第5話 闇と病みの匂い

 日光東照宮の捜査はCIROサイロの澤野さんにお任せして、あたしは愛車に跨り初めて見た実物のセンチュリーの後を追っている。


 センチュリーはトヨタの代表的なVIPカー中のVIPカーだ。あまり詳しくはないが、あたしが知ってる古臭いデザインのセンチュリーではない。もっと丸みを帯びたデザインから察するに最新モデルだろう。


 月読さんはCIROサイロの人たちに「月読様」と呼ばれ、丁重にセンチュリーの後部座席へと案内された。


 これからあたしのアパートに寄って、着替えてから銀座でお買い物だそうだ。銀座なんて行ったことない。あそこは夜の街なんじゃないの? 何の買い物するつもりなの?


 東北道を進むと、センチュリーが蓮田サービスエリアに入って行った。誰かトイレだろうか。


 土曜日のサービスエリアは混んでいて、建物やトイレに近い駐車スペースはどこも空いていなかった。

 あたしはバイク置き場があったので奥まで進んで来たのだが、センチュリーはどうするつもりなのだろう。


 というあたしの心配を他所に、センチュリーは障がい者用駐車スペースに堂々と停めた。


 CIROってすげー。


 運転手の柳葉さんが月読さんの席のドアを開ける。その所作は精錬された無駄のない動きで、只者ではないオーラを隠しきれてないサングラスと、首に取り付けた声帯マイク、そこから伸びる透明なチューブで接続されたイヤホンは、映画で見たことのある軍人の装備だ。この暑いのにジャケットを着ているのは、懐の拳銃を隠す為であることは想像に難くない。


 そしてジャージ姿の月読さんと同時に反対側の後部座席から出てきたのは、ほっそい黒のパンツスーツがカッコ可愛い榊原さかきばらさんだ。柳葉さんと同じく声帯マイクを装備している。とても27歳には見えない若々しさで、サラサラの黒いストレートヘアーと、濃いめの綺麗なアイメイクは、あたしには到底辿り着けない女子力の境地に辿り着いている。


 彼女はあたしに話しかける。


あかり様、おタバコお吸いになられますか?」

「え、吸いたい……そのためにここ寄ったんですか?」

「月読様が煌様のおタバコを心配されておりましたので……」


 交番出てから1本も吸えてなかったから丁度吸いたいとは思ってたけど。そっか、あたしが昨夜外でタバコ吸ってたの見てたのかな。月読さんの優しさを感じる。


「煌、現代のタバコがどんなものか知りたい。少しわけてもらいないだろうか」

「いいよー、まだアパートにいっぱいあるから。てか月読さんタバコ吸うんだ」

「ああ、よく吸っていたぞ? ん? なんだこれは。紙ではないか。軽いな」

「こっちの白い方が吸い口で、こっちに火を点けるの」

「ほう、火はどうするのだ?」


 喫煙所に入り、あたしがライターで火を点けると、月読さんは「なんだこれは。火薬もないのに火を生み出すとは面妖な」と言いながらタバコの先端を火に晒した。


「甘い! 菓子のようだ!」

「あはは。普通のも中に売ってるけど、そっちにする?」

「いや、これはこれで良い。喉の通りは普通のタバコの刺激で心地よいぞ。それに、これはいつまで吸えるのだ?」

「えーと、ここの線まで。でもギリギリまで吸うと体に悪いらしいから線の手前まで来たらもう消した方がいいよ」

「ほう、そんなに吸えるのか」

「昔はどうだったの?」

「3回も吸い込めばもう終わりだ」

「え⁉︎ 少なっ!」


 すると、喫煙所に榊原さんがやってきて告げる。


「お食事は如何なされますか? ちょうど煌様のアパートの近くにレストランがございますが、そこで召し上がりますか? それともここで何か軽食でも……」

「あたしは帰って着替えてから行きたいかなー。月読さんお腹空いてる?」

「私は空腹とは無縁だ。食事はただの嗜好に過ぎん。故に量より質を求める」

「お腹空かないんだ。そしたらここよりレストランの方が美味しいよ」

「了解いたしました。では早速予約を取って参ります」


 榊原さんは一礼してセンチュリーに戻って行った。モデル歩きのように左右に揺れる引き締まった形のいい小尻に気づいて、月読さんが見惚れてないかチラっと確認する。

 月読さんは遠い目で山を見ていた。月読さんと同じタイミングでタバコをふかす。どんな女性ひとが好みなのだろう。過去に付き合ってた人とかいないのかな。


「月読さんは結婚とかしてなかったの?」

「結婚か。何度かあるぞ。皆、私より先に死んでしまったがな。最後に愛した女は煌に似ていた」


 え……それどういう意味。


「纏わりつく闇がそっくりだ」


 え……闇?


「その闇、私が喰ってやろう」


 言葉が出なかった。月読さんの目は月のように黄色く光り、あたしを舐め回すように見ている。

 あたしの闇――食べてもらったら消えるのかな。この悲しみも消えてしまうのかな。それはちょっとやだな。


「あたしの闇ね、ないと困るかも。これはあたしの生きる意味なんだ。なくなっちゃったら、それこそ生きる糧が――あたしの存在価値がなくなっちゃうよ」


 月読さんの目が元の黒に戻る。


「そうか。過去に何があったか知らぬが、いずれその不安ごと喰らってやろう」


 2人ともタバコを吸い終わり、吸い殻を捨てた。白いタバコの吸い殻が沢山ある中にポツリと黒いタバコが転がる。

 普段は1つだけの寂しい黒が、今日は2つあって、それが寄り添ってるのを見ると、黒い闇が孤独から解放された気がして、なんだか嬉しかった。



***



 外環自動車道、和光インターを降りると、そこはあたしの庭――と言ってもまだ2年しか住んでないけど、どこに何があるのか大体わかる。


 いつものようにアパートの前にバイクを路駐する。そこはゴミ集積所になっていて、歩道が広くなっている穴場だった。交差点からも距離があるので駐車違反にはならない場所だ。ゴミの回収に邪魔にならないか不安になって清掃員の人に確認したが、問題ないとのことだったのでいつもここに停めている。


「じゃあ、ちょっと着替えてきますね。……あの、シャワー浴びて来てもいいですか?」

「お待ちしております」

「ごめんなさい! すぐ終わらせて来ますね!」


 あたしはアパートの階段を駆け登り、部屋に飛び込む。


「あっつ……エアコン」


 替えの下着をタンスから引っ張り出し、ツナギを脱ぐ。ツナギが汗臭いのでファブリーズしてハンガーに掛ける。

 洋服は――どうしよう、お洒落なのなんて持ってない。あの小尻に負けないようにタイトなジーンズで行こう。あたしもお尻の形にはちょっとだけ自信があるぞ。上はチビTで体のラインを強調する。

 銀座にカジュアルな服で行っていいのか知らんが榊原さんに負けるわけにはいかない。あたしの勘では榊原さんより大きい。スタイルの良さを誰かと比べたことなんてないけど、池袋でアダルトなスカウトをされてから、ちょっとだけ自信を持っているのだ。当然そのスカウトは断ったぞ。


 あたしは汗臭いTシャツと下着を洗濯機にポイしてユニットバスに飛び込んだ。


 冷水を浴びると生き返るようだった。


 お風呂を出て水を飲むついでに薬を飲んだ。双極性障害の薬は、一定時間毎に飲んで薬の血中濃度を維持する必要がある。なので、一回休みというわけにはいかないのだ。ホントはちゃんと夜飲んで寝るのがいいんだけどね。


 湿度のせいで全然髪が乾かない。暑いのでエアコンの風とドライヤーでダブルで乾かす。髪を切るのが面倒で長くし過ぎた。今度前髪ぐらい整えてもらおうかな。


 いつもより気合を入れて化粧する。あのアイメイクに負けてはならない。


 だいぶ時間が掛かってしまったが準備ができた。エアコンをオフにしてプラダのバッグを肩にかける。唯一のブランドものだ。腕時計も一応G-SHOCKだからブランドものか? 実はプラダのバッグより高かった。あたしは腕時計にはバイクと同じぐらいカッコ良さを求めるので、メンズのMR-Gを愛用している。手首に対してデカ過ぎる感じがお気に入り。


「お待たせしましたー!」


 と言うより先に柳葉さんがドアを開けてくれた。月読さんの隣に乗り込む。


「ふむ。何やらいい香りがするな。匂い袋か?」

「あはは、シャンプーの匂いかな」


 あたしが髪に指を通すと、月読さんが顔を近づけて来た。

 クルマがゆっくりと動き出す。


(ち、近い)


 月読さんは自然の匂いがした。草木の香りだ。間近に見える髪の毛は、出会った時と違ってサラサラで、きっとあの時は川で濡れたのだろうと察した。


 月読さんがあたしの匂いを嗅いでいるのを見ると、何だか体温が上昇して汗の臭いがしてないか心配になった。


「つ、月読さん? そのぐらいに……」

「む? ちょうどいま女の匂いがして良い具合だったのだが」

「終了! はい終了ー!」


 あたしは両手で月読さんを押し戻した。

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