「失礼イタシマス。ハジメマシテ」

「……はじめまして」

 ぼくはそのぼってりとしたフォルムをまじまじと見つめた。

 誰かに対して声を発したのは何年ぶりだろうか。ロボットだからとは言わないのか。

「高崎教授カラノメッセージヲ確認イタシマスカ?」

「ああ……。頼む」

 ゴーグル型プロテクター内部の発光ダイオードがちかちかと点滅し、宙に男性の上半身が浮かんだ。3Dホログラムレターである。

 ぼくはぎょっとした。現れたのが、見覚えのない老齢の男だったからだ。

(そうか。彼と最後に会ったときからもう三十年以上も経っているんだ)

 あの時、確か教授は三十代後半だった。ならば今は七十歳前後であるはずだ。ぼくはいつの間にか過ぎ去った年月の重さに、大きく息を吐いた。

(……懐かしいな)

 高崎教授は三十年前と変わらない悪戯いたずらっけのある笑みを向けて、よお、と言った。

「久しぶりだな。狭い宇宙船暮らしは楽しいか? お前がこの地球を離れて二十五年になるが、そろそろ寂しくなるだろうと思ってな。お友達を送ってやったぞ」

(――なんだって?)

 ぼくはロボットに目をやった。ロボットは微動だにせずホログラム映像を投影し続けている。

「そいつは俺が作ったんだ。長年使っていたんだがなぁ、もう俺には必要ねえからおまえにやるよ。人に見えねえところが人間嫌いのおまえでも受け入れやすいだろ?」

 ただしなぁ、と教授は人差し指をつきつける。

「そのロボットにはがある。それを見つけて、。――以上だ。今年こそ芥川賞だか直木賞だか、取れるといいな」

 そこで映像はブツリと途切れた。


 思わず唖然として立ちすくんだ。

 なんと唐突で、強引なんだろう。そうだ。高崎教授はこうゆう人間だった。

「……おまえ呼ばわりするの、いいかげんやめてくれないかなあ」

 ぼくは力なく呟いた。何年ぶりかの外部刺激に疲労感が怒涛のごとく押し寄せてくる。

(それにしてもロボットの欠陥を見つけて、なんとかしろだなんて……)

 ぼくはしがない物書きで、理系ですらない。どうすればいいというんだ。

 溜息をつき、ロボットを見やる。無骨な金属の見た目。抑揚のない喋り方。

(あれだけ人間そのものの精巧なアンドロイドを造っておいて、自分のそばにはこんな玩具のようなロボットを置いていたのか。あの人なら、見た目も人間そのものに、話し方だっていくらでも流暢にできるだろうに)

 高崎教授は日本のロボット工学の第一人者だった。日本中に普及している人型アンドロイドは教授の作った初号機がもとになっている。

 それにしても――研究者として大成功した教授が、太陽系の片隅でひっそりと作家活動をやっているぼくにどうして今さら連絡をよこしてきたのか。しかも、こんな中古ロボットまで押し付けて。

 教授のいつもの気まぐれなのか。大学および大学院時代につきあわされた数多あまたの理不尽な要求が頭をよぎり、鬱々とした気分になった。彼はいつも自分の要求を押し付けるだけで、こっちの意見などはなから求めていないのである。会話ができる通信手段もいくつもあろうに、あえて一方的な手紙形式で伝えてきたことでもわかる。

 ぼくは何度目かの溜め息をつくと、ロボットを見おろした。

「君の名前はなんだい?」

「イチヨンゼロヨンハチハチキュウゼロイチゴイチキュウイチゼロイチ号デス」

 ロボットはくるりと後ろを向いた。胴体下部に、“保久ほうきゅう十四年四月製 製造番号一四零四八八九零一五一九一零一”と打刻されている。

「それは製造番号だね。教授には何と呼ばれていたのかな」

「“オイ”マタハ“オマエ”デス」

 ――呆れた。まともな呼び方さえしていなかったのか。

 ぼくはちょっと考えて、言った。

「なら君のことはエイチと呼ぼうか」


保久ほうきゅうノ頭文字カラ取ッタノデスネ。シカシ鎖国政策ガ施行サレテカラ、年号ノ頭文字ハローマ字表記ガ廃止サレ、日本語ノ五十音図ヲ用イルコトトナッテオリマスガ」

 日本が鎖国政策をはじめたのはぼくが高校生の時だった。それにより日本人は、宇宙には行けるのに外国には行けないという奇妙な状態になる。その際に西暦の使用も廃止されたのだが、日本社会は西暦から和暦への完全移行にずいぶんと手間取り、メディアが連日、社会システムの混乱っぷりを報道していたのをよく覚えていた。

「だって名前がそんなに長くてはおぼえられないよ。それにこれは年号をあらわしているのじゃなく君の名前なんだからかまわないだろう?」

「公序良俗ノ面デ申シ上ゲマスト、アマリオススメデキマセン」

「……ロボットのくせに、はやりの国粋主義者のようなことを言うね」

 ぼくはかすかに笑った。

「好ましくないってだけだろう? 法を犯しているわけじゃない。そもそもここにはぼくのほかは君しかいないわけだから、不快になる人もいないだろう。それともロボットの君が、国粋主義者のごとくに不快になるのかな?」

「ワタシハ不快ニハナリマセン」

「ならいいじゃないか」

 ぼくは踵を返し、居室のドアを開けた。ロボットはキャタピラを回しながら後をついてきた。

「呼ビ名ヲ頂ケタトイウコトハ、置イテイタダケルノデショウカ」

「うん。いいよ」

「デスガ、言葉ノ発音ヤ表情カラハ、ワタシヲ歓迎シテイナイヨウニ見受ケラレマス」

 ぼくはロボットのゴーグルを見つめた。

「ぼくは高崎教授には逆らえないんだ。恩師だからね」

 理解シマシタ、とロボットは言った。




「ところで君は、嘘はつけるのかな?」

「嘘ヲ言ウコトハデキマセン」

「ここで記録した画像や音声データを高崎教授に送るかい?」

「送リマセン。データノ記録モイタシマセン」

 ふうん、とぼくは呟いた。

 教授のことだから、また唐突に世捨て人のぼくの私生活を観察するという暇つぶしでも思いついたのかと思ったのだ。

 そもそも「嘘を言うことはできない」という嘘をついている可能性もあるが――まあそれでもかまわない。ぼくはもう地球に戻る気はない。ならば会うこともないのだから、ぼくの生活が酒の肴にされようが、もう関係のないことだ。

 むしろ世話になったのだから暇つぶしのネタになるくらいかまいやしない。ぼくは気を取り直した。

「ではエイチ、君は高崎教授のもとでは何をしていたのかね。研究の手伝いかい?」

「家政ロボットトシテ働イテオリマシタ」

「家事全般できるのかな? 料理はできるかい?」

 胴の一部がシャッターのように上がった。

 中は正方形の空洞で、真空パックされたカプセルが二錠置かれていた。

「ドウゾ。オ召シ上ガリクダサイ」

 ぼくはカプセルをつまみ上げた。なるほど。食事に無関心な教授らしいランチだ。

 ぼくは「ありがとう」と言ってカプセルを口に放りこんだ。そして本棚から冊子を取ると、エイチに差し出した。

「君にはこれを貸してあげようか」

 ゴーグル内のレンズがジイイ、と表紙にピントを合わせ、発光ダイオードが赤く点滅した。

「レシピ本だよ。ちゃんと読み取りができるかな?」


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