、玄関の左が大きなガラス窓になっていて、これまたお洒落なデザインのリビングが一望できる。


 次に驚いたのは専属の警備員がいることだ。庭に2人、玄関前に1人、計3人が巡回している。

 しかも全員CIROサイロの調査員だそうだ。映画でしか見たことのない長い銃を両手で持っている。榊原さんは警備員と言っているが完全に見た目は戦争の装備だ。

 榊原さんは聞いてもいないのにプライマリがHK416でセカンダリがHK45です等と暗号のような呪文を唱える。


 なんなの? そんなのここで使う気なの?


「いや……何というか……驚きだわ。あたしここで暮らすの?」

「嫌ですか?」

「ううん、非日常体験ができそうでワクワクする」


 月読さんが玄関のカードリーダーにキーを翳すと、モーターの駆動音とガチャッという音で玄関のロックが解除された。


 玄関を潜ると、広いホールと吹き抜け、壁や床は全体的に白黒のデザインでモダンと言うのだろうか、極めて洋風な造りに月読さんが難色を示さないか不安になった。


「月読さん、こういうの大丈夫?」

「良いと思うぞ。秀吉の茶室と比べたら目に優しくて落ち着くだろう。……だが、やはり畳が恋しいな」


 やっぱり和室がいいんだ。秀吉の茶室ってなんぞ?


「こちらへどうぞ」


 榊原さんが玄関奥の右手側の廊下へ案内する。廊下に入ってすぐに目についたのは、廊下沿いに50センチほどの高さに設置された板敷とふすまだ。美しい山と鶴の絵が描いてある。

 それを見た月読さんの表情がパァっと明るくなった。


「おお! 和室があるのか!」


 月読さんはキビキビと板敷に腰かけてはスリッパを脱いで襖を開ける。そこは綺麗な8畳間だった。床の間付きで、高そうな壺と日本刀――本物だろうか――それから美しい月の掛け軸が掛けられていて、それを見た月読さんは唸った。


「なんと! ここを私の部屋にして良いか⁉︎」

「あはは! 嬉しそう。うふふ。いいんじゃない?」

「はっはっは! 煌もこの部屋で過ごすといい! どれ! 茶を淹れてやろう!」


 すっかり機嫌が良くなった月読さんは、部屋に準備してあった茶道具をガチャガチャいじると、座布団を4枚間隔を開けて置いた。


 茶道なんてテレビでチラッとしか見たことないので作法が全くわからない。

 月読さんは「作法など気にするな。飲めば良いのだ」と言ってくれたので一口すする。初めての抹茶はほんのり苦くて、それでいて緑茶の爽やかな香りが濃く鼻を通り、見た目の鮮やかな緑も目を楽しませてくれた。


 エアコンの効いた涼しい和室でお茶を飲む。そんなのんびりした時間を過ごしたあたしは、何年振りかわからない自然の眠気を感じ、あたしがウトウトしていることに気付いた月読さんは、そっと座布団を何枚か敷いて、横になるよう促した。


 薄れゆく意識の中、天井の木目が美しく映ったのを最後に、あたしは眠りに落ちた。

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