エイチはカタカタとキャタピラを回しながら船内に入ってきた。

(違う。これがエイチのはずがない。今、エイチはキッチンで昼食の準備をしている最中じゃないか)

 ロボットなんだからまったく同じ型のものが数体いてもおかしくない。ロボットの背後を覗きこんだ。胴体下部の製造番号は一四零四八八九零一五一九一零一――ああ、エイチの製造番号はなんだっただろう。

「失礼イタシマス」

「……どうしてもう一台送られてきたんだ? 高崎教授は亡くなったんじゃないのか?」

「ソウデス。高崎教授ハ、オ亡クナリニナリマシタ。ナノデ、高崎教授カラノメッセージハゴザイマセン。マタ、高崎教授ガアナタニ送ッタロボットハ、ワタシ一台ノミデス」

 そう言うと、エイチは奥の居室に向かって進んでいった。

「ま――待ってくれ」

 ぼくは慌てて後を追った。

 ものすごく頭が混乱していた。この目の前を進むロボットがエイチならば、キッチンで食事を作っているのは誰なのだ?

 居室に入り、目を見開く。

 こんがりと焼けた秋刀魚さんまの乗った皿を運んでいたのは――すでに亡くなっているはずの母だったのだ。

「あら、エイチさん。いらっしゃい」

 エイチはカタカタとキャタピラを回して、テーブルに着いた。

「お母さん……どうして」

 目の前の母はすごく若かった。三十代半ばくらいの歳ではなかろうか。ぼくよりもずっと年下だ――。

 そう思ったとたんに視線が下がった。

 ぼくはぎょっとする。身につけていたスラックスは短パンに、襟つきのシャツは薄手のTシャツになっていた。そして自分のものとは思えない細く小さな手足、あまりに軽い体――自分が子供の姿になっていることに気づく。

「立っていないで早く席につきなさい。――エイチさん、あなたもよかったら召し上がって」

「ワタシハロボットナノデ食事ハデキマセン」

 エイチは淡々とこたえたが、母はかまわず秋刀魚の皿をエイチの前に置いた。

「お漬け物、もうちょっと切ろうかしら」

 当たり前のようにキッチンに入ってゆく母を、呆然と見送った。

(ご飯を作っていたのは、お母さんだったの?)

 冷たい汗が背中を伝ってゆく。

 しばらくすると、母はキッチンから出てきた。お盆に、小鉢やお茶碗、汁椀などを二揃いずつ乗せている。

 慣れた手つきで食器を並べ、当時とまったくおんなじ口調で「早く食べてしまいなさい」とぼくを急かした。

 大人用の椅子は子供の身体には高すぎて、よじ登るように座った。

 テーブルには秋刀魚さんまの塩焼き、五目煮豆、豆腐と大根の味噌汁、お漬け物にご飯――実家で暮らしていたころの母の作る食事そのままだった。

 よくこれだけ食材が手に入ったものだと感心する一方で、ぼくはもうこれが現実の訳がないと確信していた。

 ぼくはちゃんと両親の葬式を出してから宇宙に来たのだ。亡骸だって見た。

 手のひらのじっとりとした汗を握りこむ。

 母はぼくのとなりの席に座った。母のかけた椅子は実家のダイニングチェアで――こうゆうところは本当に夢っぽいなと思う。

 そして、テーブルは一人用であるはずなのに、ぼくとエイチと母が席につけるほどテーブルは広くなっていた。宇宙船の部屋の大きさも変わっていなければこのサイズのテーブルが収まるはずがない。しかし――居室を見渡してみたが、どこも変わったところや違和感を見つけることができなかった。

 食事に手をつけようか迷っていると、母が横で大きく溜息をついた。

「……あなたって本当にあいかわらずね。祖国でたくさんの人が死んだってのに、自分のことしか考えていないんだわ。そもそもママが死んだとき、ちゃんと悲しんだ? せいせいしたとか思ったんじゃないの?」

 その厭味ったらしい口調に、ぼくは箸を取りかけた手をとめた。

「そんな、ぼくは――」

 顔をあげると、母はここぞとばかりに声を荒げた。

「無駄口たたいてないで早く食べなさい‼」

(問うたのはそっちじゃないか)

 相変わらずの理不尽ぶりに呆然とする。そうだ。母はこうやって毎日毎日ぼくを追いつめていたのだ。

 どす黒い憤りが込み上げてきた。――懐かしい感覚だった。

 ぼくは子供時代と同じように黙りこんだ。この母に何を言っても通じないことはわかっていた。

 秋刀魚さんまの皿を引き寄せ――唐突に思い出した。母が魚の食べ方に異常に厳しかったことを。汚ならしく身を残すと、気が狂ったかのように激昂するのだ。

 箸を取る手に母の視線が刺さり、緊張で手が震えた。

 秋刀魚は脂が沸騰してぶくぶくと泡をたてている。その皮に箸を突き刺し、骨に沿って頭から尾に向けて一直線に箸を入れた。身を崩さぬよう、慎重につまんで、持ち上げる。

 そこで僕は凍りついた。つまみ上げた身の下から、人間の顔が覗いたのだ。

 ものすごく小さな人間だ。目をつむっている。

「どうかした?」

「何でもないよ」

 ぼくはさりげなく箸を持つ手で秋刀魚を覆った。

 こんなものを見たら母は発狂するかもしれない。

「そう。じゃ、お母さんは洗い物してくるから」

 母は席を立った。

 ぼくはひっそりと息を吐くと、箸で丁寧に秋刀魚の身を剥がしていった。あらわになった顔は、父のものだった。

 箸で身をどんどん取り去っていく。小さい父が、秋刀魚の細長い胴体ぴったり入っていた。ひつぎに収まった父の姿そのままだった。

「ご飯のおかわりはどう?」

 背後から母の声がして、ぼくは慌てて身を口に入れた。

 残したりなんかしたら母に何を言われるかわからない。皿の端に積んだ身をどんどん口に押し込んでゆく。味などまったくしなかった。吐き気ばかりが込み上げた。なにせ、なのだ。

 その時――耳元で「きゃあ」と甲高い悲鳴が上げられた。

「寄生虫じゃないの! 食べちゃだめよ。よこしなさい」

 いつの間にか背後に立っていた母が、秋刀魚さんまの皿をとりあげた。お盆に乗せて、小走りでキッチンに急ぐ。

 がこん、とダストボックスに放り込む音がした。父を捨てたのだ。

 ぼくはあまりの出来事に呆然とした。心臓がどくどくと鳴っている。

 母はすぐに戻ってきた。さっきまでの苛立ちはどこへやら、すっきりと上機嫌でくるりとエイチに向き直った。

「あなた全然食べてないじゃない。――あら、お口はどこかしら?」

 唐突に、母はエイチのゴーグル型プロテクターをつかんだ。

 そこは目だ――さあっと血の気が引いた。エイチを壊されるわけにはいかない。ぼくには直せないんだから。

 とめる間もなく、母はプロテクターをがこっと力任せに外した。

「なにするんだ、お母さん!」

 椅子から飛び降り、エイチに駆け寄った。そしてぼくは金縛りにあったように立ちすくんだ。

 レンズがあるはずのそこには、女の目があった。中からこっちを睨んでいる。

「ゆ――優希ゆき……?」

 目尻の泣きぼくろに見覚えがあった。見えているのは目の部分だけだったけれど、それは確かにかつて交際していた女性に違いなかった。

 優希はしわがれた声で恨みがましく言った。

「あたしは死んじゃったのよ。ウィルスにやられて、たくさん血を吐いて死んだのよ」

 脳に直接響くような、軋んだ声音だった。

「あんたが結婚してくれたならあたしは今ごろ宇宙で暮らして死なずにすんだのに。あんな痛くて苦しい目にあわずにすんだのに」

「……きみはぼくと結婚なんてする気はなかったじゃないか」

 優希の目から血の涙が溢れた。

「よくも一人で生きのびやがって……」

 そこで母がプロテクターをぐいっとはめなおした。

「ここはお口じゃなかったわ」

 母が何でもないように呟いた。

 ぼくは呆然とした。あまりのことに、その場にへたり込みそうなところを、椅子の背もたれをつかんで堪えた。

(なんだこれは。何が起きてるんだ。悪夢にも程がある――)

「夢デハアリマセン」

 エイチは言った。

「アナタノ意識は電子化サレタノデス。コレラハ全テ、記憶ノ断片デス。意識ト記憶ノ整理ノ過程デ、今ハコノヨウニ夢ノ中ノゴトク理不尽ナ世界ガ展開サレテオリマスガ、調整ガ完了シマシタラ、宇宙船デノイツモノ毎日ヲ送ルコトガデキマス。望メバモット快適ニ、思ウママニ現状ヲ変化サセルコトモ可能デス。ソレマデシバラクオ待チクダサイ」

 ぼくは衝撃を受けた。

「……ぼくは、死んだのか?」

「イイエ。アナタハ生キテイマス。在リ方ガ変ワッタダケデス」

 その時、けたたましく呼鈴が鳴った。ぼくはぎょっと身動みじろぎをした。

「オ客様デス」

 エイチが淡々と告げる。

「オ出ニナラナクトモ、調整ニ支障ハアリマセン」

 大音量のブザーの中、母は食器を無表情でさげ始めた。

 けたたましいブザーはいっこうにやまず、ぼくは堪らず立ち上がった。

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