高崎教授との出会いは大学の講堂だった。

 当時、ぼくは入学したての文学部の一年生だった。その年は桜の開花がはやくて、散った桃色の花弁が校内の廊下にまで入りこんでいたのを覚えている。

 その日の一限目には一般教養科目の文化人類学の授業を入れていた。

 今や仕事ですら会社というひとつの建物に集まってする形態があたりまえではなくなってきたというのに、学校というものだけはいつまでも旧体制のままだった。

 生徒は教室に集まり、並んだ机で講義を聞く。

 座学の講義は映像学習のものも増えたというが、基本、ノートやプリントに筆記というスタイルの授業はまだまだ多い。この文化人類学の講義もそうであった。

 ぼくは紙に鉛筆でがりがりと書くことが好きなので、この講義を楽しみにしていた。

 ガラリ、とドアが引き開けられ、白衣の男が入ってきた。

 男は教壇に立つと、言った。

「あー、今日から君たちに機械システム設計学を教える高崎だ」

(機械システム設計学?)

 あたりが一気にざわめいた。

 レジュメを確認する者などで講堂全体が騒然としたが、教授は気にした様子もなく淡々と持参のデバイス端末を教壇のケーブルにつないだ。

 ブゥンと重低音が響きわたり、講堂の照明が落ちた。そして講堂全体に巨大3Dプロジェクションマッピングが現れた。

 その時、教室のドアが開き、眼鏡の小太りの人の好さそうな中年の男が講堂に入ってきた。彼は眼前に広がる人型や多足のロボットがうごめく光景に目を見開き、次いで教壇に立つ高崎教授を驚いた様子で見た。

「ありゃ? 間違えたか?」

 高崎教授は頭をがりがりかきながら携帯端末を確認した。

「あー、この教室じゃねえのか。失敬失敬」

 高崎教授は端末をコードから引き抜いた。ブツリと映像が立ち消え、講堂の照明が点いた。

 一同が呆然としている中、高崎教授は携帯端末を白衣のポケットに突っ込むと、文化人類学の講師にぺこりと会釈してそそくさと出て行ってしまった。

 そのままろくに集中もできぬまま、大学での初めての講義が終わった。ほかの学生たちも、なんだか夢でも見ていたかのようなうつろな表情をしていたのを覚えている。それほどまでに高崎教授が一瞬ぼくたちに見せた世界はきらびやかで異様なものだった。

 講堂を出たところで、廊下の隅にペンが落ちているのに気づいた。拾い上げると“高崎”と金文字で刻印されている。

 いかにも高級そうな美しい万年筆だった。その重厚な雰囲気が彼にまったく似つかわしくなくて、別の高崎氏の落とし物かとも思ったが、ぼくは届けることにした。

 あわよくばどこで入手したのか聞きたかったのだ。



***



 理系の棟は人文系の棟と空気がまったく違った。においも違うし、気温さえも低い気がした。

 自分はきっと、ものすごく浮いているのではないだろうか――そんなことを考えながら校内案内図を片手にうろうろしていると、ぼくの異物感に気付いた親切な学生が声をかけてくれて、高崎教授の研究室まで案内してくれた。



「えーっと、何?」

 警戒心とゆるさが同席したような表情で、高崎教授はデスクチェアに座ったままぼくを見上げた。

 万年筆を差し出すと、「ああ、どうもな」と受け取り、目をそらされた。

 高崎教授の醸し出すむやみに気まずい雰囲気に、彼が人見知りであるということを直観した。ぼくも人が苦手なのでわかるのだ。

 それきり黙ってしまったので、万年筆の入手先はあきらめてドアに向かった。

 研究室の壁の一面は造りつけの本棚になっていた。去りぎわに、本が大好きなぼくは横目でそれらを眺めた。

 小難しそうなロボット工学に関する本が並ぶなか、ふいに『ボッコちゃん』を見つけてしまい、思わず足をとめた。

「あ、星新一」

 思わず声に出したぼくに、高崎教授は振り向いた。

「星新一、知ってんのか?」

「文学部なんで……」

 高崎教授はイスに座ったままキャスターを滑らせてぼくのそばに来ると、本棚に手を伸ばして『ボッコちゃん』を抜き出した。

 唐突の行動にぼくはびっくりする。

「俺は星新一の書くロボットが好きでなあ。ボッコちゃんなんてほんと最高だよな」

 星新一は昭和時代から平成時代を代表するSF作家で、彼の代表作のひとつが『ボッコちゃん』だった。

「この本を初めて読んだのは俺がまだ小学生のころでな。すっかりファンになっちまった。この人の書くロボットはほんとに最高だよな。――彼がもう亡くなった作家だと知ったとき、あまりにショックで柄にもなく大泣きしちまった」

(――同じだ)

 ぼくは愕然と立ち竦んだ。

 そう。物語は現にそこで展開していて。まだ読んでいない彼の作品も膨大に残されていて。ぼくの未来にも星新一は延々と存在していると思いこんでいた。

 彼はもうどこにも存在しない知ったとき、まるで世界がたち消えたような衝撃をうけたのだ。

「……ぼくもです」

 それ以来、高崎教授との友人関係は何十年と細く長く続くこととなる。

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