第3話 月読尊

 あたしのリスカ癖が明らかになった頃、別室では月読さんの任意聴取が滞っていた。


「月読さん、名前ぐらい書いてもらわないと困りますよ」

「こっちも書いたのにまだ書けと言われて困っている」

「いや、書いたのは苗字でしょ? お名前教えてくださいよ」

「私は月読だ。それ以上でも以下でもない」


 木下と月読の不毛なやりとりに終止符を打つべく、下田が口を挟む。


「月読さんって神様の名前ですよね? 本名じゃないんでしょ? 本名教えて欲しいんですよ」

「本名だ。私がその月読だと言っている。どういう訳か封印が解けて解放された。嘘だと思うなら東照宮に行ってみるといい。家康の墓だ。おそらく何らかの異変が起きたに違いない」


 木下、下田、高梨の3人は顔を見合わせる。そこで高梨が異変と聞いてある事を思い出す。


「そういえばさっき直下型の地震ありましたね。震源地、日光でしたよ。震源の深さ不明だとか」


 木下がやれやれといった顔で言う。


「月読さん、そんな事言われたら見に行かないわけにはいかないんですよ。高梨、東照宮の宮田さんに連絡。下田と一緒に奥社見てきて」

「了解しました」


 下田と高梨がきびきびと部屋を出て行く。残った木下は困った素振りで説明した。


「月読さん、このままだと身元不明で保護しなきゃならなくなるんですよ。名前はもういいから、せめて何県に住んでるかだけでも教えてもらえませんか」

「私の家は……そうだな、強いて言うなら京都だ」

「京都からどうやって日光まで?」

「いや、先ほど竜頭の滝で復活したので京都から来たのではない」


 木下が頭を抱える。


 この人間達は私を何だと思っているのだろうか。身元不明やら保護やら、この時代の同心は神を知らぬと見受けられる。

 あかりもそうだ。鉄の馬などに跨り、あんな黒ずくめの奇怪な衣装など着て、まるでくノ一ではないか。


 令和4年か――私の最後の記憶は元和3年。秀忠め、よくも400年も川底に封印してくれたものだ。

 早く神通力を回収しなければ。何者かがアレの封印を解除したことはわかっている。持ち去られたならば取り返す必要があるだろう。


「月読さん! 月読さん! 聞いてます⁉︎」

「あ、ああ。考え事をしていた」

「もう……そしたら記憶喪失ってことで保護しますから、これから日光警察署行きましょう。土日は役所やってないんで、来週月曜日まで保護室で過ごしてください。その間、気をつけて頂くことは、服を脱がない事。また全裸になったら公然わいせつ罪も視野に入れないといけなくなりますからね?」

「わかった。服があれば脱ぐことはないだろう。あ、湯浴みはどうするのだ?」

「風呂入る時とかは脱いでいいですよ。理由もないのに全裸を公の場に晒さないでくださいってことです」

「わかった。約束しよう」

「じゃあ書類取ってくるんで、ここ動かないでくださいね」


 そう言うと、木下は部屋を出て行った。



――交番窓口。



 あたしが珠美さんと雑談していると、木下さんが奥の部屋から戻ってきた。

 さっきは下田さんと高梨君が急いでパトカー走らせて行ったけど、月読さんの任意聴取は終わったのだろうか。


「終わりました?」


 珠美さんが木下さんに丁度聞きたかったことを問いかける。


「あー、まあ着地点は見えたけど、ありゃ大変だぞ。精神科行きかもしれん」


 精神科――あたしは精神科に入院していたからわかる。あたしの場合は家族が病院に保護を求めて入院させた「医療入院」だったけど、月読さんは全裸で街を徘徊し、警察に捕まったから「医療入院」になる。これは県知事が必要と判断して入院させる言わば強制入院だ。退院の条件は厳しく、最低でも3ヶ月は出てこられない。


 月読さんはあたしの怪我を治してくれた。そんな人が隔離病棟に強制入院させられるなんて嫌だ。


「木下さん! 月読さん隔離になるんですか⁉︎」


 木下さんは、精神科行きと言っただけで「隔離」という言葉に結びつけたあたしを特異な目で見た。

 状況を察した珠美さんは、そっと木下さんに耳打ちする。きっとあたしの自傷のこととか周りに誰もいないけど小さな声で伝えてくれているのだろう。


 耳打ちが終わると、木下さんはこう語る。


「大丈夫だよ。悪いようにはしないって」

「隔離になるならあたしが連れて帰ります。今のままだと措置入院になるってことですよね?」

「あー、まあそうなんだが……」

「そんなの許せません。あたしが身元引受人になります!」


 木下さんと珠美さんは顔を見合わせ、2人とも困った顔であたしを見る。


 そこへ下田さんと高梨君が帰ってきた。


「戻りましたー」

「ただいまですー」


「おう、どうだった?」

「大変ですよ。奥社の前に鶴と亀いるじゃないですか。あれ壊されてました」


 下田さんが頭をかきながら報告する。


「は⁉︎ 地震で壊れたとかじゃなくて?」

「いや、あれはグラインダーとかで切断した感じですね。写真も撮ってきました」


 下田さんはデジカメの画像を木下さんに見せている。それを見た木下さんは、ポリポリと眉の上を指でかくと、あたしにこう言った。


はなぶささん、月読さんね、入院どころじゃないかもしれんよ」

「え? 何でですか?」

「いやね、月読さんが言ったんだよ。奥社に何かあるって」

「奥社?」

「ああ、家康公の墓だよ」


 墓荒らし――いつだったかツーリングで東照宮に行ったけど、鶴と亀なんてあったか覚えてない。

 月読さんは誰も知らないはずのことを言い当ててしまったのだと察した。

 つまり、月読さんが壊した疑いがあるということだ。


 あたしは月読さんのいる部屋に走った。


「ちょっ! はなぶささんダメだよ!」


 扉を開いて月読さんに問いかける。


「月読さん! なんで鶴と亀が壊されてるのわかったの⁉︎」

「やああかり。鶴と亀? はは、なるほど童歌わらべうただな? 秀忠め、半蔵にしてやられたな。くくく、亀か! あはは! これは傑作だ! ははははは!」


 なんで笑ってるのかわかんないけど、壊されたのが鶴と亀だったことを知らなかった――


「英さん! この部屋は入っちゃダメだよ!」

「木下さん! 月読さんは壊されたのが鶴と亀って知らなかったです! 月読さんが壊したんじゃないよ!」

「む⁉︎ 月読さん、それは本当かい?」

「ははは……ああ、家康の墓に隠したのは知っていたが、具体的な場所までは知らなかった」

「隠した? 何を?」

「私の神通力さ。八尺瓊勾玉やさかにのまがたまだよ。きっと誰かが――くく、誰かが童歌の秘密を知って盗ったのだろう、くふふ、夜明けの番人か! あはははは! 半蔵め! 笑わせてくれる!」


 1人で笑う月読さんの笑い声には、周囲のあたし達に精神を病んでいるのではないかと思わせるだけの十分な破壊力があった。


 あたしは必死にフォローする。


「つ、月読さん、神通力をみんなに見せてあげて? あの光るやつ」

「ああ、構わんが少しだけだぞ? あまり無駄使いはできん」


 そう言うと、月読さんは胸の前に両手を広げて、左右の手のひらの間に光を生み出した。


「ほら、珠美さんも見てください。普通じゃないですよね?」

「え? 何あれ……手品?」

「違いますよ! あれであたしの怪我が治ったんです! 木下さんもこれだけは説明つかないでしょ⁉︎ 月読さんが言ってることは本当なんですよ! 異常者とかじゃないんです!」


 光がフッと消える。


「これ以上は神通力がもったいないのでできない。早く勾玉を取り戻さなくては。それか京都に行くか」


 そのやりとりに敢えて水を差すように下田さんが入室する。手には白いスニーカーを持っている。


「月読さん、これ。家から持って来ました。たぶん俺と体格いっしょなんでサイズも合うと思います。これも使ってなかったやつなんで差し上げます」


 そう言ってスニーカーを差し出した。


「これは……履き物か」


 素足だった月読さんは下田さんから紐の結び方を教わりながらスニーカーを履いた。


――午前4時。外は白みがかる前の宵闇に似た紫色に包まれていた。

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