第8話 CIROのチカラ

 白のスーツ、ハット、黒のシャツにシルバーのネクタイで歩く月読さんは、はたから見たら良くて芸能人、悪くてヤクザに見えるだろう。

 姿勢が良く、堂々としているところが余計にそう感じさせるのだ。


 あたし達は5丁目のソフトバンクに向かっていた。すると、歩道の前方が騒がしいことに気付く。


 女性の大きな声が一際目立って聞こえて来た。


「ちょっと! やめてください!」

「うるせーんだよ! 女は黙ってろ!」


 穏やかではないやりとりが聞こえたところで、歩道が人で渋滞し、前に進めなくなった。

 しかし月読さんは止まる事なくあたしの手を引いて人混みをかき分けて進んで行く。


「つ、月読さん? 無理しないで止まったら? なんか前の方騒がしいし……」

「向こうに用があるのだろう? なぜ我々が止まる必要があるのだ?」


 そうこうしている内に、渋滞の原因が見えて来た。立っている男が3人と、歩道中央に四つん這いになっている男性が1人、そこに寄り添う女性が1人だ。


 立っている男の内、タンクトップにハーフパンツの筋肉質の男が声を荒げながら地面に伏した男性を蹴り上げる。


「ちょーしこいてんじゃねーぞコラァ!」

「うぐっ!」

「キャーッ! やめてったら!」


 月読さんは歩調を変える事なく現場に侵入すると、タンクトップの男を右手で突き飛ばした。手のひらで少し押したように見えたが、男はゴロゴロと歩道の奥へと転がって行く。


「往来の邪魔だ。他所でやれ」


 月読さんは蹴られた男性を一瞥いちべつすると、厳しい一言を投げかけた。


「お前も男なら立ち上がれ。女の前で意地も張れない男など負け犬だ」


 男性はよろよろと立ち上がった。そこへ突き飛ばされた男と残り2人の3人組が凄む。


「なんだぁ⁉︎ オッサン! どこの組か知らねーけどヤクザにビビッと思ってんのかコラァ!」

「今も昔も変わらんな。弱い者ほどよく吠える」

「んだとコラァーーー!!!」


 突き飛ばされたタンクトップが威勢よく月読さんに飛びかかった。あたしは邪魔になると思って手を離そうとしたけど月読さんがギュっと握って離してくれない。


 タンクトップが目の前に迫る。


 刹那、月読さんの長い右足の白い革靴がタンクトップの側頭部を蹴り飛ばした。頭の高さまで振り上げられた足は美しく弧を描き、元の位置へと戻って行く。

 タンクトップは絵に描いたように白目を剥いて直立の姿勢となり、地面に対して斜めにつま先立ちしたかと思うと、その姿勢のままゆっくりと地面に倒れた。


 喧嘩なんてしたことのないあたしは、ボクシングのKOシーンを思い出した。確かこんな風に「伸びる」のだ。間近で見た白目の顔は忘れられそうにない。夢に出そう。


 榊原さんが倒れた男の息を確認する。死んではいないようだ。


 タンクトップの仲間と思われる男2人はと言うと、月読さんが蹴り飛ばしたのを見て逃げて行ってしまった。


「なんと。置いて行ってしまうとは。風上には置いておけぬな」


 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。この音は消防車じゃない。パトカーだ。

 2日連続で警察のお世話になるとは思わなかった。でも何も悪い事してないし、堂々としてればいいよね。


 ふと榊原さんを見ると、スマホで誰かと電話しているのがわかった。敬語で話している様子から察するに上司か何かだろうか。


 現場は野次馬が群がり、中には動画を撮っている人もいる。


 すると、近くの交差点に異変が生じた。クラクションの音が頻繁に聞こえてくる。

 何かと思って見てみると、信号が付いていないことに気付いた。どうやら停電したらしい。


 それと同じくして、周囲から騒めきが聞こえてくる。


「あれ? スマホ電源切れた。つかねー」

「俺も。まだ充電あったのに。電源入んない」


 榊原さんは普通にスマホを使っている。程なくして榊原さんは通話を終えた。


 パトカーは交通整理に行ってしまった。


「さ、参りましょう」


 榊原さんと柳葉さんはそう言って野次馬を押し退け、道を作った。


「停電してるみたいだけど、ソフトバンク大丈夫かな」

「その店は大丈夫です」


 なんか言い方が――なぜわかるのかと問いただしたいが、また「見て見ぬフリを覚えろ」とか言われそうなので何も言わないことにした。




***




 ソフトバンクは小洒落た雰囲気の店舗で、あたしが知ってる「携帯屋さん」とはまるで違うブティック感が第一印象だった。

 そしてまた清潔感のある制服のお姉さんがあたし達に対応する。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしたでしょうか」

「予約していた榊原です」

「ご予約ですね。少々お待ちくださいませ」


 スマホ買うのに予約する人初めて見たよ。店員さんも顔色ひとつ変えずに対応するとは凄いね。それともここは予約制なのかな。


 しばらくすると、店員さんが帰って来てこう言った。


「お待たせ致しました。どうぞこちらへ」


 あたし達は2階に案内された。2階には何故かリビングのような一角が設置してあって、ソファーに座るよう店員さんが誘導した。柳葉さんが入り口で立っているのは見張りだろう。月読さんを中央にして3人でソファーに掛けた。


 少し待っていると、スーツ姿の中年男性があたし達の正面のテーブルに書類とiPhoneが入っているであろう箱を置くと、テーブルを挟んで立ち膝で挨拶を始めた。


「責任者の篠田と申します。本日はご来店、誠にありがとうございます。失礼ですが……ご契約者さまは……」


 あたしはCIROサイロが契約して月読さんに使ってもらうのかと思っていたので、榊原さんの顔を見つめた。


「こちらの男性です」


 意外にも月読さん本人に契約させるようだ。住所とかどうするんだろ。

 責任者の篠田さんは、月読さんの目の前に申込書らしきものを提示した。


「では、こちらにお名前をご記入頂けますでしょうか」


 え……名前? 名前どうすんの?


「ほう。ここか?」


 月読さんはボールペンを持って苗字の欄に狙いを定めている。完全に筆の持ち方だ。不覚にもその不自然な持ち方と篠田さんの真顔にじわじわ笑いが込み上げてくる。


 月読さんは驚きの達筆さでまるで一つの作品のような名前を書き上げた。

 そして案の定、苗字だけ書いてペンを置く。すぐさま榊原さんのフォローが飛ぶ。


「月読様、名前の欄に『みこと』とご記入ください」


 なるほど。その手があったか。


「何? 自分でみことを名乗るのか? それは少々、いやかなり恥ではないか?」

「良いのです。この時代の人間はそれでまかり通ります。誰も不自然とは思いません」

「そうなのか。ふむ。煌はどう思う?」

「いいと思うよ。月読尊つくよみのみことでしょ? 全然変じゃないよ」

「そうか、わかった。ならばそうしよう」


 月読さんは、これまた書道を極める勢いで「尊」と書き上げた。昔、習字教室に通っていたが、その時の先生より上手い。もはや達筆の域を超えている。


「では、こちらにご住所とお電話番号をお願い致します」


 住所はどうするんだろ。と思ったら、榊原さんがスマホを取り出し、画面に住所を映した。


「こちらでお願い致します。電話番号はありませんので空欄で構いません」


 スマホを覗き見ると、あたしのアパートのすぐ近くであることがわかった。アラビア数字ではなく、漢数字で番地が表示してある。


「あたしんちの近くなんだ。アパート?」

「5LDKのマンションです。今頃は煌様のお荷物も引っ越しが済んでいるかと思われます」

「え? は? 引っ越し?」

「はい。今日から月読様と一緒に暮らして頂きます」

「ファッツ⁉︎」


 こうして、あたしは独身寮扱いだったアパートを出て行くことになり、月読さん名義のマンションで生活するすることになった。


 月読さんの戸籍はCIROのチカラにより新規作成されたそうで、年齢は30歳、誕生日は今日8月6日。

 マンション購入の費用などもCIRO負担、家具なども全て納入済みだそうだ。


 ここへスマホなどを買いに来たのは引っ越ししている間の時間を潰すため、また、月読さんの社会見学、それからあたしをアパートから遠ざけるためだったことを後から知った。


 月読さんの生活費は50万円だけ最初に与えられるらしい。これは月読さんに現代の人並みの生活を知ってもらう為だとか。あたしが今の会社を続けるのはいいとして、月読さんも何か仕事を見つけないといけないだろう。


 月読さんはスマホの購入手続きを終え、あたしとお揃いの黒いiPhone14を手に入れた。使い方を教えるのはあたしの役目だそうだ。


 外は蒸し暑く、強烈な日差しと非日常の連続に、少し疲れを感じてのんびりかき氷でも食べたい気分だった。

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